人間の理性・本性をえぐり出す漂流サバイバルと怪奇ホラーのSF特撮黎明期を見る『マタンゴ』
■マタンゴ
《作品データ》
『ゴジラ』などを手掛けた本多猪四郎監督&円谷英二特技監督による無人島サバイバル&怪奇ホラー。笠井商事の社長の笠井雅文は愛人で歌手の関口麻美、友人で大学助教授の村井研二と彼の教え子で恋人の相馬明子、新進の推理作家の吉田悦郎と、ヨットの国際大会で入賞経験がある笠井商事の社員の作田直之、あと臨時雇いの漁師の小山仙造を連れ、南太平洋を豪華な小型クルーザーでクルージングしていた。その途中で嵐に遭い、ヨットは漂流した末に未知のキノコが沢山生えている無人島に着いた。大学助教授の村井役を久保明が演じ、他水野久美、小泉博、佐原健二、太刀川寛、土屋嘉男、八代美紀、天本英世が出演。
・公開日: 1963年8月11日[出典
・配給: 東宝
・上映時間:89分
【スタッフ】
監督:本多猪四郎/特技監督:円谷英二/脚本:木村武
【キャスト】
久保明、水野久美、小泉博、佐原健二、太刀川寛、土屋嘉男、八代美紀、天本英世
《『マタンゴ』考察》
本多猪四郎監督&円谷英二特技監督と言えば、『ゴジラ』をはじめ、『空の大怪獣 ラドン』や『大怪獣バラン』等の怪獣特撮が直ぐに思い浮かべるであろうが、『ガス人間第一号』やあと円谷英二&福田純のコンビで『電送人間』など怪奇映画にSF映画の要素をあわせた「変身人間シリーズ」というのがあり、その番外編に当たる作品に『マタンゴ』という映画がある。
ボクはこの『マタンゴ』を映画としてよりも、別の文化から自然と覚えた。まずはファミリーコンピューターのRPGゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズの敵キャラに巨大なお化け人面キノコとして「マタンゴ」という名前を覚えた。それとほぼ同じぐらいの頃(中学3年生ぐらい)、ボクが聴いていた日本のロックバンドの筋肉少女帯の2ndアルバムの1曲目に「マタンゴ」という曲があり、映画を見ずして『マタンゴ』という映画があって、人々がキノコ人間になるホラー作品であることを自然と覚えた。
そして月日が経ち、20代後半になって映画マニアになると、『マタンゴ』が映画作品であることを知り、当時のTSUTAYAのDVDレンタルコーナーにどこの店舗にも本多猪四郎or福田純監督の「変身人間シリーズ」はだいたいあり、『電送人間』は借りたが、なぜか『マタンゴ』は借りないでいた。温めていたわけでは無いがやはり異様なB級臭…いやいやいやいや、あの本多猪四郎が作っているんだからB級のわけがないんだけど、借りる前から「これは微妙そう……」という直感と、あと何よりも先に借りた『電送人間』が10年以上前(2010年前後)でもさすがに衝撃度は低かったから、それ以上に「変身人間シリーズ」を見る気にはなれなかったんですよね。
そもそもこの「変身人間シリーズ」は昭和30年代後半の、まだウルトラマンも仮面ライダーもない時代、いやいやそれどころかやっと「月光仮面」がテレビ映画(要するにテレビの長編ドラマ)で出て来たぐらいだから、ガス人間とか透明人間がやっとなわけで、その時代的背景と、その後のウルトラマンや仮面ライダーなどのSF特撮番組で技術躍進を果たしたと考えないと、こうしたSF特撮作品黎明期の作品を見ることは出来ない。
そう、この作品が日本のSF特撮作品黎明期の作品というのを強く念頭に置いて、初めて見られる作品なのである。これを理解するのに時間がかかり、今の今まで「変身人間シリーズ」の『ガス人間第一号』、『美女と液体人間』とその番外編に当たる『マタンゴ』をスルーしていたが、こうして令和の世にTSUTAYAの店舗で『マタンゴ』に出会い、即レンタルしましたよ(笑)。
確かに本作は無人島に漂着した人達が次々とキノコ人間になったり、あるいは先にキノコ人間になったパイセンキノコ人間軍団に襲われる怪奇・怪異ホラー作品ではある。そこは間違っていないし、期待通りだが、個人的にそれ以上に驚いたのが、この作品、怪奇・怪異ホラーよりもメインキャスト7人による無人島or船内サバイバル&ヒューマンドラマとして物凄くクオリティーが高い作品だった!
要は4000万円もするクルーザーで伊豆諸島沖辺りをクルージングしていたベンチャー企業の社長&その友達たちが突然の嵐に遭って、その際に無線機が壊れて、漂流状態となって、漂着した謎の島でサバイバル&たまたま通りかかる船に助けを求める作戦をする、そんな中で漂着先の島が謎のキノコがたくさん原生する所で、さらに先に漂着していたボロボロの船で「マタンゴ」と書かれた(英語で)謎の巨大なキノコを目にし、さらなる怪奇・怪異に出くわす、というものである。
先程サラリと4000万円のクルーザーと書いたが、この映画の3年後の1966年、テレビドラマ「泣いてたまるか」に出て来た屋台のラーメンの値段が50円だった。3年の違いはあるがその近い時代の4000万円である。まぁ、このクルーザーの所有者は商事会社の社長だから、その商事会社とやらが大きかろうが小さかろうが会社の社長がクルーザーぐらい持ってても不思議ではないし、この頃、石原裕次郎や加山雄三の全盛期だからヨットや小型クルーザーでのクルージングとかが流行ってたのかなぐらいには思う。
余談だが、筆者は2000年ぐらいにパソコン周辺機器を取り扱う有限会社に所属したことがあって、そこの社長と社員数名で九十九里浜に遊びに行って、社長所有の小型クルーザーで遊んでた記憶が蘇ったが、この映画の笠井の小型クルーザーはその時のクルーザーよりも大きく、数人寝泊まりが出来る仕様ではある。
話が反れたので戻すと映画『マタンゴ』は「マタンゴ」の怪奇・怪異ホラー目当てで見ると、「ウルトラマン」シリーズや「仮面ライダー」シリーズ他SF特撮番組を子供の頃から散々見てきた昭和40年代生まれ以降の方なら正直物足りない可能性が高い。キノコ人間は見かけこそは怪人そのものでおどろおどろしいけど、別に噛みついたりしないし、怪光線もガスも出さないし、これといった攻撃はなかったりする。
ただこの人間を襲うキノコ人間はよく考えると怪人による怪奇ホラー黎明期の怪人だったりする。そのエポックメイキングは1941年の映画『狼男』だが、それだとドラキュラやフランケンシュタインと同じ西洋の妖怪の枠になる。もう少し怪人チックなものになると1958年のアメリカ映画『ハエ男の恐怖』や江戸川乱歩原作の日本映画『蜘蛛男』になる。
若干繰り返しにはなるが、こうしたSF特撮作品黎明期の映画であることを噛み締めて見ないといけない。
しかしながら、こうしたSF特撮作品要素よりもその恐怖に遭う男女7人の若者たちの言動に目を向けると結構味わい深い。メインキャストについては〈作品データ〉に書いてある通りだが(注:あれは毎回自分で書いてる)、この7人のコミュニティにヒエラルキーがあり、それがストーリーが進む中で変化し、ほとんどの人が本性を剥き出しになっていく。
その心理描写やヒエラルキーの変化が、なんと
リューベン・オストルンド監督作品『逆転のトライアングル』に非常に似た作りになっている!
…ま、分かるだろうが念の為に書くと、『逆転のトライアングル』には当然キノコ人間はでないし、逆に言えば『マタンゴ』のクルーザーに清掃のおばちゃんはいません(笑)。けど、序盤のクルーザー内の様子から嵐に遭った直後、さらに食料状況が乏しくなった時以降など、船内の人間関係というかヒエラルキーが微妙に変わり、このコミュニティ、ヒエラルキーの描写が繊細に上手く作られている。
そういえば作中ではヨットと言ってるが、どちらかと言うと金持ちが船遊び目当てで所有している10人ぐらいまで乗れる小型クルーザー/クルーザーだからここではクルーザーと書く。今さらだけど。
ここでクルーザー内のヒエラルキーを書く。
まず、このクルーザーのオーナーで笠井商事の社長の笠井が7人のコミュニティ内でのトップに君臨する。次に笠井の愛人で歌手志望の関口麻美。その次がこの映画の主人公で城東大学心理学研究室の助教授の村井と新進の推理作家の吉田は笠井の友人枠。あとヨットの国際大会で5位に入賞した経験を持つ作田も笠井の友人ではあるが、友人枠で笠井商事の社員にしてもらった経緯があり、一応クルーザーの「船長」ということにはなっているが自分で「雇われスキッパー」とちょっと蔑んでいる。
そのクルーザーの運転手として臨時雇いの漁師の小山がクルーザーを運転している。この佐原健二(「ウルトラQ」の人)が演じる小山は「臨時雇いの漁師」という設定しか書いてない。見た感じでは作田以外とは面識が薄そうなので作田のヨット仲間とみていいがその後、村井の教え子&恋人の明子の新入り歓迎会的な飲み会があるから、このコミュニティの集まりが前にもあったようなので、笠井&ヒズフレンズの運転手ポジションとなる。つまり、笠井以外のコミュニティ内ヒエラルキーは笠井との関係性&密さから
笠井≧麻美>村井=吉田≧明子>作田≧小山
になる。
これが嵐&遭難が起こることで、ヒエラルキーが変わる。遭難という難局から下手すると死ぬ可能性もなくはないので、ヨットの経緯が豊富な作田と小山が現場指揮官と副指揮官になる。ただ、それでもトップは笠井。オーナーだから一応コミュニティ内の頂点にはいるがお飾りのトップ。その次に大学の心理学の助教授である村井が知識人枠で作田&小山のすぐ下の補佐に。ここで愛人の麻美、教え子の明子、作家の吉田は難局で何も出来ないのでポジションが下がるが、麻美と明子はオーナーと助教授の彼女だから吉田がヒエラルキー最下層かも。
というように、数々のシチュエーション、局面、言動でヒエラルキーが変わる。
こうした複数人での無人島サバイバルというと2000年代前半にTBSのリアリティゲームのバラエティ番組で「サバイバー」というのがあった。あれはチーム戦やら追放審議会など細々なルールや設定、イベントがあったが、『マタンゴ』における無人島サバイバルはこうしたゲームやイベントなどないので、純粋な複数人での無人島サバイバルで「サバイバー」よりもリアルさがある。それこそリューベン・オストルンド監督作品『逆転のトライアングル』の後半の無人島サバイバルといい勝負である。
この映画のキャストを見るとこれまた興味深い。まず、一応主人公格になる村井役の久保明は『さらばラバウル』や『青い山脈』の二番手、三島由紀夫原作の『潮騒』の主演など、青春映画のメインキャストや黒澤明監督作品の名バイプレイヤーといった感じで、しかも「ウルトラマン」のハヤタ隊員役の候補だったらしく、そう考えるとどの局面でも常に二番手、三番手のポジションにいるのも納得。
小山役の佐原健二は『空の大怪獣 ラドン』、『地球防衛軍』、『美女と液体人間』など東宝の特撮映画の顔とも言うべき人で、個人的には「ウルトラQ」の万城目淳役として印象があるだけに、この映画の小山役は佐原健二がやるには意外性がある。普段はわりといい役が多いだけに、こういう役もやってみたかったのかな。
それと作田役の小泉博は元NHKのアナウンサーから俳優に転身した方で、実写映画版の『サザエさん』のマスオさん役だったり、笠井役の土屋嘉男や吉田役の太刀川寛、関口麻美役の水野久美などメインキャストは当時の東宝映画によく出てくる名バイプレイヤーばかり。
あと、難破船のキノコ人間役として天本英世が出てるみたいだけど…これは分かりにくい。後に死神博士になるけど、分かんないって。
この映画のテーマは遭難や無人島サバイバル、キノコ人間の恐怖など、あらゆる局面における人間の理性にある。それは終盤の村井のセリフからも伺える。
「人間は環境によって極端に利己主義になる。動物的になる。そういう時にこそ理性的行動ができなければ人間の進歩は終わりだ」
この理性を失い、動物的になるキーに食料難と食べると怪人になる禁断の食べ物(キノコ)、私利私欲にある。
『マタンゴ』は奇っ怪なキノコ人間に目が行きがちだが、こうした極限のヒューマニズムがしっかりと描けた秀作である。
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投稿を表示本作はDISCASさんのレビューでLOQさんと他にお一人で毎月、やっている映画会でお題になった作品でした。
じょ~いさんが書かれているように極限状態に置かれた人間がいかに利己的になり他者を押しのけて生きようとするかをリアルに描いた作品でしたね。一応の主役はいても無人島での各々の登場人物は役所としては同列に置かれていたように思います。
実は本作は一応、原案となった小説がありまして、英国の作家ウィリアム・ホープ・ホジスンの「夜の海の声」(他に「夜の声」などのタイトルがあるみたいです。)という短編です。
原案と書いたのは映画の中でそう紹介されていたからです。実際にホジスンの小説では難破したというきっかけは同じですが、濃霧の中で停止していた商船に近づいた手漕ぎボートに乗った男が難破したこと、婚約者のために食料を分けて欲しいと告げ分けてもらった食料を持って婚約者の元に帰った男は次の夜に再度、現れ、自分と婚約者が難破して辿りついた小島で起こったことを語るという構成になっており、最後に遠ざかっていくボートを漕いでいるのが人間ではない何者かということを示唆して終わります。
小説では怪異を正面に押し出しているのですが映画では生き残ろうとする人間の行動に焦点を当てた点が大きいので原作ではなく原案とした理由ではないかと推測します。
しかし、時代の古さを勘定に入れるとしても島に打ち上げられた帆船の外観、蜘蛛の巣や埃にまみれた船内など美術の見事さ、マタンゴの不気味さなど今でも見るべき点は多いと思います。それと素顔が分からなくても最初にマタンゴになりかけた人間を演じた天本英世さんの役者根性(『フランケンシュタイン(1994)』のデ・ニーロに匹敵すると言っても言い過ぎではないと個人的に思っています。)。今でいえば衝撃のラストでしょう。あの幕切れも最初に観たときにはショックでした。
東宝特撮が試行錯誤をしていた黎明期のパワーを感じます。もっと多くの人に観てもらいたい作品です。
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投稿を表示コレね…🙂↕️
うんうんって頷きながら読みましたw
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