ブレードランナー 2049
『ブレードランナー 2049』は、私にとって現代のSF映画の頂点であり、何度観ても息を飲む美しさと深い絶望感に圧倒される、静かで壮大な傑作です。2017年のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作で、1982年の『ブレードランナー』の35年後を描いた続編。ライアン・ゴズリング演じる新人ブレードランナーKが、30年前に失踪したリック・デッカード(ハリソン・フォード)を探す中で、人間とレプリカントの境界、そして「生まれた」ことの意味に直面していく物語なんですよね。
まず圧倒されるのは、映像の美しさと世界観の完成度。ロジャー・ディーキンスの撮影がアカデミー賞を取ったのも当然で、雨のネオン街、巨大な広告ホログラム、雪に覆われた廃墟、巨大なダム…すべてのショットが絵画みたいに美しいのに、どこか冷たくて孤独。音楽もハンス・ジマーとベンジャミン・ウォルフィッシュのコラボが神がかってて、低音のドローン音とVangelisのオリジナルテーマのエコーが混ざるたびに、背筋がゾクゾクするんです。
Kの旅は、ただの捜査じゃなくて「自分は何者か」というアイデンティティの探求。レプリカントなのに「記憶」を持って生まれたKが、徐々に「人間らしさ」を感じ始め、でもそれが幻想だと知ったときの虚無感が、もう胸をえぐる。アナ・デ・アルマス演じるジョイのホログラム恋人との関係も切なくて、彼女が「本物の雨」を感じるシーンや、Kが「君は特別だ」って言われる瞬間は、静かに涙が出る。シルヴィア・フークス演じるDr.アナ・ステラインの秘密、ハリソン・フォードのデッカードの再登場…すべてが完璧に絡み合って、ラストの「すべてはジョイのためだった」っていう解釈も含めて、余韻が半端ないんですよね。
ストーリーはゆっくりで、アクションは少ないけど、それが逆に「考える映画」として最高。人間と人工物の境界、愛の定義、創造主と被造物の関係…ヴィルヌーヴ監督の静かな演出が、すべてを深く刻み込んでくれる。原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の精神を継ぎつつ、現代的な問いを投げかけてくるのも素晴らしい。