忍者狩り(1964)
忍者狩り(1964)
1964年 日本 劇場公開:1964年9月5日
スタッフ
監督:山内鉄也
脚本:高田宏治
キャスト
近衛十四郎、佐藤慶、山城新伍、河原崎長一郎、田村高廣、
穂高稔、高松錦之助、沢村宗之助、遠山金次郎 ほか



徳川三代将軍家光は、幕府の体制を不動のものにするため豊臣恩顧の外様藩取潰しを計った。そのころ伊予松山二十万石、蒲生家では城主式部太夫忠和の死病を理由に、嫡子種丸の家督相続を願い出、老中久世大和守より将軍家のお墨付を下付された。種丸の将軍家初御目見得の儀は六月十日に決った。儀式の後ではいかに幕府といえども蒲生家を取潰す事は出来ない。大和守は、忍者、闇の蔵人らにお墨付け奪還を命じた。一方蒲生家城代家老、土佐は幕府の腹を見抜き、五郎左衛門、八右衛門、新蔵、弥次郎の四人を忍者狩りに当てた。その内の一人五郎左衛門は、かって闇の蔵人との闘いに破れ主家を失った浪人で、蔵人への憎しみは激しかった。蔵人の手口を知る五郎左は、新規召抱えの家臣八人を巧みにわなにかけ、苛酷な拷問の末一人残らず首をはねた。しかし罪のない家臣の命迄も奪った五郎左の執念に蒲生家の人々は激しい反感を抱いた。一方弥次郎は御用商人天満屋の動きに疑問を抱き、尾行したが、かえって蔵人の手にかかり命を落した。さらに蔵人は、使者到着二日に控え、最後の手段として幼君殺害を計った。第一次暗殺計画は失敗した。が折りも折藩主忠知が死去、葬儀は使者到着以前に行われることになった。五郎左は、この機に蔵人が必ず種丸の命をねらうことと思い、葬儀の列にまぎれこんで蔵人を待った。葬儀当日、霊廟に入った五郎左、八右衛門らは蔵人の策略で霊廟にとじこめられ、蔵人の吹き針に次々と倒され
ていった。しかし八右衛門が、蔵人を腕の中に抱きこみ、五郎左の刃は八右衛門ごと蔵人を突きさした。しかしあまりにも犠牲は大きく、五郎左の心は空しかった。

浪人4名VS甲賀忍者30名の戦いを描くのですが、集められた浪人が、近衛十四郎氏、佐藤慶氏、山城新伍氏、河原崎長一郎氏と個性派揃い。近衛氏は松方弘樹氏、目黒祐樹氏のご尊父。特に目黒氏と瓜二つでビックリでしたが、「日本映画史上最も殺陣の上手い役者」と言われただけあり、見事な殺陣をみせてくれましたね。また佐藤慶氏の善人役も珍しいのですが、これがクールかつニヒルでとっても良かったですね。