僕たちを生かしてくれたのは僕らの中間だった【雪山の絆】(ネタバレありです)
1972年10月13日に起きたあまりにも有名なウルグアイ空軍機571便墜落遭難事故を基に描く奇跡の実話です。本年度アカデミー賞では外国長編映画賞にノミネートされました。
🎦雪山の絆🎦
2023年 ウルグアイ/スペイン/チリ 145分
監督:ファン・アントニオ・バヨナ
出演:エンゾ・ヴォグリンシク、アグスティン・パルデッラ、マティアス・レカルト
ウルグアイのラグビーチームがチャーターした空軍機が、チリへの遠征に向かう途中のアンデス山脈で墜落。乗客64名のうち、27名が死亡、最終的に16名が無事帰還した実話です。なんと標高4000メートルの雪山の極寒の中、彼らは72日間という途方もない長い日々を生き延びました。若者であったこと、ラグビーで鍛えぬかれた体力があったこと、チームワークの取り方を知っていたこと、そして生き抜くための屈強な精神力があったことなどが重なり、彼らは生き延びることが出来たのでしょう。
その72日間のサバイバルを、生き残ったもの、生き残れな方ものの両方から描いていきます。メガフォンをとったのは「永遠のこどもたち」「インポッシブル」「怪物はささやく」のJ.A.バヨナ監督。
迫力のあるリアルな墜落シーンはドキドキした
前置きはほとんどなく、人物紹介もそこそこに、早い時間に墜落シーンとなります。凄い迫力のリアルなシーンに、ドキドキが止まりませんでした。思わず、ああ、なんていうことを。。と口に出していました。墜落したのはアンデス山脈の奥深く、周りは雪、雪、雪、雪の雪山しか見えません。飛行機の前側にいた28名が奇跡的に生き残っていました。周りに散らばった荷物から飲み物や食べ物を集め何とか何日かをしのぐことは出来ましたが、日が差す昼間と違って夜は強烈な寒さが襲ってきます。半分になった機体の中で身を寄せ合って寝るものの、寝ている間に負傷していた何人かが命を落としていきます。すぐに救助が来ると信じていましたが、救助らしき飛行機が上空を飛んでいるのに、結局は見つけてもらえずに飛行機は去っていきます。その時の絶望感は相当なものだったでしょう。まさに生きる気力を削がれてもおかしくない状況です。それでも彼らは必ず救助が来ることを信じて、希望を持ち続けるのです。
数日たったある日、荷物の中にラジオを見つけ、修理が得意な一人が電波が拾えるようにしたところ、墜落した飛行機の捜索は打ち切られ、捜索は雪解けの時期を待ってから再開すると報じられ、絶望感は最高潮となります。打ちひしがれる生存者たち。それでもリーダーが皆を励まし、必ず生きて帰ろうと誓いを立てます。
雪山の中で生き続けるための究極の決断
墜落から10日ぐらいで食べるものはもう何もなくなりました。寒さと飢えで体力が限界となり、このままでは全員命を落とすことになるでしょう。彼らは究極の決断に迫られます。医学生のカルロスはこの極寒の中でタンパク質をとらなければ生命を繋ぐことは出来ず、そのためには仲間の遺体を食するしか手がないと提案します。これはキリストが最後の晩餐で行った聖餐と同じである、臓器提供とも違わない、と主張します。何人かは食べることを拒否しますが、自ら遺体の解体を買ってでた何人かは、決して皆にその作業を見せることなく一番嫌な仕事を淡々と行ったそうです。救助された後に遺体の残骸を見つけた救助隊に同行した山岳ガイドからこのことがリークされ、マスコミはこぞっって彼らの人肉食を取り上げ倫理的な議論になったそうです。生存者たちが、遺体を食べたことを自ら公表しようと決意した矢先の出来事でした。
草木も生えていない、獣も小動物でさえもいないあの雪山で、生き延びるための究極の選択でした。彼らをどうして責めることが出来るでしょうか?遺族たちの中にもそのことを責める人はいなかったそうです。そして生き残っている誰もが死と隣り合わせの状況の中で言うのです。
「僕が死んだら食べていいよ」
次から次へと襲ってくる困難に試される精神力
皆で和気あいあいと語り合っていた時、突然雪崩が襲ってきて、機体ごと埋まってしまいます。この雪崩れで
また数人が命を落としました。雪の中から這い出してかろうじて生存していたのはこの時点で19人。その後も、猛烈な風吹に襲われて、機体に閉じ込められている日々が何日も続きます。嵐が去った数日後、機内から雪をかきだしてようやく地上へ。空はどこまでも青く、周りの山々は何事もなかったようにそびえたって彼らを見下ろします。この時点で墜落から20日がたっていました。このまま何もせずに救助を待っていることは出来ないと、数人で遠征隊を組んで、機体の後部を探しに出かけるのです。使えなくなった無線機を動かすためには、機体後部にあるバッテリーが必要だからです。登山用の道具も寒さを凌ぐ服もない状態ですから、それは困難を極める行動でした。それでも彼らは諦めず、メンバーを変えて何度もトライするのです。バッテリーは見つかったものの、あまりにも重くて運べないので、無線機をもって来た方が早いということになり、何度も往復することになりますが、結果無線機は治りませんでした。本作の語りべであったヌマは遠征の途中で足を負傷しその怪我のために死亡します。彼もまた死ぬ間際に言いました。
「僕を食べてくれ、そして君たちは必ず祖国に帰るんだ」
12月11日ここで生存者はついに16名となります。
ついに脱出ルートを探す遠征を決意する
ロベルト、ナンド、アントニオの3人は、皆が作ってくれた寝袋を持って、チリへの脱出ルートを探すために西へ向かう決意をします。既に墜落した日から60日がたっていました。ナンドが先頭を歩き登山をしますが、その道は極めて厳しいものであり、果たしてチリへの道が見つかるのかわからないまま数日が過ぎたある日、ようやく山の頂上に上ることが出来た3人の目の前に広がったのは、更に続く山々の風景。チリに続くような谷はどこにも見えません。
絶望的な気持ちになったのは食料も尽きてきたことです。アントニオは食料を最小限に抑えるため、自分は墜落地点に戻る決意をします。ロベルトとナンドは遠征を継続しチリを目指します。何日も歩き続けていくと、やがて雪山から土肌が見えている風景を目にし、やがて川が流れ草木が生えている場所へとたどりつくのです。そしてついに、川向こうにロバに乗った人間がいることに気づき、大声で叫ぶ二人。ついに彼らはたどり着いたのです。人が暮らしている場所に。墜落地点から出発して9日目のことでした。
ラストシーンは「最後の晩餐」をオマージュ
ついに救出された16人。墜落から72日がたっていました。人々は生還した彼らを「アンデスの奇蹟」と讃えました。人肉食が明らかになるまでは。
ただ、本作では救出後の論争について描くことは敢えて避けています。今となってはその論争はもはや無意味なものだからです。その代わり、最後に病院の一室に16名が集うシーンを入れて、それはまるで最後の晩餐の絵画を思い起こさせました。
仲間の命が16人の命支えてくれたのです。これぞ究極の絆なのだと思いました。
合わせてみたいメイキング映像
「雪山の絆:僕らは何ものだったのか」
本作のメイキング映像と撮影秘話が36分で語られています。冒頭の墜落シーンのリアルさを出すための拘り、墜落シーン以外はほとんどの撮影を標高3000メートルの雪山で行ったこと、雪崩のシーンは俳優たちにも過酷な体験になったこと、栄養失調で痩せ細るリアルさを出すために時系列に沿って撮影したこと、俳優たちは厳しいダイエットを強いられため、最後の痩せ細った姿によりリアルさを出すことができたこと、等々興味深い話を聞けました。一つの映画作品を作ることの大変さを改めて思い起こさせました。過酷な撮影現場では、スタッフも俳優たちもワンチームとしての絆が深くなったようでした。
そして、この実話はかつてイーサンホーク主演で「生きてこそ」という映画でも語られました。
🎦生きてこそ🎦
1993年 アメリカ
監督 フランク・マーシャル
出演 イーサン・ホーク 、 ビンセント・スパーノ 、 ジョッシュ・ハミルトン 、
生存者の一人のセリフがとても印象に残りました。
「この場所は墜落したのでなければ、なんて素晴らしい風景か。なんと美しい光景か。この世のものとは思えない。すぐそばに神さまがいるようだった。」
神様しか存在しないような、何者も拒絶するような真っ白な世界で生き残った16人の奇跡を見て本作でも涙しました。
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投稿を表示衝撃的すぎて、もう二度と観たくない!と思っていましたが、魔女さんのコラムを読んであの時体感した感動が蘇ってきました。
もう一度…いや…観られるかな笑
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投稿を表示私も「生きてこそ」は観ました。
でもショックが強すぎて、同作を観ることはもうないと思います。
外国長編映画賞にノミネートされたのですね。
製作国がウルグアイ、スペイン、チリというのがいいですね。
何度も同じことを申し上げて恐縮ですが、
やっぱり魔女さんは新作にお強いですね。
2024.03.26
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投稿を表示『生きてこそ』は観ました。再見が出来ないほど強烈な印象でした。
実際の事故が起きたのは、1972年だったのですか…もっと昔の話かと思っていました。
体調のよい時に本作と『生きてこそ』の両方を観てみようかしら。
メイキング映像と撮影秘話にも興味があります。
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