THE SOUNDO OF M.LEGEND5 007
これで最後になるルグラン・サウンドの回帰です。
ルグランはボンド・ミュージックをつくっていた
ネバーセイ・ネバーアゲイン
S・コネリーが再々JBに登板します。「サンダーボール作戦」のリメイクになるのですが、これはイアン・フレミングの原作ではなく、ケヴィン・マクローリーと共作によるもので映画化前提のものでした。フレミングは勝手にイオンプロに著作権を渡してひと騒動になりましたが、マクローリーと製作者扱いするなどで、映画化はされて北米の興行成績はシリーズ最高にヒット作品になりました。
ここから007の権利問題が長年にわたり訴訟が続くことになります。007の映画化で登場したスペクター、ブロフェルドはこのマクローリー創作のものと主張となり、「ダイヤモンドは永遠に」をもってスペクター、ブロフェルドは姿を消します。
マクローリーは独自に007を製作しようとしていて「秘密諜報部員ジェームズ・ボンド」なる企画を進めていました。1970年後半に007以外で再ブレイクしたS・コネリーが自ら監督して、「秘密諜報部員ジェームズ・ボンド」に挑むという報道がなされました。この企画が一致しているのか、どうかわかりませんが、番外「ジェームズ・ボンド」の製作が計画されていました。
S・コネリーのボンド・ムービーは「ネバーセイ・ネバーアゲイン」として実現されました。この長引く訴訟の和解案により、「サンダーボール作戦」のリメイクとなりました。
待望のS・コネリーのボンド復帰!「世界を救えるのは私だけ」

ということで期待満載でした。また同年にR・ムーアーによる「オクトパシー」も公開を控え初代VS三代目対決!と注目されましたが、公開日はずらされました(日本では)
イオンプロに権利主張のため、さまざま制約が課せられました。「007」の「7」の拳銃マークは使用不可、あのテーマ曲も使用不可に加えてストーリーも「サンダーボール作戦」の範囲でと。敵を当時の世相を反映して中近東のテロリストにしてクライマックスは自由の女神で繰り広げる展開だったそうですが、NG!
S・コネリーはボンド徹して仲のいいアービン・カーシュナーに監督をさせ、エドワード・フォックス、クラウス・マリア・ブランダーなどコネリー・ファミリーで固めて製作されたのです。
問題の音楽はM・ルグランが担当したのです。
せっかく、コネリーのボンドが見れるのに、あのテーマがないならボンド映画ではないと評判はイマイチでした。ストーリーの制約のせいか、盗まれた核弾頭2基のうち、1基ははやばやと奪還してしまうなど、気の抜けてしまう展開でした。
その不評にめげず、ルグランはこの伝統的アクション映画に取り組み、J・バリーに負けじとビッグバンド・オーケのフュージョンサウンドはなかなか良かったのです。しかし、公開当時はこのサントラ盤が発売されていなかったようで、だいぶん時を経てからCD化されたのでした・・・
主題歌はラニー・ホール、かのハープ・アルバートの奥さんが担当し、ルグランによる007ソングもGOODな曲でした。当初はダイアナ・ロスが歌うと告知されていたのでしたが・・・
本家007よりも多い巨費を投入されたようですが、思うほどヒットはしなかったのでした。S・コネリーはスタッフがアクションに慣れていなかったと述懐しています。そりゃあの007チームのスタッフは、なかなかできるもんじゃないですねーー
コネリーはこれがショックか隠遁生活を送り半ば引退状態でしたが。「アンタッチャブル」で復帰しアカデミー賞を受賞します。自身のスピーチで「わたしはアカデミー賞にノミネートされたのは一度だけ」と。前後、P・ニューマンやJ・コバーンなどの受賞をみて、功労賞的なものかな、と思ったりします。
コネリーの話が多くなってしまいましたが、決してルグランの音楽は本家に引けを取らないサウンドであったことは確かです。
ルグランは同年の「愛のイエントル」をもってハリウッドから離れていくのでしたーーー