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2025/10/24 16:46

魔人ドラキュラ

魔人ドラキュラ

 1931年 アメリカ 

スタッフ 監督:トッド・ブラウニング、カール・フロイント 脚本:ギャレット・フォート 原作 

     :ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』 製作:カール・レムリ・Jr 原作戯曲:ハ

     ミルトン・ディーン、ジョン・L・ボルダーストン 撮影:カール・フロイント

キャスト ベラ・ルゴシ、ヘレン・チャンドラー、デヴィッド・マナーズ、エドワード・ヴァン・ス

     ローン、ドワイト・フライ、ハーバート・ブンストン、フランセス・デード、チャールズ・

     ジェラード、ジョーン・スタンディング ほか

500年前に死去したはずのドラキュラ伯爵はトランシルヴァニアの彼の古城に夜毎現れていた。ドラキュラは恐るべき精気を持って死棺仲に生息していたのである。若い法律家のレンフィールは既にドラキュラの魔気にかかり彼の古城に招きよせられ、ドラキュラの命ずるままに死棺を英国行きの漁船に積んだ。途中、洋上で大暴風雨に会い、難破し彼ら2人はウィスピーの漁村に漂着したそして近所のカーファックス寺院の地下室にドラキュラの死棺は置かれた。半狂人となったレンフィールドは下僕の如くドラキュラが命のままに動き、夜毎ドラキュラは街に現れて若い女の生き血を吸い求めて歩いた。レンフィールドは遂に狂人病院に収容されたがドラキュラはミイラと化し、ある時は霧となって魔手を延ばした。

『魔人ドラキュラ』は、アメリカのユニバーサル映画が製作したホラー映画。1931年2月14日公開。主演ベラ・ルゴシ、監督はトッド・ブラウニング。日本では1931年10月8日に公開された。ブラム・ストーカー原作『吸血鬼ドラキュラ』の初の正規映画化作品。世界的にヒットし、戦前のホラー映画ブームを巻き起こした。ユニバーサルは怪奇メーカーとして名をはせ、ドラキュラ伯爵役で主演したベラ・ルゴシも世界に知られる怪奇スターとなった。制作にあたってストーリー展開やドラキュラ像はほぼ舞台版が踏襲されています。イギリスに渡航する際の嵐のシーンは、1925年公開のサイレント映画『The Storm Breaker』(当時の映画史においても重要な作品とされています)のシーンを流用しています。「吸血鬼ドラキュラ」にはモデルとなった人物がいます。15世紀のワラキア公国(現在のルーマニア)君主で、敵兵を生きたまま串刺しにする「串刺し刑」を好んだことから「串刺し公」と呼ばれたヴラド・ツェペシュがその人。彼の父ヴラド2世は“ドラクル公”、そしてその息子であるヴラド3世(=ヴラド・ツェペシュ)はズバリ“ドラキュラ公”とも呼ばれていたそうです。原作小説に彼の固有名詞がはっきりと記載されている訳ではありませんが、作中でドラキュラ伯爵が語るかつての戦いの記憶がヴラド・ツェペシュの伝承と酷似しています。

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