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2025/09/06 19:36

第8回 アカデミー賞・作品賞受賞「戦艦バウンティ号の叛乱」

18世紀末に太平洋上で、暴虐な艦長に対して乗組員たちの起こした暴動の実話に基づいた海洋スペクタクル。MGMが200万ドル近い額を投じて製作した大作である。

 

「戦艦バウンティ号の叛乱」

       (1935年・アメリカ、モノクロ、132分)

                          監督:フランク・ロイド

 

映画の冒頭、次のような「序文」が示され、視聴者への丁寧なメッセージとなっている。

---  1787年12月。南海タヒチへの出航の前日に、ポーツマス港に停泊していた艦こそが英国戦艦バウンティ号である。その任務は、奴隷の食料用にパンの木を入手し、西インド諸島に輸送する事であった。だが、船もパンの木も到着することはなかった。18世紀の厳格な海洋法のなかで起こされた叛乱のためだった。伝説になったこの叛乱は、船乗りに新たな規律を与え、英国の海軍力を揺るぎないものにした ---

1787年12月、霧の立ち込めるイギリスのポーツマス港から戦艦バウンティ号がタヒチに向けて出帆した。艦長のブライ(チャールズ・ロートン)は冷酷無慈悲な男で、自分の気に入らない態度や行動をとる部下には、容赦なく厳罰を命じていた。一方、乗組員全員の信頼を得ているのがクリスチャン中尉(クラーク・ゲーブル)である。乗組員の中には若き海軍士官候補生のロジャー・バイアム(フランチョット・トーン)や、少尉候補生のスチュアート(ダグラス・ウォルトン)、ヘイワード(ヴァーノン・ダウリング)らがいた。さらに、半ば強制的に徴集されコックのスミス(ハーバート・マンディン)、船医のバッカス(ダドリー・ディックス)や、屈強な身体のバーキット(ドナルド・クリスプ)ら、多数の船員が乗組んでいる。彼らは過酷な労働を強いられ、逆らう者は24回の鞭打ちの刑に処せられる。食事も満足に与えられない中、艦長だけは特権を利用し私腹を肥やしていた。ある事をきっかけに、遂にクリスチャンの不満が爆発し、帰国したらブライ艦長を告発すると宣言、対するブライは軍法会議にかけると布告するのだが...。

 

日本初公開時の邦題は「南海征服」であり、それには次のような事情があった。

本作が公開された1935年といえば、昭和10年。その年公開された作品が対象の、翌年1936年アカデミー賞授賞式の2カ月半前に「2.26事件」が勃発した。日本では「戦艦バウンティ号の叛乱」のタイトルで公開予定であったが、 ‘叛乱’ という言葉がタブーとみなされ、1938年(昭和13年)に「南海征服」の邦題で封切られたのである。

 

イギリスの名優チャールズ・ロートンは、生真面目で堅物な人物像、或いは、「ノートルダムのせむし男」のカジモド役、「巌窟の野獣」の一見紳士風の男のように、怪奇俳優のイメージがある。 又、作品によっては臆病者の教師長老弁護士なども演じてきた。
ところが本作では、情愛のかけらもない非人間的な悪役であり、正直なところ驚いた。
だが、役に成り切る術(すべ)はさすがで、心憎いばかりに上手いのである。

 

一方のクラーク・ゲーブルは、チャールズ・ロートンより2歳年下の34歳(本作出演時)だが、4年後、あの名作「風と共に去りぬ」でバトラーを演じることになる。

そのクラーク・ゲーブルよりさらに4歳若いのが、若きロジャー・バイアムを演じたフランチョット・トーンである。
彼は、ミュージカル映画「ダンシング・レディ」(33年)でもクラーク・ゲーブルと共演しており、同作に主演したジョーン・クロフォードと4年間の結婚生活を経験している。

 

実はこの3人(チャールズ・ロートン、クラーク・ゲーブル、フランチョット・トーン)、揃ってアカデミー賞の男優賞にノミネートされるという快挙となった。(当時は、主演男優、助演男優の区別なし)
ところが票が割れ、3人とも受賞を逃し、栄冠は「男の敵」のビクター・マクラグレンが漁夫の利を得ることになったのである。
 

南海の島々の美しい景観を捉えた映像は見事

タヒチに生きる娘役で、モヴィタマモ・クラークが出演、前者は俳優マーロン・ブランドの2番目の妻として知られる。

監督は「情炎の美姫」(29年)、「カヴァルケード(大帝国行進曲)」(33年)のフランク・ロイドである。

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