昭和のスターが挑んだプロジェクトX!
現在、某BS局で石原プロ制作作品が放送されています。
石原プロの総帥、石原裕次郎といっても、多くの人もう知らない、伝説の人物かと思います。
わたしも、知ったのはテレビの「太陽にほえろ!」で、この人が映画界を席巻した俳優だとは知りませんでした。
昭和30年代までが日本映画の最盛期で、そのど真ん中にいましたが、
この業界の衰退を予知し、そうそうにフリーとなって自らプロダクションを立ち上げました。
昭和のレジェンドたちは、プロダクションを設立しています。
三船敏郎、勝新太郎、中村錦之助など。
しかし俳優系プロダクションはほとんど、破産、消滅しています。
石原プロは幾多の難局がありましたが、倒産することなく石原裕次郎没後も後継者たちにより存続し、現在は遺族の資産管理、著作権管理団体として、プロダクションの役割を終えました。
生き残りのため、テレビドラマの制作、タレントマネジメントを主流としてきましたが、
当初は、石原裕次郎の夢を実現する会社として、超大作映画に挑みました。
いづれも実話、ノンフィクションに取組んでます。
石原プロ作品は劇場公開に拘り、テレビ放映やDVD化を拒んできましたが、
いまやほとんどの作品がDVDや配信で観れます。
機会あればご覧いただきたいです
代表作が「黒部の太陽」。同じ志の三船敏郎と組んで黒部第4ダム建設に挑んだ男たちの物語です。当時は映画会社のカルテルがあって、さまざま妨害がありました。映画会社所属の俳優を使わせない、さらにスタッフも使わせないという圧力をかけていたのです。
監督の熊井啓はこのことで、日活を追われる羽目に。
石原プロに救い手の差し出したの宇野重吉率いる民藝でした。資金援助もしており、
のちにCMでも共演しています。
本作はダム建設にあたった関西電力、熊谷組を協賛(前売り券の購入がメイン?)させるタイアップさせます。
引き続き「栄光への5000キロ」は日産をとりつけ、パリ・ダカのラリーに挑戦する映画をつくりました。テレビでも放映されたことがあるのですが、期間限定で上映されていたので劇場へ行きました~
2作品は当時の日本映画としては超大作と呼べるスケールの大きな作品でともにヒットしてます。

この内容、あの「プロジェクトX」」そのものなのです。
しかし、映画というのは複数の成功してもひとつの失敗ですべてがダメになってしまう、恐ろしい世界です。
「ある兵士の賭け」の失敗で負債を抱え、次に鹿島臨海工業地帯を舞台にした「蘇る大地」も失敗しました。
「蘇る大地」はあまり知られていない作品かと思います。
舞台となる茨城県が協賛になっています。この鹿島灘の歴史から、この地を工業地帯に都市再生を目指すまでが描かれます。その治水工事の再現や沿岸が台風で工事現場が破損する描写を撮るために、大規模なセットが組まれており、相変わらずその野心ぶりに感心します。
この作品は工業地帯を作り上げたことを賞賛せず、完成後に人々の変化や治安が乱れるなど、
当初の構想と違うものになってしまった問題提起をして終演しています。
スポンサーよいっしょ~という単純な映画づくりをしてないことに
プロデューサーとしての懐を感じるのです。
残念ながら、これ以降は映画製作は小規模なプログラムピクチャーとなり、
「大都会」、「西部警察」などのテレビ製作にシフトします。
テレビでも大手自動車会社をスポンサーにして、映画以上のアクションシーンを見せます。
その頃、都知事は慎太郎だったかどうかわかりませんが、
都内でのカーチェイスなどのアクションシーン撮影にあたっては
警視庁、東京都もOkしていたそうで、
同じようなアクションシーンを撮ろうとすると、東京都では許可でず、
横浜で撮影されていたそうです。
石原プロだけが優遇されていたそうです。
昭和の俳優にはこんなチャレンジャーがいたという話です~