『遠い山なみの光』感想・レビュー・考察
「思い出すこと」と「語らないこと」のあいだに横たわるものは何か。映画『遠い山なみの光』は、母と娘の記憶をたどるなかで、言葉にはならない感情や断ち切れない過去の影を浮かび上がらせる。原作は、記憶と沈黙を繊細に描き出すノーベル文学賞作家カズオ・イシグロのデビュー小説である。
この度ギャガ様のご招待で、試写会に参加させて頂きました。

▼あらすじ
1980年代のイギリス。大学を中退し作家を目指す女性ニキは、戦後長崎から渡英し、イギリス人の父と再婚した母・悦子に長崎時代の話を聞くため、久々に実家を訪ねる。口の重い悦子だったが、娘に乞われ、少しずつ過去の記憶を語り始める。それは、戦後復興期の長崎で出会った、悦子とはまるで対照的で自由奔放なシングルマザーの佐知子とその幼い娘と過ごしたひと夏の思い出だったのだが。
allcinemaより引用

カズオ・イシグロの小説には、いつも「語られなかったこと」が漂っている。事実よりも、語り手の記憶や沈黙の間にこそ真実がある。広瀬すず主演の映画『遠い山なみの光』もその特徴を受け継いでいる。しかし、タイトルや原作から想像する静かな物語とは少し違う。
物語は、1980年代のイギリスに住む悦子(吉田羊)が娘のニキに、1950年代に暮らしていた長崎の過去を語るところから始まる。そして、1950年代の長崎と1980年代のイギリスを行き来する形で進む。その中で悦子の語る記憶には事実と嘘が混ざり、話すたびに輪郭が揺れる。母として娘に伝えたい思いの強さも感じられるが、実はこの証言自体がミステリーへの幕開けだ。
終戦から7年後、長崎時代の悦子を演じるのは広瀬すず。
妊婦として暮らしていた悦子は、戦地から帰還した夫に尽くし、突然訪れる義父にもお弁当を作るなど、家事も完璧にこなしていた。しかし過去に縛られることを拒み、後にイギリスで新しい人生を切り開く。
並行して、悦子と同時期に長崎に暮らす佐知子という女性も描かれる。
演じるのは二階堂ふみ。
佐知子は子どもを抱えたシングルマザーで、異常なまでの執念で「アメリカなら何でもできるのよ!」と渡米を試みる。
この佐知子という人物、もちろん悦子とは別人物だが、物語が進むにつれて悦子自身の心の投影ではないか……と思わせる瞬間があるのだ。
例えば自身のことを話すときに、「実はこんな人がいてね」と語るように、悦子の記憶や感情が佐知子を通して表現されているように思われる。この仕組みにより、さらに物語は多層的に、ミステリー色を強めていく。

この物語の大きなテーマは「女性としての生き方」だ。戦後80年の今なら自立した女性は多い。しかし戦後間もない頃、家父長制が根深い時代は女性の自立は非常に難しいことだ。
それでも一歩踏み出した悦子の姿が力強く描かれているのだ。同時に、自ら人生を選ぶことの意味と怖さも浮かび上がる。
そして、伝えたいのに語ることのできない過去が、物語や母娘の関係に重みを与え、私達に深い余韻を残す。
本来ならついてはいけない嘘も、当時を生きるための術として仕方ないことだったのだろう。私達は、事実と嘘の間で揺れる悦子の心に寄り添いながら、女性として生きることの意味を考えることになる。
最後にタイトルの意味は、悦子が「思い出したこと」、しかし「語らなかったこと」を表現しているのではないだろうか。
幾重にも重なる昔の記憶は時に曖昧になり、遠い光のようにぼんやりと映るはずだ。そして角度によっては違って見える。間違えてしまったことも、時間の経過とともに正当化されてしまう、そんな危うさもある。
事実を知っているのは悦子だけ。
私たちが触れられるのは、彼女が語った真実にすぎない。


出演:
広瀬すず
二階堂ふみ
吉田羊
カミラアイコ
柴田理恵
渡辺大知
鈴木碧桜
松下洸平
三浦友和
監督・脚本・編集:石川慶
原作:カズオ・イシグロ/小野寺健訳「遠い山なみの光」(ハヤカワ文庫)
製作年:2025年
製作国:日本・イギリス・ポーランド合作
配給:ギャガ
劇場公開日:2025年9月5日
上映時間:123分
映倫区分:G
(C)『遠い山なみの光』製作委員会