若者よ聴け!20世紀最強のサウンド(^^♪ BECOMING LED ZEPPELIN

70年代はハードロックの時代だった・・・
ビートルズという存在から次々とロックバンドが形成されました。
多くはイギリスからーーー日本はブリティッシュロック崇拝志向です。
しかし伝説のブリティッシュバンドの多くは本国で評価されず、アメリカや他国での成功で世界的に知られるバンドになっていくーーこれが70年代のバンドの成功の秘訣でありました。
ツェッペリンもそうだったのです。なぜアメリカが重要かは、この作品で語られています。
レッド・ツェッペリン:ビカミング・・・
現在のメンバー3人のインタビューと故J・ボーナムの数少ない音声アーカイブをもって、当時のニュース素材をインサートしながら、進んでいきます。

やっぱり007
知られているように「007ゴールドフィンガー」のギターソロはJ・ページであることを。
わてはインストのギターがジミーのものだと思っていましたが、S・バッシーの歌う主題歌に参加していたことが紹介されます。さらにベースがJ・P・ジョーンズもとは・・・ここで二人が出会います。
また「いつも心に太陽を」にも参加しており、シンガーのルルはその後、{007黄金銃を持つ男」と歌っています。
レッド・ツェッペリンⅠ・Ⅱ
映画で描かれるのはこの2枚のアルバム。ミーハーなツェッペリン崇拝者としてはこの後を見たかったのだけど・・・後半はツェッペリンのライブ映像が見れます。ギンギンのロックではなく、ブルースな世界、そして演奏時間の長さ、R・プラントの打楽器のような声にJ・ペイジのうなるギター、そのうしろで何かがとりついたようなドラム、そのセッションの見事さを再見できます。

この(上)ビジュアルが母国で演奏してきたときのもの。観客はこどもた主婦たちもいて、みんな座って聞いています。こどもたちは耳をふさぎ、赤ちゃんを抱いたママは何が起こったのか、困惑した表情。ツェッペリンはまったくお呼びではないところが映されます。
そして本国でレコードが発売もされなく、アメリカへツアーに向かいます。一転して観客は踊りだし、演奏に狂う姿、ツェッペリン降臨が描かれます。

あの時代でこそ最高の音楽かつ再現不可能なサウンドであり、バンドであったこと
J・ボーナムの不慮の死によりバンド活動は休止し解散します。この時代のバンドはメンバーチェンジを繰り返しながら活動してきたのですが、ツェッペリンは終止符をうちます。オリジナルメンバーをもって解散するのはビートルズとツェッペリンくらいでしょうか?
J・ボーナム=ボンゾの代わりはいなかったのでしょう。
でもこんなメンバーが集まって、これまで体験したことのないあのようなサウンドが完成されたのかは、謎でした。四人が組んだことが奇跡とも言えます。
二度と再現されないサウンドなのです。
しかし疑似的にメンバーが集まった演奏会はありました。ページ&プラントとして来日コンサートを見ました。ツェッペリンの曲を演奏してましたが、やはりあのツェッペリンではなかった・・・
再現不可能なセッションなんです。
ボンゾはツェッペリンのなかで死にました。彼が語るバンドへの思いを生きている三人がそれぞれ聞いています。ジミー、プラント、ジョーンズの表情がなんとも言えぬものです。

わての望むツェッペリン映画ではありませんでした。
50年近く前に公開された「レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ」はバンド存在時に公開された作品で、ツェッペリンの映像があんまりなかったことで日本公開時は、多くの観客が劇場にあふれました。アホなことに配給会社がツェッペリンの偉大さを知らず、お正月映画のつなぎとしてわずかの期間での公開だったのです。特に関西は道頓堀東映パラス1館のみの公開(この頃大阪はキタ・ミナミの映画館で最低2館で公開が原則)。大阪でも長蛇の列となり、新聞広告でその模様を挿入して、「あと3日間!」煽り広告をを出して、アホか!
ツェッペリンの2時間少々では描きれません、仕様がない。
観客はオールドのひとたちがほとんど、いまの人は知らないかな?

BBCライブを聴け!
イギリス国営放送BBC(ラジオ)は一日の何時間かはレコードを流せないことになっておりました。レコード販売保護のための措置です。ラジオでレコードがかけられないって手足が縛られたようなもんですが。そこでBBCはアーティストをスタジオに入れて演奏=ライブをさせたのでした。
数々のアーティストがやってきます。60~70年代の大概のバンドがやっています。
そのライブはCD化されました。もちろんツェッペリンのCDもあります、2枚組です。その演奏能力の凄みを堪能できます。
山下達郎は言ってました「すべての若者は買え!」と。
若者よ、一度聴いてくれ!