モノクロという「色」で生まれ変わった 『ゴジラ-1.0/C』【ネタバレあり】
みなさん、こんにちは
椿ですっ。
『ゴジラ-1.0/C』
遂に1月12日より公開されました!!
よもや、『ゴジラ-1.0』をご覧になってない方は、いらっしゃいませんよねぇ?
いらっしゃいませんよねぇぇぇぇ??、いらっしゃいませんよねぇぇぇぇぇぇぇ・・・
私、『ゴジラ-1.0/C』公開初日朝一番に観て参りましたっ。
今回で『ゴジラ-1.0』鑑賞は12回目。私の最多劇場鑑賞記録『シン・ゴジラ』と回数が並びました。でも、もう、この鑑賞記録を超すのは確定です。だって、、無茶苦茶面白いし、これは絶対、劇場で体験したい映画だから・・・。
(1/19に13回目のゴジラしてしまいました(;^_^A)
これまで公開されていた『ゴジラ-1.0』と今回公開された『ゴジラ-1.0/C』とは何が違うのか?
今作のタイトルに、何気に付いた「C」って、何??だれです?ビタミンCって思った人??
このタイトルをカタカナ表記すると『ゴジラマイナスワン/マイナスカラー』となります。
《color》の頭文字をとってのCだったわけですね。
では、マイナスカラーってどういうことなの?
色をマイナスした⇒色を抜いた⇒桃黒(ももクロ)って違うがな!!⇒白黒(モノクロ)
そうです。本作、既出の『ゴジラ-1.0』をモノクロにして再上映したものとなっています。
「なぁんだぁ、ただ色をモノクロにしただけなんだったら、もう『ゴジラ-1.0』は観たし、改めて観る必要はないっしょ。」
「カラーの映画を白黒にしてもう一回商売しようだなんて、東宝さんもあざといなぁ・・」
なぁんて声が聞こえてきますが、、
不肖椿。
声を大にして言います
『ゴジラ-1.0/C』と『ゴジラ-1.0』は違う映画だぁ!!
一度『-1.0』を見た人も、絶対『-1.0/C』は観るべきだぁ!!
はいっ、大切な事なので声を大にして申し上げましたっ
何がどう違うのか??
椿が『-1.0/C』を見て、感じたことを徒然なるままに、述べさせていただきたてまつりまする。
その前に本作のものがたりを復習しておきましょう
【ものがたり(ネタバレ含みます)】
終戦末期。日本の敗戦は誰の目にも明らかだった。神風特攻隊(片道の燃料と弾薬のみ積み込み、敵艦隊へ飛行機ごと突っ込むという、命を犠牲にして行った作戦)隊員の敷島も戦闘機に搭乗したものの戦闘機の不調を訴え本土南端の離島、大戸島へ着陸。しかし、この島に駐在していた整備隊長の橘に、機体には何の異常も無く、嘘をついて逃げ出したのだと見破られてしまう。
その晩、けたたましくなる空襲警報。何事かと外に飛び出す隊員たちの前に姿を現したのは、島に古くから伝わる恐竜のような怪物「ゴジラ」だった。敷島は橘に、飛行機に装備された機関銃でゴジラを殺すよう頼まれるが、怖気づき撃つことができない。そうしているうち、基地はゴジラにより滅茶苦茶にされ、橘以外の隊員は全員殺されてしまう。
特攻隊の職務を放棄して逃げたこと。逃げた先で、怖気づいた自分のせいで多くの人々を死なせてしまったというトラウマを抱えながら終戦後、帰国し東京へ戻った敷島。しかし、米軍の東京大空襲により敷島の住んでいた町は崩壊。家族もすべて死に絶えてしまった。瓦礫だらけの町中で、敷島は典子という女性とその連れ子の明子(典子の子供ではなく、ある女性から託された子供)とひょんなことから知り合い、奇妙な共同生活を送るようになる。
敷島は海に仕掛けられた機雷除去の仕事に就き、そこで船員の秋津、水島、元海軍技術士官の野田と出会い、着実に仕事をこなす。月日がたち、東京の街並みも徐々に復興を遂げ、敷島も3人で棲む家を建てられるようになった。
一方、日本近海ではアメリカの強大な軍艦が、巨大な何物かの襲撃を受け、撃沈される。データに寄れば、その何物かは、東京へ進路を向けていた。アメリカ軍は、ソ連との関係が非常にきな臭くなっていることから、軍事行動には出ないとして、その何物かの処理を日本側へ一任していた。
アメリカに接収された軍艦高尾の返却を受け、ゴジラ征伐に向かう間、敷島達の船でゴジラをおびき寄せ、時間稼ぎを命ぜられる。
と、そこへ突然ゴジラが敷島達の目の前に現れる。大戸島でみたゴジラよりも3、4倍ほど大きくなっており狂暴化。何とか対峙するものの、その巨大な化け物には通用しない。いよいよ万事休すか!その時、軍艦高尾が現れゴジラを攻撃。一時は劣勢に見えたゴジラだったが、受けた傷はあっという間に細胞が再生化。そして強烈な熱線を吐き高尾をせん滅させてしまう。
ゴジラの恐怖と大戸島でのトラウマが再び蘇り自暴自棄になる敷島を、典子は理解し、優しく包み込む。そんな典子の想いに心打たれ、明子と3人で新たに生活をやり直す決心をする敷島。しかし、そんな敷島の想いをあざ笑うかのように、ゴジラがとうとう上陸。典子が勤めに出ていた銀座を襲撃する。尻尾でビルをなぎ倒し、人々をその巨大な足で踏みつぶす。東京の街並みを、暴虐の限りを尽くし破壊するゴジラ。
典子を助けに行こうと銀座に向かった敷島は、なんとか典子と再会するが、突然、ゴジラが咆哮し、背びれが不気味な光に包まれたかと思うと、いきなり熱線を吐き出す。熱線は銀座中心部に命中したかと思うと、巨大な爆発ときのこ雲が立ち上り、次の瞬間、爆風により街がすべて飲み込まれ破壊される。典子もまた、その爆風の犠牲となってしまう。
ようやく復興の兆しをみせていた東京を一瞬にして瓦礫の山にしてしまったゴジラ。銃火器の攻撃でも倒せず、米軍の支援も期待できない状況の中で、果たしてゴジラを倒すことはできるのか・・。
カラーをマイナスにして得(プラスになっ)たもの
① ゴジラの恐怖
今回のゴジラは1954年の初代ゴジラ以降、一番怖いゴジラとしてファンの間でも高い評価を得ています。戦禍の中に引きずりもどされたかのような恐怖を、当時の観客に植え付け、戦争経験のない戦後生まれの観客にも、その破壊神、怒れる鬼神ぶりをみせつけ、観る者を慄かせた初代ゴジラ。その後、ほかの怪獣と闘うゴジラから、子供の味方に変遷し一時は幕を下ろしてしまったゴジラ。そんなゴジラの復活を多くのファンが望み、平成の世に再び蘇り、新たな世代のファン層を獲得し、「キングオブモンスター」の地位をゆるぎないものとしたゴジラ。
ゴジラ復活の際、ファンの多くが望んでいたのは「初代のような、怖いゴジラ」の復活。平成の世に復活し、アニメの世界やハリウッドをも席捲したゴジラは、確かに「凄いゴジラ」「強いゴジラ」「かっこいいゴジラ」「神々しいゴジラ」ではありましたがファンの期待する「怖いゴジラ」ではありませんでした。一本だけ『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』でのゴジラが、白目をむき出しにした「怖いゴジラ」として人気でしたが、オカルト要素が組み込まれた意味での「怖い」ゴジラであり、ファンが期待する「初代ゴジラ」が持つ怖さとは毛色の違うものでした。
そのゴジラを愛するすべてのファンが望んだ「怖いゴジラ」、そして復活させようと様々な映画人が挑戦した「怖いゴジラ」、そして見事に玉砕した「怖いゴジラ」・・・。
正直、手垢のついてしまったゴジラというキャラクターで「初代ゴジラ」に立ち返ったような「怖いゴジラ」を作ることは、もう無理。多くのファンや映画人はおそらく、そう思っていたことと思います。
それをいとも簡単に成し遂げてしまったのが、『ゴジラ-1.0』でした。
しかもなんの外連味も無く、ただただ初代ゴジラ的なものを現代スクリーンに呼び戻しただけなのに。町を破壊し、文明を破壊し、戦争という災禍から立ち上がった人々の希望を再び叩き壊すゴジラ。それをシンプルに描くことこそ怖いんだ、という発見に至った。
「初代ゴジラ」の呪縛から解き放つため、「初代ゴジラ」の物語は無かったことにして、原点の“終戦後”の時代に設定したのも吉と働いたようです。
そんな「怖いゴジラ」映画を更に原点に戻し、近づけようとしたのが。今回の『ゴジラ-1.0/C』の目的であったと感じましたが、見事に功を奏しました。
まず、カラー版では時折目につく(本当に時折、ですが)CG感が、モノクロ版では色が抜けたことで立体感が薄まったことにより、画面全体が上手く溶け込んでCGっぽさが改善され、より違和感のない映像に仕上がったこと。これにより、破壊の限りを尽くすゴジラに一点集中して入り込めるようになりました。
精巧なVFXと細やかなデティールの表現により、ゴジラの体躯は、より生物的なリアルさを獲得しています。ただ、その副産物として、「ゴジラがかわいい♡」という評価も多く出ていました。確かによく見ると、今回のゴジラは猫顔。猫科の哺乳類的な顔をしているので、すこぶる猫好きには「かわいい」と評判です(笑)
それがモノクロになると、やはり少しくすんだような映像となるため、ゴジラの顔に陰影ができ、怖い表情がより強調されました。
次に「闇」「黒」が強調されたこと。冒頭のゴジラ登場シーン。大戸島に鳴り響く空襲警報。何が起こったのか分からず戸惑って出てきた隊員達の目の前、海岸を照らすサーチライトに突然、グワッ!!と口を開け咆哮するゴジラ。
ここ、12回見ている私でも、改めてビックリして、飛び上がりました(笑)。
いや~んっ、怖いぃぃ・・!(´Д`)
未知の怪物の出現に恐れ戦く隊員たちと、その時、同化した自分がいました。
(昔『アリゲーター』というホラー映画で「必ず、12回は飛び上がります・・」というキャッチコピーがあったなぁ・・。はいっ?あっ、お呼びでない!こいつは失礼いたしやした!)
また、ゴジラが熱線を吐き、どす黒いきのこ雲が立ち上るシーン。カラー版では灰色と赤黒い炎を含んだきのこ雲が描かれ、神々しくもありリアリティも感じられましたが、モノクロ版では不気味に膨れ上がってくる感じがひたすら怖い。
そして、生き残った敷島の頭上に降り注ぐ「黒い雨」の漆黒さ。この後に生者たちに襲い来るだろう被曝者の運命を暗示するかのような黒色の雨が周囲を黒く染める。その黒が、カラー版よりも黒さが強調され、核爆発、核汚染の恐怖と絶望感を観る者に植え付けることに成功しています。
そして、ラストカットの、大変な話題となったとある人物の首筋の不気味な痣。カラー版では気づかなかったのだけど、モノクロ版では明らかに、その痣が隆起したのです。黒くて太い血管が浮き出てきたかのように。幸せなエンディングかと思わせておいて不幸に突き落とす様も、モノクロにすることでより一層映えました。
②色がマイナスなのに映える
『ゴジラ-1.0』フルカラー版を見たとき、少々色彩がはっきりしているというか、まぶしいというか、強い感じがしていました。私の単なる思い込みなのかもしれないしい、デジタルやVFXでのクリアな映像のためなのかもしれませんが、その美しさが、戦後まもなくという状況下を描く作品としては少々違和感を抱かせたものの一つではありました。
現に、本作を批判する意見の中に「戦後を描いている作品に見えない」というものが多く(その大半は、私に言わせるとイチャモンだよ・・と思うものですが⇒失礼!)、私と同じように、色彩、映像のクリアさを指摘するものが数件見受けられました。
どうしてそのような配色になったのか、今回のマイナスカラーを見て自分的に理解しました。
これは、初めから「マイナスカラー版」を意識して作られていた作品だった。むしろ
こちらがメインの本編なのではないだろうか
という思いに至りました。
そうです。本作は『ゴジラ生誕70周年』と銘打たれてリリースされた作品ですが、公開された昨年はまだ69周年目。今年こそが70周年なのです。その今年になって公開されたマイナスカラー版こそ、「70周年記念」作品!そういう思惑で「これでもくらぇぇぇぇ!!」とばかりにボンッ!!と出してきたのではないかという気がしてなりません。
黒澤作品にみる白黒とカラー
今回の「マイナスカラー版」を見て、私は黒澤明の白黒時代とカラー作品時代との作品の比較に感じるのと同じものを感じました。
黒澤明、と言えば世界に名だたる名監督であり、映画好きでなくてもその名前くらいは耳にしたことがある、映画界にとっての偉人。血気盛んな頃に作られた作品は特に評価・人気ともに高く『七人の侍』『用心棒』『椿三十郎』(あれっ?どこかで似たような名前を・・・(;^_^A)『天国と地獄』などなど、枚挙にいとまがありません。
その黒澤作品、白黒時代とカラー時代では評価が大分異なります。一般的にはカラー作品の評判はあまり高いとは言えません。いろいろとあるとは思います。ちょうど作品の分岐点あたりに一度、自〇未遂をしていたこともあり、精神的な変化が関わっていたり、年を重ねた作風の変化、外国資本の参入等、旧作と状況が違うところがいくつもあり、それが複合的に相まって作品の評価も変わっていきました。
極私的な考えで、それは関係ないと思う方もいるかとは思うのですが、カラー作品になってからの黒澤作品の「色彩のどぎつさ」が、観る人にちょっとした違和感を与えているような感じがしてならないのです。『乱』『影武者』『夢』など、キャンパスに極彩色の塗料で殴りつけたかのような感じできつい色使いをフィルムに叩きつけています。カラー時代になってからの黒澤作品の絵コンテを見ると、芸術的でもあり目が痛くなるほどの強烈な色彩感覚に驚くばかり。
でも、これが、黒澤の持ち合わせていた、色彩への感覚なのだろう、と思いました。
では、白黒時代の映画はどうかと言えば、これまた、白黒だからこそ観る者の目に直接訴えかけてくる色を感じさせるのです。『七人の侍』での豪雨の中、泥まみれになって戦う侍たち。そのどす黒い泥と雨、『蜘蛛巣城』での立ち込める霧の白、こんもりと城を囲む「動く森」の緑、『天国と地獄』のスラムの闇、『椿三十郎』での椿屋敷の赤と白の見事な椿、噴水のように吹き出す血・・これらも、おそらくカラーにしたら、かえって目にきつくなり観る者を怯ませてしまったのではないか、とも感じるのです。
なんだか、黒澤映画の話に脱線してしまいましたが、黒澤作品ほど極端ではもちろんありませんが、少なからず、色使いというのは白黒作品を意識した、濃いめの色使いで作られていたと、どうしても感じてしまいます。
例えば、ゴジラが吐く熱線。背びれがガキンガキン!とロボットのように飛び出し、スタンバイ!!GO!!!と言わんばかりに『宇宙戦艦ヤマト』の波動砲のようにビョーッツ!!とまぶしい熱線が飛び出す。青白く輝く背びれなど、チェレンコフ放射光(核臨界時に発生する光)の意味合いもあるのだと思いますが、ちょっと強烈すぎて、カッコよく漫画っぽくも映ると感じます。白黒だとぼわっと怪しげな白い光となって映るので不気味で恐怖を感じさせる色遣いになるのです。
濃いめの色彩をカラーで作り上げておくことで、モノクロ処理した際、その部分の色あいが、自然に、説得力を持つ形で観る者の視界と脳に入り込んでくる。そう、感じます。
③旧作へのオマージュ
山崎監督は、本作で自分の好きな映画作品を様々な形でオマージュしています。(そこが本作に惹かれてしまう魅力の一つでもあります。)『ジョーズ』『スターウォーズ』『ジュラシックパーク』等、どことなく、あっ、なんかどこかで見たことある。。という感覚を覚えた方も多いのではないでしょうか。
もちろん、そんな山崎監督のことですから、旧作『ゴジラ』へのオマージュも各所で盛り込んでいます。そこをモノクロにすることで余計に、その部分が強調され目に入ってくる。
例えば、冒頭の「東宝」のロゴ。現在使用されているカラーの東宝ロゴが出た後、旧作ゴジラと同じ、白黒の「東宝」ロゴが登場。雰囲気を盛り上げてくれます。
ゴジラが電車を口にくわえて移動するシーン。旧作ゴジラでも代表的なシーンですが、旧作をご覧になった方なら、「こっ、これはぁ!!あのゴジラが蘇ったっ!」と感じること必至です。
また、ビルの上から決死の想いで目の前のゴジラの実況をしているテレビクルー。
このシーンも旧作での、電波塔から中継しているクルーのシーンのオマージュで、旧作では夜間の惨劇だったため、暗いシーンの中に、帝都を燃え上がらせる炎の明かりに照らされたクルーの命がけの実況が強烈に印象付けられます。今回のテレビクルーの場面も、「フルカラー版」だとちょっと笑いたくなってしまいそうですが、モノクロにすることで旧作のオマージュが効き、単なるパロディのようには終わらない、クルーたちの執念を感じさせるように映ります。
細かい所では廃墟をガイガーカウンターで放射能測定をする、旧作に登場した田辺博士という登場人物を彷彿とさせる恰好の人物が居たりするなど、モノクロだと旧作そのものを感じさせてくれ胸が熱くなります。
ちょっとマイナスカラーとは脱線しますが、ほかに、ゴジラが咥えた電車内に取り残される典子の場面は『キングコング対ゴジラ』だったり、ゴジラの肉片が散らばって云々は『ゴジラVSビオランテ』のG細胞だし、明子の鳴き声が旧作『ゴジラ』での野戦病院の子供の泣き声そっくりだったり(それは私のの思い込みかも・・)熱くなるオマージュがいっぱいです。
④俳優陣もひきたつ
正直、本作の俳優陣は、みんな素晴らしい人ばかり!
クサイ芝居だなんだという人もいますが、まぁ、言いたい人には言わせておけばよい。
皆、熱く、感動させることを心得た名演を見せてくれています。
ただひとつ難点と私が思っていたのは、皆さん、顔が綺麗なんですよね。肌も美しすぎる。これは、メインの役者さんに限らず、端役、エキストラに至るまでがそうです。もちろん、映像技術が上がって、クリアで美しい画面になりフィルムでなくてデジタルで撮影されたせいもあると思います。ただ、それ以上に戦後80年もたち、平成生まれの人が大きく役者として活躍する時代の中、戦後まもなくの、それどころか、昭和の頃の雰囲気がにじみ出る人が皆無になってしまった。令和の洗練された生活様式に人々が慣れ親しむようになり、例えば貧乏な市井の人々や農漁村の人々といったような、どことなく「泥臭い雰囲気」の人が居なくなった。なので、そういう人を役として演じるとき、当然、芝居になってしまって、昭和時代の映画的な市井の人々、どこか泥臭い人々のリアルさが現れてこないんですよね。また、今の人と昔の人の存在感というか、同じ年齢でも昔の人の方が全然大人っぽく、悪く言えば老けている。その分存在感も強い。「時代劇」が廃れてきたのもそういう理由は大きかったと思います。
『ゴジラ』の物語で言えば、破壊された街を復興する人々なんかを見ていると、旧作では本当に困窮し、生活に疲れた人々を感じ取ることができるのに、今作では、「困窮している」感じは器用に演じられていても、にじみ出るものが感じられない。これは演技力云々でなくて、令和の時代の生活を送っていれば持ち得なくなった雰囲気の問題だと思うのです。
そう考えると、敷島を演じた神木隆之介や典子を演じた浜辺美波などにも同じことが言えます。演技は素晴らしいし、浜辺美波に至っては、昭和の女性像をよくここまで描出できたものだと舌を巻きますが、やはりいかんせん、顔が綺麗すぎる。特に二人はベビーフェイスなのでなおさら。
しかし、ここでもモノクロ効果が表れていて、肌の美しさが抑え気味になり、しわや陰影が強調され老け気味な顔になり、落ち着きが出てくること、より目や眉などの顔のパーツがくっきりとして、それらの動きが鮮明に見え、ドラマ自体にかなり生きてきます。
同様に、橘を演じた青木崇高が、嘘をついて特攻を抜けた敷島を問い詰めたところ、逃げたあとに怒りをこらえる場面など、目力がモノクロの陰影でより力強くなり、安藤サクラ演じる太田の存在感も、いかにもな昭和のお母さん的な雰囲気がモノクロにより出て、彼女の的確な芝居をよりカヴァーしていました。そして最も印象深く感じたのは、吉岡秀隆演じる野田博士。普段は飄々としていてちょっと頼りない感じなのですが、ワダツミ作戦の説明をしている時、スライドを投射する機械の光が彼の顔の下方に当たる。「海がゴジラを殺す」というセリフとともに、非常に狂気に満ちたような、恐ろしい顔になる。モノクロにより、この博士の決死の想いと、本来この人物の持ち合わせている信念を感じさせる名シーンとなりました。
⑤ワダツミ作戦
本作の最大の見せ場である「ワダツミ作戦」。ゴジラを駿河沖までおびき出し、海上決戦をしかける作戦。もちろん、「フルカラー版」でも十二分に楽しめますが、海とゴジラの深い黒、鉄を感じさせる黒を帯びたグレーっぽい軍艦、そして呼応する伊福部昭の『SF交響ファンタジー 第一番』の音楽とが相まって、より重厚でかつスピーディな迫力の場面に仕上がりました。最高に熱いシーンであり、是非「マイナスカラー」で味わっていただきたいです。
『ゴジラ-1.0/C』と同じ試みを、実は『ゴジラ-1.0』公開直前に行ったゴジラ映画があります。それが『シン・ゴジラ/オルソ』でした。シン・ゴジラの方は、現代の物語でもあり、ゴジラもかなりスタイリッシュな感じが否めず、マイナスワンほどの効果は得られていないと感じました。正直、話題作りかなぁ・・。くらいな印象でした。映画は面白いので、別にモノクロにしなくても・・・。
なお、本作(マイナスカラー版)は映画プロデューサーとして長く日本映画の発展に寄与し、山﨑監督の多くの作品に関わった阿部秀司氏に捧げられています。氏は『ゴジラ-1.0』が遺作となり、公開されて間もなく2023年12月11日にご逝去されました。ご冥福をお祈りします。
そんなわけで、またしても無意味に長くなってしまいました。
読む人の事を考えない、自分勝手なコラムになってしまい申し訳ありません。
そんな、ここまでお付き合いくださった皆様には本当に感謝です。
本作を初日に観て、すぐにコラム執筆に手を付けたのですが、なかなか筆が進まず、その間に素晴らしい2本のコラムに先を越されてしまい、自分のコラムの稚拙さに呆れかえってしまいましたが、まぁ、自分ができることをやるしかない、と、書き進めました。
本当に迷惑なシネマニストですが、今年もどうぞよろしくお願いします。
そして、これだけはお願いです・
『ゴジラ-1.0/C』観てねぇぇぇぇぇ!!!
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投稿を表示冒頭の東宝のオマージュ、僕も一番最初にメモしました。
ああいうところからのこだわりで引き込まれましたねぇ~
僕も一時期黒澤映画『羅生門』『隠し砦の三悪人』なども観ていて、洋画ではチャップリンの作品も好きなので、今回モノクロは絶対観たいと思っていましたね👍
それより・・・13回は凄い!?!?
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