ファッキンルッキズム「エリザベート1878」
ヨーロッパ宮廷一の美女と称えられた皇后エリザベート、その美貌とドラマティックな人生は度々舞台、映画、ドラマになっており今なお劣らぬ人気を誇るオーストリア皇后をご存知だろうか。映画「エリザベート1878」そんなエリザベートの40歳の誕生日前後のお話である。
あまりの美貌から彼女の顔に関する逸話は数多く存在しており暴徒と化した民衆の怒りを彼女が抑えただとか、外交の際ににっこり微笑んだだけで場が和んだだとかそりゃもう美人て得ですなぁという伝説が多いわけだ。
しかし美しさへの代償も大きい。晩年のエリザベートは外出の際には黒いベールで顔を隠し老いた姿を人に見られまいと隠れるように生きていた。
カメラも出てきている時代である。今でいうパパラッチ的な奴らが彼女の外出ごとに追っかけ回し撮りまくり老いたとかき立てたのだ。
人間嫌いにも拍車が掛かる。
そんな老いかけの頃のエリザベートにフォーカスした全く新しい視点の映画が「エリザベート1878」である。
カンヌ国際映画祭ではある視点部門では最優秀演技賞に輝いた。
主演のヴィッキークリープスもちょうど40歳であり、皺やクマをあえて消さずに演じている。
中指を立てたフライヤーは「美」に対して羨望の眼差しをむけ続ける私たちを嘲笑っているかのようだ。
1878年、それはエリザベートが40歳の誕生日を迎えた年である。
カミーユの「she was」の音色に合わせてエリザベートが公務でぶっ倒れ帰ってくる。
わざと倒れたそうだ。
あの窮屈な雰囲気が嫌で抜け出す方法を考えた。彼女は気絶のふりが得意だという。
夫は戦争の真っ最中である。オーストリアが圧倒的に不利な状況で、戦況報告は燦々たるものばかり。
彼女が夫に助言しようにも夫からの反応は薄い。
彼女はしょっちゅう家を空ける。冬には妹の家に行き、夏も城にはいない。
夫はそのことに大して何も言わない。
部屋の中に従兄弟君を引き入れ男女の関係があるかのようにイチャコラしていても何も言わない。
自分に興味の視線を向けてくれない夫に苛立つ。
美の象徴として国民から絶大な人気があったエリザベートだがは残酷にも彼女の足元に忍び寄る。
彼女の40歳の誕生日、40本の蝋燭を一息で吹き消すと招待客に「まあ、元気ですこと」と嫌味ったらしい口調で言われプイッと自室に帰ってしまう。
奔放な性格で、タバコを吸い、ドラッグをやり、身分の低い男と恋の真似事をしたりなんかして息子に怒られる。
そう、のちに謎の死を遂げる次期オーストリア皇帝ルドルフである。
彼もまだこの頃は父に似てとても利発な青年である。
人類初のストイックダイエッターという通り、作中でも懸垂をしたりフェンシングをしたりと忙しい。
コルセットをシーンでは「もっと」「もっと」「もっと」とまるで自傷行為のように唱える姿が胸に突き刺さる。
ほとんど宮廷におらず公務もこなさない職務怠慢に移るエリザベートだが、彼女の本当の願いは夫ルドルフに愛されたい、振り向いて欲しいということだけである。
しかし夫からの反応は薄い。
映画のほとんどが彼女の希死念慮で染まっており、朧げな彩りである。
一度でも美しいと称賛されたことのある人なら彼女の恐怖が身に迫るはずだ。
愛されていたのは若くて美しかったからか?
ほめそやされたのは美しかったからか?
老いた自分の存在意義は?
苦しんでまで生きる必要がある?
そして彼女は最愛の夫のためにある決断をする。
この映画は始終淡々としており、特段の盛り上がるシーンはない。
しかし女性にこそ見てもらいたい作品である。
私たちに向けられていた称賛の眼差しはある時消える。
それは老いという影が忍び寄ってきた時である。
大国の皇后が影に怯え、逃げ惑う姿を他人事としては見れないのではないだろうか。
最後のシーンは私たちそれぞれの想像に委ねられている。
実際のエリザーべトは皇族なら誰でもよかったという理由で革命家に殺された。だが私たちの想像上の彼女はどんな幕引きをしたのだろうか。
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投稿を表示『ボヘミアン・ラプソディ』『ロケットマン』『ジュディ』『アリー/スター誕生』のような才能で名声を築いた人たちと『英国王のスピーチ』と本作のような持って生まれた立場や容姿の人たちでは違う部分はあれど、全盛期と苦悩のニュアンスはとても似ているような気がします...!!
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