スーパーマン、スーパーマン人間を超えた男♫

タイトルはこども時代に放映されていたアニメ「スーパーマン」の主題歌のサビです。
ハンナバーバラのアニメと同じく30分3本立ての構成で、真ん中はスピンオフ、「スーパーボーイ」のエピソードが挿入されていました。このアニメをみたのが最初のスーパーマンでした。
のちに実写のスーパーマンが夕方に放送されていました。
「空を見ろ!」「鳥だ!」「飛行機だ!」「――いや、スーパーマンだ!」というオープニングで始まり、
スーパーマンが去っていく時は「そこの窓を開けてくれ」と言って、ホップステップジャンプの三段跳びで空を飛んで行ったのでした。
日米における二大ヒーロー
アメリカはこのスーパーマンとバットマン、に対して日本はウルトマランと仮面ライダー
アメリカはヒーローの設定自体は不変ながら、繰り返しスタイルを変えて映画化されているのに対し、日本はキャラクターを時代とともに変化しデザイン、設定を変化させ持続していきました。
アメリカンヒーローは全世代を網羅しているのに対して、
ジャパニーズ・ヒーローは世代により、そのヒーロー像が変わっています。
そんなもんで庵野秀明による「シン・ウルトマラン」「シン仮面ライダー」も初期設定のリブートのため、自分思いに籠ってしまい、一部マニアにしか受けず、広がりがありませんでした。
またアメリカンはマスクに人間の部分を露出しています。スーパーマンはフルフェイス。
ジャパニーズは顔を全体を覆ってます。
人間らしい部分を見せているのと、完全なる超人になっているろころも違います。
本作では意外にもこの”人間らしさ”、がサブテーマとしてでてきました。

何度も何度もスーパーマン
1978年に製作の「スーパーマン THE MOVIE」を起点とし、
それまでのドラマ、アニメを一新し、大人向け映画として今日まで製作されました。
この映画化では主人公がR・レッドフォードなど大物の名前が出ましたが、
ほぼ新人のC・リーブが演じ、4本も作られました。
その後も繰り返し映像化されています。
そのスーパーマンから約40数年経過し、今回のスーパーマンに挑みました~
いきなりスーパーマン!
本作ではスーパーマンは随分前から地球にやって来て地球人の家族に育てられて、ディリープラネット社で働いているなど、生い立ちは前提条件済みで、宿敵レックス・ルーサー率いる部隊と戦い敗北したところから、始まります。
完全な超人ではなく、傷つき負傷しながら戦うスーパーマンとなっています。
ロイス・レーンとの仲も恋人済みです。
とある独裁国家の隣国への侵略を阻止するためスーパーマンが戦ったのですが、ルーサーはこのスーパーマンこそが侵略者とする映像をまき散らし、市民の信頼を失墜させてしまいます。
法務省からの出頭要請に応じて自ら法の裁きを受けにいくのですが、これがルーサーの罠でポケットユニバースなる空間に閉じ込められてしまうのです。ここでお決まり事でスーパーマンの弱点、クリプトナイトで力を失ってしまいます。
DCユニバースの流れは全く分からないのですが、ジャスティスギャングという仲間たちがいて、スーパーマンのピンチを救います。
引き立つワル!
ルーサーを演じるニコラス・ホルトが演じています。歴代のルーサーはG・ハックマン、K・スペイシーといったアカデミー賞級俳優でしたが、わたしは知らない役者ながら、ワルぶりはよく演じられています。

スーパーマンのいる世界へ誘う!メタバース
スーパーマンが戦う世界、その空間性が主体となっています。これは山崎監督の「ゴジラマイナスワン」と同じくゴジラのいる世界でゴジラが襲ってくる空間演出と同じ感覚を持ちました。
スーパーマンがやっつけられ、やっつける世界が繰り広げられます。
クラーク・ケントとして働く姿はほんのちょっぴりしかありません。

スーパーマンの正義
ラストにスーパーマンが自ら正義というものを語ります。人種など差別因を吹き飛ばし、あらゆる人たちと共存することが正義だと。現代社会にはびこるフェイク、SNSによる匿名による誹謗中傷など、関係のない第三者により人格をいがめられる社会への警告となっています。

ジャパニーズヒーローともうひとつの違い
アメリカンヒーローは必ず愛する人や恋人がいます。それが人生だと。
日本のヒーローにはそれはあんまりないようで、孤高の戦士です。
ロイスを助けるために禁じ手まで犯してきたスーパーマンですが、今回はロイスがスーパーマンを助けてしまいます。

余 談
J・ウィリアムズのあのテーマが引用されてるのですが、遠慮がちにパート・メロディしか流れない。
遠慮なく、本コンポーザーでアレンジしたものを流してほしかったのでした・・・