風の遺産
【『創世記(宗教)』と『進化論(科学)』の対立】
(1960年・米・129分・モノクロ)
監督:スタンリー・クレーマー
原題:INHERIT THE WIND
「スコープス裁判」いわゆる「モンキー裁判(Monkey Trial) 」と呼ばれる実際にあった裁判の論争が本作の元ネタである。
1925年、実際にアメリカ・テネシー州で起きた事件で、当時の州法では、聖書の教えに逆らって“進化論”を教えることが禁じられていたのである。しかし、一人の教師がダーウィンの進化論を授業で教えたために逮捕されてしまったのだ。
私などは最初にこの裁判の顛末を聞いた時は、信じられない思いだった。私の無知のせいと赦して頂きたいのであるが、私は「これは日本人が古事記に記された日本誕生“国生み”を真実であると主張して、法廷で争うようなものでは無いか?」と思ったのだ。というのも、私は古事記の最初の部分は神話だと思っているし、聖書の創世記も同じようにしか考えていなかったのだ。創世記を本気で真実であると信じている人がこんなにもいて、現在においても創造論者が進化論者を上回っていることを知らずにいたのである。
そのことを弁えた上で本作を再見してみると、被告の教師バートラム・T・ケイツ(ディック・ヨーク)の弁護士ヘンリー・ドラモンド(スペンサー・トレイシー)と、検事マシュー・ブレディ(フレドリック・マーチ)の法廷対決シーンの見方も変わって来た。正しく「宗教と科学」の対決であり、二人の対決には迫力があった。
裁判後半におけるドラモンドの聖書の創世記に対する質問に、ブレディが一歩も退かずに頑張るも徹底的にやり込められるシーンがあり、これで教師は無罪放免されるのかと思いきや、判決では有罪となるのであった。まるで結論ありきで、裁判は形だけだったのではないか?とも感じてしまった。
教師バートラム・ケイツの授業(進化論)は決して罰せられる類のものではないことを証明しようと6人の学者を証人として呼ぶも「州法で禁じられている」の一点でことごとく証言台に立つことを拒否されてしまった。このことだけでも最初から有罪は確定していたのではないかと思われてならない。
登場人物たちの関係も微妙である。弁護士のドラモンドと検事のブレディは幼馴染みの親友同士である。ブレディの妻サラ(フローレンス・エルドリッジ)とドラモンド弁護士も知己であり、彼女も夫と友人の裁判の様子を複雑な思いで見守っている。被告の教師ケイツにはレイチェル(ドナ・アンダーソン)という恋人がいるが、彼女はジェレミア・ブラウン牧師(クロード・エイキンス)の娘で、父親と恋人の板挟みに苦しんでいた。
そんな彼女をブレディは証人として呼び、ケイツに不利な証言を引き出そうとする。彼女は恋人を救いたい一心で二年前のある事故について話し始める。
それは、彼の生徒が川で溺れて亡くなった不幸な事故であったが、ブラウン神父はその少年が洗礼を受けていなかったことを理由に、少年は地獄に落ちたと言ったというのだ。ケイツは少年を天国に行かせたかったから「神が人間を造ったのではない。人間が神を造ったのだ。(だから、少年だって天国に行けるはずだ)」と言ったのであるが、ブレディはそのことがケイツが信仰から離れた理由ではないのかと問い詰めるのだった。
この裁判の記事を書き、被告側に味方する新聞記者ホーンベック役をジーン・ケリーが演じている。いつもとは違った役回りで、最後にはドラモンドから皮肉屋と評されるが相変わらず爽やかな印象だった。
タイトルの『風の遺産』については、劇中でブラウン牧師の演説を聞いたブレディ検事が戒めたものである。聖書の箴言に“家族を煩わせる者は風を相続し、愚か者は知恵ある者のしもべとなる。”という言葉があり、家族を苦しめる行為は最終的には何も残らない。空しい結果があるだけだということのようだ。
拙レビューでは話が前後してしまった部分もあり、その点については深謝。