私の好きな映画

【超絶体験】旧劇エヴァのラストシーンを劇場でリベンジしたレポ

ついにこの時が来た。エヴァ30周年プロジェクトの

「月1エヴァ」(毎月一作品をリバイバル上映)で

旧劇場版のエヴァンゲリオン、「旧劇」こと、

正式名「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」

を映画館で観た。

 

当時トラウマで観られなかったのをリベンジ!

まず驚いたのが碇シンジ役「緒方恵美」さんの特別コメントで

「お子様と一緒にみられるかた、冒頭に衝撃シーンがあるので保護者の方、

注意お願いします・・・」

と問題のシーンをイジったことだ。

これは笑うしかない。

 

そもそも、エヴァが突然ベッドシーンやらなんやら出てきたから私はトラウマになったのに、

今でも、絶対に無理な描写。

 

前回の総集編から見てる場合、あのシーンを二度観ることになる(^▽^;)

簡単に言うと意識不明のヒロインを見て

男として欲情してしまい、……という場面。

 

これ、どうしても監督が入れたかった理由は一つしかない。

結局、僕たち(制作者)がしていることは、これと同じなんだ、という自戒なのだろう。

 

だからエヴァは広がった物語が回収されないまま終わる。

後年になって庵野秀明監督が、難しい言葉をたくさん使ったがそれは、衒い(てらい)であったと

インタビューで言っていたのが僕は印象的で

 

後の「新劇場版」を絶対に見届けようと思った。そこからまた10年以上かかる・・・。

 

緒方恵美さんのインタビューの締めは

当時を振り返り、みんなで泊まって、舞台挨拶をぶん回したことなどを

思いだした、、、と語る。

そこにはきっと、アスカも、レイも、ゲンドウも、カヲルくんもみんないたのだろう・・・

それを想うだけでもう涙が出そうだった。

 

さぁ、リベンジはこれからだ。

前回の様子はこちら(前回もすごかった)

 

『人間の敵はやはり人間か・・・』

この言葉が今の戦争だらけの世界に刺さる。

 

ネルフ本部のコンピューターが攻められ

『5体1か、分が悪いな…』

とロシアや中国からもハッキングされる。

頑張れフィクション!

と心の中ですべてのアニメで世界を平和にして見せろ、と

叫んでいた。

 

僕の昔、嫌いだった、突然ミサトがキスをするシーン。

これも、なんだか涙が出た。

ミサトは、うじうじするシンジを肯定するのだ。

 

自分が嫌いなのね、、優しいから他人を傷つけるくらいなら、

自分を傷つけた。自分で決めた立派なことよ・・・と。

 

でも、戦争の真っただ中、世界を救う使命の中でする段階の言葉か?

と昔は冷めてしまう。

 

後ろの扉を見て見ると

R14 R15 R20と暗示されている。

大人になっていくのだ。この時のミサトの演技

「今ここで何もしなかったら私、許さないからね。一生あんたを許さないからね」

と相手の心に視線を合わせて最期にメッセージを伝えようとする言葉が

作品のメッセージとしてそのまま響く。

 

で、血だらけで倒れるミサトの最期の言葉

「こんなことなら、アスカの言う通りカーペットにしておけばよかったわ」

これがすごい。

アスカが言いそうな文句を入れて、自分の最期が冷たい床であることを皮肉っているのだ。

 

こんなクールな台詞だったか。

 

リツ子が撃たれて、水に浮かんでいるのだけれど、

リリス(磔にされてるでっかい人)が解放されたときに

水面が波打って、遺体になったリツ子が一瞬、映される無情な描写(これがアニメキャラの描かれ方か?)

がすごすぎるのだ。あの一瞬のカメラワークがハードすぎる。

 

エヴァがあまりにいろんなクリエイターに影響を与え、

確か漫画の「エデン」だったか、巻末のおまけの作者の言葉に

「エヴァにすべてをやられた・・・」と書いていることもあれば、

 

誰だったか、あの映画をみて「キャラクターを愛していないのがわかってしまった」

と書いていた(これ誰だったか思いだせない)

 

そう、エヴァはキャラクターが、

大いなる意志やメッセージ、作者のエゴに無理やり動かされて

運命の子として翻弄される作品群でもある。

キャラクターが勝手に生きてしゃべりだす、という手法とは逆だ。

 

巨大兵器の質量の描き方など上げれば無数に素晴らしいが、

ここで、急展開を迎える

 

首絞めシーンを取り上げたい。

 

孤独な幼少期を過ごしたシンジ、

誰にも受け入れられずに他人にすがり、

拒絶され、ヒロインであるアスカの首を絞めて殺害しようとする。

 

ここで、すべての世界は終わり

「甘き死よ、来たれ」の楽曲が流れる。

この歌、庵野さんの作詞であり、英語の意味を知っていると、凄まじい迫力がある。

簡単言うと、

 

私はダメだ、君を失望させる、

努力はしたが、

私にできるただ一つのことは、

私の世界を終わらせること、

 

と言った感じでつまり「自殺」あるいは転じて「他殺」することなのである。

これを「拡大自殺」や、普通は「無理心中」などという。

 

ここまでだと、犯罪者の心理としてすごく綺麗に映画としてまとまる。

ロボットアニメの主役がそれ(^▽^;)ということはあるが、。

 

僕、これが哀しくて、一時期、毎日カラオケでこの歌を歌っていた。

 

ここから結構長い長い、世界崩壊のイメージに変わり

コスプレした現実世界のアスカやシンジ、

客席が出てくる。

 

さらにネットの掲示板でファンから監督への「殺害メッセージ」

(実際にあったものを再構築して作ったという)

 

まぁ、今もそんなに変わらない世の中だ。

 

そして、有名すぎるラストシーンの台詞が来る!・・・・

 

世界を終わらすに終わらせられない自分に

涙を流す、

そんなシンジを蔑むアスカが放つ

「気持ち悪い・・・」

 

ここでパッと劇場の明かりが戻る。

 

す、すごすぎる。

わかっていたけどスゴイ。

これを当時、本当にやっていたというのがスゴイ。

 

こんなのドヨメクどころではないだろう。

今年の冒頭で

「ガンダム ジークアクス」の劇場版初日、

劇場がファーストガンダムの冒頭、

ジーンが出てきたときにどよめいたが(ガチファンはジーンの時点でどよめく)

 

その比じゃなかろう。しかも否定的などよめきだろう。

 

庵野秀明さんは

「逆シャア本」といって逆襲のシャアの同人誌を編纂しているが、

冒頭に三島由紀夫の言葉を引用し

「絶望」を口にしている。これ、エヴァを作るよりも前の段階なのだ。

 

どうしてもラストシーンは、あれでなければ

許せないのだろう。

 

三島を口にする人間が簡単に病んでしまうとは思えないが、

とにかくも狂った作品である。

 

気持ち悪い、

からの現実へ照明が戻るのはシビれるとしか言いようがない。

 

とにもかくにも私は3回泣いた。

昔は、

それアニメで描かんでええやろ! と思う部分がたくさんあったし、

キャラクターを踏みにじるような展開も受け入れ難かった。

 

埋もれていた天才的な演出や描写はたくさんあるのに、

総括しきれなかったエヴァンゲリオン。

 

今は、すべてが終わっているのだ。

答えは出たのか、出ないのか。

 

みんなで苦悩した時代である。

答えに至る前に、知っておきたい美しさがある。

 

次は、序だ。今更な気もするが、

ここまで来たら、逃げちゃダメ、、、、だろう。

 

安心して楽しもうと思います(^▽^;)

 

↓YouTubeで熱弁してます

 

 

 

前回の「旧劇 シト新生」のレポ↓

コメントする