大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン
大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン
1966年 大映 劇場公開:1966年4月17日
スタッフ 監督:田中重雄 特撮監督:湯浅憲明 脚本:高橋二三 製作:永田雅一
キャスト 本郷功次郎、江波杏子、夏木章、藤山浩二、早川雄三、藤岡琢也、北原義郎 ほか
半年前・日本全土を荒しまわったガメラを封じた火星行ロケットに巨大な隕石が衝突し、カプセルが燃えおち、ガメラは地球に落下した。一方、戦時中、ニューギニヤのジャングルの鐘乳洞で鶏卵大のオパールを発見したという平田は、弟の圭介と仲間の小野寺、川尻らと共に、再びニューギニヤに行き、オパールを持ちだそうと計画していた。やがて、足の悪い平田を日本に残した三人は、ニューギニヤのジャングルに分け入り、原地人の反対を押し切ってオパールを手中にした。だが悪党の小野寺は、オパールを一人占めにしようと、仲間の川尻を殺した。が、逃げのびた圭介は、酋長の娘カレンから、このオパールは、実は怪獣バルゴンの卵であるという話を聞き、半信半疑のまま、カレンと共にオパールを取りもどすべく、日本に向った。カレンの予感はあたり、やがてオパールは、医療用の赤外線をあびて、バルゴンを生んだ。バルゴンは全長八十米もの大怪獣に生長し、日本を荒しまわった。バルゴンは口から強力な冷凍液を発射し、ガメラも、この光線で冷結してしまった。直ちに日本では、バルゴン防衛対策本部が生れ、カレンの提案で、水に弱いバルゴンを、ダイヤの光で誘導し、湖中に沈めるべくダイヤモンド作戦が展開された。

作品は興行的に大ヒットとなったが、特撮に予算を使いすぎて赤字になった。また大ヒットにもかかわらず、特撮監督の湯浅憲明らは内容に不満が多かったという。その理由は「主軸観客層である子供向けでないこと」であり、スタッフの反省会では、「バルゴンが出てくるまでが長すぎて子供の集中力が続かない」「大人向けのドラマは子供たちには退屈」などの意見が出された。こうして湯浅が全編監督となり、翌年制作された『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967年)では、子供たちを飽きさせない演出が最重点に置かれ、子供が主役の湯浅の理想とする作劇が徹底されることとなった。
ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示こども視線のないガメラでしたね。
それはそれでありかと