妖艶な若尾文子の前に汝はただ平伏す
◤ ℍₐₘₘₑᵣ 𝔽ᵢₗₘ 𝕋ₕₑₐₜₑᵣ ◢
【2025-No.56】
𝐓𝐡𝐞 𝐅𝐫𝐨𝐥𝐢𝐜 𝐨𝐟 𝐭𝐡𝐞 𝐁𝐞𝐚𝐬𝐭𝐬
獣の戯れ
日本 94分 1964年

別に生誕百年の節目だからと云うわけでもないのだが、俄かに「三島由紀夫」がマイブームとなりつつあり、このところ彼の著したいくつかの中篇小説を続けざまに手に取っている。これまで然程三島の作品に触れてこなかった私にとってはそれら全てが初読に当たるが、その豊富な語彙と華麗にして残酷な修辞表現を用いて綴られた文体の素晴らしさ、そしてこれを原語で読むことが出来る幸福を改めて実感している
ミシマ文学の特長のひとつに「潮騒」や「午後の曳航」などに代表される神話的物語の存在が挙げられるが、此度目を通した「獣の戯れ」もまたこれらの系譜に連なる小説と云える(ベートーヴェン唯一の歌劇「フィデリオ」*から着想を得たそうだ)今回は男女三人が繰り広げる愛の葛藤を三島ならではのタッチで描いた本作の映画版を取り上げてみたいと思う
銀座の西洋陶器店でアルバイトをする大学生の幸二は、店主の逸平から、妻・優子の嫉妬を求めて他の女との情事に勤しんでいることを打ち明けられる。優子に同情と好意を寄せた幸二が彼女と共に逸平の浮気現場に赴き、凄絶な修羅場となるが、それは彼らを待ち受ける奇妙な運命の始まりに過ぎなかった。傷つけあう男女三人が構築した猟奇的な〈エロス〉の共同体。
~新潮文庫版「獣の戯れ」あらすじより~
筋書きは概ね原作に沿ったカタチで進行する。しかしながら、小説が持つ甘美な毒を内包した神話性は隅へと追いやられ、映画は三角関係の縺れによる痴情話で終わった感は否めない。山本由伸のフォームを精巧に真似たとしても彼みたいな投球が可能にはならないのと同様に、単に話の枠組みだけを取り入れてもその本質には到達しえない。左打者の外角低目へピンポイントでスプリットを放るような卓越した能力が必要なのだ
演出について触れれば、原作中において度々言及される優子の薄い唇に塗られた真っ赤な口紅は、謂わばストーリーの象徴になっており、それと色彩の対比を成す愛用の水色パラソルとあわせ、複雑さを秘めた彼女の人物像を具現化するものだ。それらを踏まえると、この作品はモノクロではなく矢張カラーで撮られるべきであった。優子が事業として営む温室で育てる花々が醸し出す濃厚な香り(これも優子のイメージと重なっている)も白黒では上手く伝わってこない
キャスト面では、優子役の若尾文子、幸二役の伊藤孝雄が共にとても好い。特に若尾は気高く淫靡な蘭の如き色香が画面から溢れるほどに匂い立ち、煩悩に満ちたオスの脳下垂体を鷲掴みにして揺さぶり離さない。裸身を晒すわけでも、濡れ場があるわけでもないのに、表情と立ち居振る舞い、そしてあの艶声で幸二ならず世の男どもを虜にする。次に生まれるときは黒川紀章になりてぇぇぇ、思わず私の邪な叫びが心の中でこだまする
逸平役の河津清三郎に関しては明白な配役ミスに感じられた。痩躯なインテリ伊達男の逸平がそんじょそこらの脂ぎった中年オヤジに変換されてしまったのは大幅な減点対象だ。或る理由で逸平は大きな障害を負うためそれを体現する演技力の観点から河津にオファーされたのかもしれぬが、それにしたって余りに印象が違いすぎる(余談ながら、溝口健二「祇園囃子」にて生娘の芸姑を演じた若尾文子を手籠めにしようとして舌を嚙み切られる男に扮したのが河津清三郎だった)大映専属で逸平役が似合いそうな俳優を選ぶなら個人的には川崎敬三あたりだろうか
中篇小説のマスターピースたる原作と比すのはやや酷な気もするが、総合評価としては映画版は今一歩の出来に留まる。しかしながら、取分けセクシーな若尾文子の姿がフィルムに刻まれている点ではファン垂涎の貴重な一作と云えよう
~注釈~
フィデリオ Fidelio
無実の政治犯として囚われた夫を救うべく、男装のうえ単独で監獄に潜入する妻の様子をドイツ語で描き、愛・正義・自由を謳ったベートーヴェン唯一の歌劇
~評価~
〔演出〕★★☆
〔脚本〕★★☆
〔撮影〕★★☆
〔音楽〕★☆☆
〔配役〕★★☆
〔総合〕★★★★★★☆☆☆☆
監督 冨本壮吉
原作 三島由紀夫
脚本 舟橋和郎
撮影 宗川信夫
編集 関口章治
音楽 入野義郎
出演 若尾文子、伊藤孝雄
英題 The Frolic of the Beasts
制作 大映
公開 1964.05.23 (日本)
鑑賞 2025.11.30 DVD
