映画『国宝』特別対談 国立劇場
国立劇場 小劇場で開催。
休館中ということで、舞台上に100席。ステージは客席をバックに設置され、私たち観客は映画『国宝』を追体験するように李監督と中村鴈治郎さんの特別対談を普段は体感できない舞台側から目の当たりにすることができました。
開演前の舞台上では、無音。映画イベントでは通常サントラや主題歌が流れていますが、そういったことが全くないため静寂の国立劇場 小劇場という空間に100人とステージ上の椅子。あまりの緊張感でしたが、ロビーでティザービジュアルムビチケ、RYFC(吉沢さんのFC)限定のムビチケを落とされた方がいるとのご一報。おしとやかにお一人が前の方に誘われホッとする自分がいたことはここだけのお話し。
それでは、本題へ
進行役・水谷アナ
「いきなりまさか拍手で迎えられるとは思っていませんでした。ありがとうございます。皆さんようこそお越し下さいました。国立劇場9月歌舞伎公演特別対談『映画国宝と国立劇場』。まずお1人は映画国宝の李監督、この国立劇場がロケ地の縁で、そして映画出演に歌舞伎指導をされた中村鴈治郎さんとの対談。9月の国立劇場 歌舞伎公演にもご出演ということでこの会が実現。本日の会、8月4日から募集開始、100人の募集に対して2200通の応募。私の友人は見渡す限り誰一人当選しませんでした。それではお二方をお招きいたしましょう。」
舞台後方からご登場
中村鴈治郎さん
「どうでもいいですけど気持ち悪いですね笑笑。客席に背を向けるのは初めてです。」
李監督
「ずっとこっち見て何十年もお芝居されてきて」
中村鴈治郎さん
「本当に何とも言えない気分、皆さん客席見てるんですよね。」
大ヒットを受けて
李監督
「いま120億を超えて、歴代何位とかいうお話を聞くともの凄いことになっている。あの、うちの食卓何も変わってない。(中村鴈治郎さん大爆笑)おかず別に普段通り。うちの車がロールスロイスになってるわけではないし、、、それでも関わった中村鴈治郎さん含めてキャストやスタッフ、何年も連絡なかった人が急に国宝みた!って連絡くるみたいな、一緒に大変な思いをした人たちが本当に喜んでいる感じが報われたと。」
中村鴈治郎さん
「よく皆さんみたと言ってくれるけど、すいません。私の映画ではない、主役でもないし。今振り返って、携わってたのは1年3ヶ月前の話。だけどとてもそうは思えないような凄い撮影期間。まず、李監督"黒澤明賞"おめでとうございます。私もそうだけど本当に関わらせてもらって幸せ。去年の今頃はこんなヒットするなんて思いもしなくて不安でいっぱい。僕は映像のことなんて全然わからないので初めから"監修"やめましょう。映像のこと知らない人が映画の監修となると全てに関わることになる、最終的には「歌舞伎指導」で落ち着いた。最後できたラッシュをみて"はーよかった"。もう一回編集して、完成版の試写、ジーンときていいものできた。そこからカンヌ、ジャパンプレミア、封切り6/6、それでも不安。どういう風に受け入れ方を皆さんにしてもらえるか。ヒットよりもそれで頭がいっぱい。6月が歌舞伎座。そうすると皆まわりの歌舞伎役者がみました、みました。ここだけの話、李監督からショートメール。「市川團十郎さんがブログで国宝という映画を認めて、子供たちにみせた、良かったですね、これで肩の荷が降りたでしょ。」李監督が不安を察してくれてたんだと、ショートメール嬉しかった。」
李監督
「少しずつ歌舞伎座で鴈治郎さんがドヤ顔を始めてると。あぁ良かった!(鴈治郎さん大爆笑)顔として歌舞伎指導というのは全体的に出るので、それがあのような形で團十郎さんはYouTubeまで上げていただいて。ホッとしました。」
中村鴈治郎さん
「おかげで遠慮がちだった中の人間が発信しだした。あいつはそういう人間なんですね。わはははは。たかとしと(團十郎さん)普通に喋って本当によかったよと。何度も言うけど私の映画ではない、出演してたというよりスタッフのつもり。関わらせていただいてよかった、いい責任の負い方、いろんなことを感じた。監修ではなく「歌舞伎座指導」。歌舞伎の演じる部分に関しての監修となると指導にしようかと。歌舞伎に関する部分→楽屋のもの、廊下のもの、すれ違う人。歌舞伎の中を知ってる人や観てる人でも違和感をゼロにしたいと。出演したということに関しては、僕は別に出なくてもいい。だけど何ですか監督"いや、吉田修一がそう言ってる"」
李監督
「いいんですかそこまで言って、、、もともと吉田修一さんは鴈治郎さんの懐に入ってこの作品を生み出された。映画になる折には、吉田修一さんからひとつだけお願いが来た"鴈治郎さん出して"。あまり大々的には言えないけど基本的には歌舞伎俳優さんはあんまりということで始まってる、鴈治郎さんに大丈夫ですかと確認。」
中村鴈治郎さん
「分かりました。それでは出ます。頭取とか制作側ですか?"いや歌舞伎の役者で"、!?!?!?。プログラムみてよく分かった。俳優のとこではなく、監督との対談だけ。いい意味でスタッフなんです。本当にありがとうございました。」
李監督
「鴈治郎さん、舞台を拝見していても本当に笑いのツボ、皆の注目を一瞬で。どちらかというと陽の役柄を想像されると思う。なんなこう喜久雄からみたときに一番おっかない役がいい。たまにお酒飲んでいても目が怖いときがある。(鴈治郎さん大爆笑)なんかこう笑っているけどすわってる。あの印象があって1番あのおっかない役柄。だけどどこかコミカルさがあって、鴈治郎さんが出てくるだけであれっ笑わせてくれる、怖かったり、怖いのかなって思ったら、ふっと笑えたり。僕は楽しませていただきました。」
観客からの質問
Q1.古典芸能をテーマとした作品にハードルは感じなかったのか、なぜ歌舞伎に着目して今作を。
李監督
「ハードルは感じる。でも先に吉田修一さんがハードルを超えていただいた。ひとつそこにはしっかり設計図、世界観があってそこに息づく人たちが見えていた。そこから上物作りはいけるんじゃないかと。全く土台がなければ怖かったし、色々な重圧に進まないところもあったかもしれない。歌舞伎は大人になって、映画をやるようになってから改めて古典芸能に注目。最初目に止まって面白いなと思ったのは6代目の歌右衛門さん。道成寺、絶妙な陽気感漂っている。忠臣蔵、九段目の戸無瀬とか、惹きつけられる唯ならぬものがあって凄い。あまり他ではお話ししていないですが、円地文子さんの『女形一代』という歌右衛門さんモデルの本を拝見して面白かった。同時代に生きてはいないが、三島由紀夫さんが歌右衛門さんと繋がりがあって、そこからさらに坂東玉三郎さんという流れがあって、こういった方々の存在感が歌舞伎に興味を持たせてくれるきっかけだった。」
中村鴈治郎さん
「李監督が実は歌舞伎を題材に映画を撮りたいというのは後で聞いた。国宝の小説に出逢う前からそのことが頭にあったことを後で知った。」
李監督
「『悪人』を吉田修一さんとご一緒したあとに歌舞伎について興味をもって今みてる最中だとお話しした。僕はそこで女形の一代記を描くことのハードルの高さに自分ひとりでは到達できなかった。そのあと、吉田修一さんが別の視点で女形の一代記をかかれてから、"なるほどこういう視点、この物語なら映像としてこうすればいいのか"と色々なことを発見。設計図がなければできなかった。」
歌舞伎俳優ではない役者のキャスティング
李監督
「逆に、このことを初めに聞いた時の鴈治郎さんのお気持ちは。」
鴈治郎さん
「どういうことですか。どなたでやるのかということもあったし、『国宝』を扱う限りは当然舞台で演じる部分を撮るんですよねとお聞きした。→そうです、それは吹替なしですか→そうです。だとするとえ???、すぐには答えられなかった。どうするのかな。まずゼロから教え始める、とにかく時間がないなと。じゃあスタート、じゃあどうしましょうか。もう乗った瞬間から抜けられなくなった。だから認めちゃった。できるできないじゃなくて、それだったらこれでかからなくちゃもう無理ですねという状況に入っていた。不可能だとは思わなかったが、えらいことになるんだろうと。1年半後にひとつ踊ることを撮ると、藤娘、その人が国宝になるんです。みんなに納得させられるようなこと映像にのこす。それを何をどうすればいいのか、とにかくもう始めなきゃダメだと。できるできないじゃなくて、だったらもう動かなくてはダメ。もう既に乗っかっちゃってましたね。」
李監督
「まんまとですよね。でも普通はそこで返ってくる答えは"できないよ"。じゃあすぐやろうと言う鴈治郎さん。今だから言える極端な話、選んだ俳優がいくらやってもダメならダメ。映画撮る意味ないし、できないだけの話。俳優たちが歌舞伎俳優として映画の中で生きることを僕も決めた。決めた以上それがダメなら作品そのものが生まれないだけの話。」
中村鴈治郎さん
「手ほどきに関しては絶対歌舞伎俳優にとっても日本舞踊は第一歩。初舞台に上がる前、4歳でも6歳でもその前から日本舞踊を習ってそれが基本になることは間違いない。それを彼ら2人にも当然始める。手ほどきに関しては私はできない。それは完全に谷口さん。この人がいいと決めた限りは丸投げだが彼に任せた。手ほどきは彼がすごくやってくれて、じゃあある程度動けるようになった時にみた。その時に監督いらっしゃってた。稽古の時に必ず監督いる。でも一言も言わない。何となく目が合うと、、、でも間違えなく諦めないし、引き下がらない。これでいきなり上手くなるわけがない。どうなるのか、どうなるのか、目に見えるわけではないがだんだんと形に。何とか間に合うんだろうと見え出した段階はギリギリ、撮影前。日本舞踊は言われているように動けばいい、ちんとしゃんと。女形のお初では、自分で想像して彼らが演じなくてはならない。徳さま!と寄り添うだけでも自分たちで想像して女形として動かなくてはならない。それを何度も繰り返して、何かを会得して2人ともやる大変さ。監督も横でずっとみていて、そういうことですよね。」
李監督
「そうですね。みてて近道はなに一つない。生で曽根崎心中をなかなかみる機会がなくて、お父様 藤十郎さんのお初を何度も昔のビデオテープ風にいうと擦り切れるほどみた。あの動き、所作とか目のやり方ひとつ含めて、すべて完全に頭に叩き込んだ。全く同じことをしてほしいことではないが、それを頭に思い浮かべながら彼らの動きをずっと追ってどうやったらそこに。」
中村鴈治郎さん
「僕らも初めてやる役は模倣から当然入る。彼ら2人にもビデオを渡して、こうだよ、そうだよねって確認しながら稽古の繰り返し。そうすると彼らも台詞が言えなかったら、だんだん息の吸い方、やっぱり台詞っていうのは呼吸だよ。息継いで、吐くということしなければ絶対声は出ない。どこでじゃあ息を継ぐかっていうことを覚えよう。そこからいこう。じゃあここで継いで。だんだん会得して自分なりにことが言えるようになって。できるようになると逆に余計なことしちゃう。それはいらないだろみたいなことになったりする、それの繰り返し。それでできてきた。ただ原作にない設定を監督がもってきて、最後片足効かないけど引っ込めるからと言ってきて無理でしょ、"いやそれをやりたい"じゃあやろつと、どうしましょう。やりたいことの理想と映像にすることを絶対に引き下がらないし、みんな本当に意地の張り合いというかすごいですよ。それを映像にのこすんだ、あっこういうかたちになるんだ。こっちが逆にみて驚く。」
李監督はこうやって常に穏やかな口調で周りを説得してしまう雰囲気なのか
中村鴈治郎さん
「穏やかに言ってますけど絶対引き下がんない。絶対引き下がらないですもん。(大爆笑)」
李監督
「えぇえって言っていると思います。(鴈治郎さん大爆笑)、流星お初版の引き込みとか足のことで後半もう一回曽根崎をやりたいとお話。鴈治郎さん、無理無理とはおっしゃるけど頭ごなしに無理とは一度も言われなかった。困った顔はされてましたけど。」
中村鴈治郎さん
「それはしますよ。(爆笑)」
李監督
「こんなのはどうですか、あんなのはどうですか、素人とながらに提案して、だったらこれだったらいけるかなと積み上げて、そこに俳優たちが加わった。」
中村鴈治郎さん
「彼らの動きもやりながらじゃあこうしようかなと繰り返し。李監督、これ間に合わないじゃないかなという時ありました。全部撮り切れないじゃないか、それぐらいの撮り方をしていた。」
李監督
「色々なものがギリギリ撮れるかどうか、キワキワでした。」
吉沢さん、横浜さんはだんだん気合が入っていくというか、完成しようと気迫は
中村鴈治郎さん
「気合も何もボロボロでしたよ。たぶん。終わったら"はぁぁぁあ"崩れるっていう。エキストラの方も一番大変だった。一日中座って。幕が閉まったら普通客席の人は中がみえない。でも映像である限りは降りてるフリでもって拍手。終わって"はぁぁあ、終わった"ていうのをみれる。唯一の特典ですよね。それくらい本当にクタクタです。これをみて本気で拍手をしてくれる方がいらして、エキストラの方も凄かった。」
李監督
「こちらもエキストラの方も注視して、エキストラさんがみる対象である俳優たちが本当に心身限界までやっているのが劇場でやるので感じとる。もしかしたら回数が重ねれば、重なるほどエキストラさんたちも拍手が感情が入ってきて一体感。現場でも感じてはいたが、編集で何回も色々な映像でみる。その度に意外と現場では見落としていた"あっ、このエキストラさん、すごい良い芝居してる"そういうのも色々編集しながら発見した。だったらもうちょっとこうでこのショットのばしておこうということがあった。」
その方は劇場で自分が映っている光景をみて堪らなかったでしょうね。
李監督
「もう、堪んないじゃないですか。いや、こちらこそ本当に感謝です。」
中村鴈治郎さん
「エキストラさん、まあよく一つも情報漏らしませんでしたよね。この1年間、撮った後も。一切、こういうことやってると出なかった。国宝という映画、前評判や宣伝でどうだとかあまりなかったと思う。何かでみましたが、口コミのすごさ。今ってこういう時代だと。それで評判になることって本当にあるんだとつくづく感じました。」
李監督
「結構、宣伝力入れて色々仕掛けてはいました。例えば、テレビドラマから映画になる場合はもともとの認知度や、テレビ局でたくさん映るCMとか色々目に留まる機会が多い。『国宝』はそういった作品とは一線をおいていて、どちらからいうと小説、文学から立ち上がった映画なので通常以上に宣伝としては結構プッシュ。目の留まり方は限界はありつつも、かなりやっている。」
中村鴈治郎さん
「題材が『国宝』。凄すぎますね、名前が。」
李監督
「逆にいうとたくさん宣伝して、それだけ認知してもらっていたので最初に3位になったということだと思います。」
国立劇場がロケ地にもなって、ロケハンでここでこういうシーンを撮ろうとその場でお考えになるのか
李監督
「結論はすぐは出しませんが、ここだったらどこが良い場所なのか。たとえば楽屋の通路、喜久雄が最後鷺娘の姿で出るところ。彰子と出逢う通路。あの通路は国立劇場でお借りした。最初に拝見した時、木の扉の楽屋口は実はあまりなくて、あの空気感がすごく良い。」
中村鴈治郎さん
「暖簾をかけてしまうと見えにくいですが、実は木の引き戸。いま全部鉄でもって。国立劇場が撮影の最後でしたっけ。最後に顔出した覚えがある。」
李監督
「そうですね。全体が京都ベース、京都がぜんぶ終わって。関西がぜんぶ終わって最後は東京で数日、1週間未満が国立劇場でした。」
中村鴈治郎さん
「もう6月にかかっていた。それでここへきた覚えがある。本当に国立劇場の廊下で撮って、みんな駐車場で控えてた。最後、吉沢亮さんやみんなに駐車場へ会いにいった覚えがある。」
李監督
「そう考えると、喜久雄と彰子が出逢うの最後の方に撮ってる。彰子、大変でしたね。クランクアップあれ。初めて出てきた時が最後という。」
中村鴈治郎さん
「喜久雄は、老け顔も国立劇場で撮影していますよね。ここの短い廊下、喜久雄がパッと通るだけとか、喜久雄と彰子が会う。本当に一瞬しか映らないであろう映り込みの小道具ぜんぶこだわられて、まぁ細かい。絶対監督は妥協しない。じゃあその時にこのチラシどうしよう、それから比べてじゃあこんな小道具置いてみましょうか。じゃあこの時、鷺娘出てくる、他のも含めてチラシ全部つくってる。じゃあこの小道具置いてないとおかしい、これだったら他のもこれはおかしいじゃないかと。細かかった。」
李監督
「僕というか、僕以上にそれぞれの例えば美術部のそういう小道具の責任もっている人とかそういうスタッフの粘り腰だと思う。彼ら彼女らがみんな鴈治郎さんに押しかける。"これ鴈治郎さん見てください、これおかしくないですか、これ大丈夫ですか"」
中村鴈治郎さん
「(大爆笑)そうなの。みんなここにくる。何のことかだんだん分かんなくなってきて、それは違う楽屋の小道具でしょ、こっちの小道具じゃないでしょ、じゃあそれ出番前…だんだん頭の中、でもとにかくしょうがない受けたんだし。これはどうしましょう、これでどうしましょう。でもまあその細かさといい、そこまでこだわるのかと。それに良い意味でも悪い意味でも、小道具ということはその日に借りるだけでもお金がかかる。この映画はどれだけお金がかかるのかと思いました。」
皆さんの楽屋の佇まいについて
中村鴈治郎さん
「昭和ですから舞台袖でもたばこ平気で吸っていた。ギリギリまでその方が心が安定する方もいるでしょう。たばこというのは昭和と切っても切れないものだとすごく印象的。」
李監督
「鴈治郎さんの登場シーンも。」
中村鴈治郎さん
「それでいきましょうと、考えてみたら何度もカメラを回すのでずっと咥えっぱなしで何度吸ったのか、ごほごほになって(大爆笑)」
李監督
「もうちょっと煙ほしいですって。(鴈治郎さん大爆笑)やっぱり鴈治郎さんの登場シーンはこだわったつもり。」
鴈治郎さん
「まさか後ろからきてるとは思わなかったです。」
李監督
「もちろんリアル歌舞伎俳優さんですが、カメラマンが今回チュニジアの方なので、そこまで歌舞伎俳優さんの実態を知らない。撮影の際に、鴈治郎さんのフルショットを撮って、後ろから光が入って、たばこの煙がどーんというのを撮りながら"Oh!ドン・鴈治郎"それから彼の中ではそう勝手にあだ名をつけていました。」
中村鴈治郎さん
「(大大大爆笑)そう言ってたの、初めて聞いた。わはははははは、わはははは」
李監督
「煙は照明当たるとかたちがクッキリでてきたりする。」
中村鴈治郎さん
「結構、カメラマンはスモークパッと薄くたいたりしてこうくるのかと、映画は映像と監督だとつくづく思いました。」
撮影については俳優さんのほか、舞台上にはたくさんのスタッフがいたわけですよね
中村鴈治郎さん
「例えば、引き抜きや道成寺の鐘を上がるにしても、もしかしたら見てほしくない部分かもしれない。女形がばーんと大股あけて階段上がらないと鐘登れない。本当は見せたくないかもしれないが、あえてそれを見せても嫌じゃないこと。まず、舞台から客席を見れるこの風景。まずないわけであって、役者が彩られた舞台に立って、人がいっぱいの客席。その映像がありということは良いと思う。それを当然李監督が狙って、そういうのもありじゃないかと色々なお話しをした。それはやっぱり映像。」
李監督
「ただ新たなものを撮るのではなく、歌舞伎俳優の気持ちになるとどういう風景が見えるのだろうと。ポジションを探して、例えば2回目の曽根崎心中で喜久雄が俊介の足をこう見るときに、不思議なショット。喜久雄目線で俊介の足が出てくる。でもそれは鴈治郎さんがいつも見ている。"俺だけだよ"じゃあそれは是非みなさんに体験してもらおうと。」
中村鴈治郎さん
「縁の下からお初の足を見えるのは徳兵衛だけですよ。」
9月の国立劇場、歌舞伎公演で忠臣蔵が上演される。二段目と九段目、鴈治郎さんあまり普段やらないところ
中村鴈治郎さん
「国宝でいうと、喜久雄が吾妻千五郎に"おじさん、今度の小浪決まりましたか"と言ってくることはこれのこと。九段目の小浪、自分がやりたいことを直訴しにきた。」
観客からの質問
Q2.鴈治郎さんから監督へ
中村鴈治郎さん
「まず9月来てください。それよりも12月、顔見せに京都へ来てください。何やるか決まってませんが、たぶん出させてもらえると思うので。」
李監督
「はい、二段目と九段目を生で拝見したことがないので楽しみにしております。」
Q3.吉沢さんと横浜さんの踊りをすべてみたい。撮影されカットされた場面をDVDで発売してもらえませんか
中村鴈治郎さん
「あぁぁあ、あぁぁぁぁぁ」
李監督
「特典映像ということですよね、考えています。お約束はできませんが、考えています。何かしらをつけたいと思っています。」
中村鴈治郎さん
「実は僕1つだけ、夢があるんです。韓国でもう一度歌舞伎をやりたい。一度やってからなかなか難しく、釜山国際映画祭で国宝が上映されることがとても嬉しい。そこに出品される作品は結構前の作品が多い。最近の映画である国宝が受け入られる、日本の文化の受け入れられる意義。歌舞伎の公演がまた韓国でできるのではないか、可能性があるのでは。」
李監督
「そうですね。釜山国際映画祭はアジアで1位、2位を誇るぐらいの大きな映画祭。本数もたくさんあるが、国宝が出品するガラ・プレゼンテーション部門はすごく大きい取り扱いの劇場で上映。それなりの注目度と、韓国での劇場公開も決定。そういった流れで歌舞伎について…逆に韓国でやるとしたら何をもっていきたいですか。」
中村鴈治郎さん
「曽根崎心中」
李監督
「そうだと思います。この映画で曽根崎を認知していただいた上で、向こうで受けると思います。ぜひ曽根崎を韓国でみたいです。」
Q4.赤について使い方
李監督
「赤だけではなく、主に赤と白。白の中に赤があってこそ赤が引き立つ。両者のバランス、赤が意味するものと、白が意味するものを使い分ける。」
中村鴈治郎さん
「手が震える部分、じゃあっていって。人の紅引くほど難しいことはない。逆に俊介はよくやってるなと、器用だった。人の顔はやりにくい、自分の顔はよく特徴知っているけど。顔左右対称じゃないし、広い方を長く引こうとか。」
李監督
「あそこは血のある俊介が、血がないと怯える喜久雄に血をちょっと分け与えるようにも見えたらいいなと、意外と色々細かいこと考えているんです。皆さん見ながら無意識に感じとっていただいて、フラッシュバックみたいにあれって、どんどん溜まっていく、そういう時は何か込めようとしてるものがあるのかなと思っています。」
SNSでの歌舞伎俳優さんたちの反応
李監督
「くまなくチェックさせていただいております。(鴈治郎さん大爆笑)嬉しいというか本当にホッと安心します。細かくいえば、こういうところが違うと思われることもあるが、我々が描こうとしているものに非常に賛同していただいていることが伝わってきています。」
中村鴈治郎さん
「この作品は歌舞伎の映画ではないはず。本当に人間のドラマ。歌舞伎でそれを一生過ごそうと、ある役者が国宝に。その生き様とは…歌舞伎自体が観たかったら歌舞伎やシネマ歌舞伎でぜひ、違うところで成り立っている映画だと思っています。だからアリだと、そう思っていただければ。」
李監督
「そのまま本物の歌舞伎をみてみたいという声がたくさんあるのがとても嬉しいです。」
【最後のご挨拶】
李監督
「22倍の難関に見合ったお話しができたかは自身がありませんが、6月6日の劇場公開から3ヶ月近く経っても今も公開。映画館に多くの方々が足を運んでいただいている。皆さん何に熱狂いただいているのか僕はまだ正直分析していないし、するのも早いと思っています。とはいえ、まだまだこの作品が皆さんにとって離し難いものになっているということは実感しています。僕自身も通常、完成してこれだけ公開して宣伝、これぐらいになるとちょっと離れていく。次の仕事もやらなきゃいけない…だけど国宝が離してくれない。僕にとっても有難い経験。僕も観客の皆さんといつまでも離れないように。この作品を大切にしていただけてとても感謝しております。本日はどうもありがとうございました。」
中村鴈治郎さん
「倍率が高い中でも、きちんと応募して来場いただきありがとうございます。実をいうとそのおかげで僕もお会いできました。6月の封切りして以来、初めてお会いした。落ち着いたらぜひお会いしましょうといってしたが渦のように。あぁ凄いなこの3ヶ月、、、何だろうと良い意味で渦に巻き込まれた。今になって嬉しくて、こういうことが世の中で本当にあるのだと。映画館に足を運ぶこと、これだけ家で配信とか見てしまう中で、映画館に足を運ぶという行為、それも何度も繰り返し観たいと思うことが世の中あり得る。つくづく有難いし、映像の凄さを改めて感じています。これからもどうぞよろしくお願い致します。」
李監督
「ちょっとすいません!追加で、今日のこういう"面白い場"でセッティングいただき、撮影終わったら怒涛のようにやって、終わったら怒涛のように片付ける。それ以来、国立劇場にお伺いできなかった。小劇場の舞台のすぐ後ろの通路で撮影していますから、こんなに素晴らしい場所を提供していただいて、国立劇場の皆様にすごく感謝しております。」
ご降壇時、李監督が中村鴈治郎さんにどうぞお先に、鴈治郎さんも李監督を称えるようにどうぞと、先にご降壇された李監督と中村鴈治郎さんが微笑むようにご退場されました。
特別対談後、ロケ地巡礼の舞台裏見学会開催。お時間の関係で見学をご希望されない方をスタッフさんがお聞きされましたが、誰一人手を挙げず皆さん思い思い楽屋見学をされてこの素晴らしい会はお開きとなりました。
開場前には、小劇場ロビー前で警備員の方が待機。開場時間前まで整列させるのではなく、楽屋入り口すぐ左の国立劇場休憩室(自販機も完備)を特別開放していただきました。舞台上でのイベント開催とのことで、"国立劇場"スリッパや下足入れもご用意いただき、整理券配布での入場管理、たくさんのスタッフさんの誘導により素晴らしい思い出となりました。
ここまで死ぬる覚悟でお読みいただき本当にありがとうございました。
この特別対談が一人でも多くの方々に、何より映画のロングラン劇場公開を心より願っております。今後ともどうぞよろしくお願い致します。
ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示まるで対談の会場にいたかのように錯覚するほどでした!