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私の好きな映画

KEN&KOUJI 昭和の二大スターを回顧する

最近刊行された「任俠映画伝説 高倉健と鶴田浩二」(大下英治・著 上下巻)という本を手に取りました。高倉健の書物は多数ありますが、鶴田浩二に言及した書籍は珍しいです。



東映任侠映画の二大スターですが、いまやもう知らない人も多数いると思います。

任侠映画はピークは昭和40年くらいまで。

わたしはその頃、小学生。ふたりの名前は知るものの、映画でしか見ることのないスターでした。

近所に東映の映画館があって、そのポスターで見るくらいです。

やくざ映画のポスターは、こどもの私にも心そそるものがり、あの猥雑感が魅力的でした。

 

任侠路線が下火になり、ふたりは東映を離れていきました。

鶴田浩二はテレビに、高倉健はそのまま映画に拠点をおきます。

 

この本は当時連載されていた記事を再収録したもので、昭和がンプンと匂ってきます。

かたや東映プロパー俳優と、松竹ー東宝を渡ってきた中途採用のスターで、

仲がよくなかったふたりのことが綴られています。

ふたりとも大変気を遣わせる人格です。

高倉健は女々しいというか、自分を第一に見てほしいということが書かれています。

このことは松方弘樹が生前語っていました。

松方は鶴田浩二派で、高倉健の鶴田に対する態度を批判し、

また鶴田の役者としての評価が低いことを嘆いていました。

 

両巨頭がいる世界では、とかくどっちの派?と派閥のようなものができます。

このふたりにも、そういう人間関係が出来上がっていました。

 

付き合う距離感も違いあります。

鶴田は関係がこじれても数年後に回復できる、

高倉健は一度、袂をわけると再び、分かち合うことは難しい。

 

ふたりには戦争体験があります。

鶴田浩二は特攻隊の生き残りと称していました。

実際、特攻隊ではなく整備兵であって、そのことは内外から批判されました。

しかし、彼の特攻隊への想いが通じたのか、特攻隊生存者の会に特別会員として迎えられています。また、サイパン島において戦没者の慰霊祭を行っていました。

内地に遺骨をもっていけない遺族たちを自費で招待していました。

テレビドラマでは戦争を引きずった男を演じています。その代表作がNHKテレビの「男たちの旅路」です。それの作品がわたしにとって、最初に見た鶴田浩二でした。

 

高倉健は終戦を迎えたとき、小学生でした。

東映で「あ、同期の桜」という戦争映画に鶴田とともに特攻隊を見送る士官の役で出演しています。高倉健は監督の中島貞夫に「見送るだけの役は耐えられない、自分も特攻に行かせてくれ!」と脚本の変更を求めます。中島監督はその申し出を却下しました。

その後、高倉健は中島貞夫と組むことはありませんでした。

 

晩年に「ホタル」という映画に出ます。高倉健はあの知覧特攻隊の生き残りで、特攻で死んだ先輩の許嫁と所帯をもった漁師を演じています。

その死んだ特攻隊員は在日朝鮮人でした。

彼の遺骨をもって、故郷である韓国に行き、遺族たちにそのことを告げにいく話です。

この企画に製作者、監督は難色を示しました。

しかし高倉健、たっての要望で実現されます。

高倉健、最後の東映出演作となりました。

 

「戦争」を介してふたりの同期が垣間見えました。

 

「徹子の部屋」に鶴田浩二の三女が出ていました。鶴田さやかの名前で多数の時代劇に出演していたようです。生誕100年にあたるそうです。かつて同番組に鶴田本人が出ていた時、黒柳徹子が「お嬢さんと結婚したいひとが来た時、どうします?」と聞くと「ぶん殴ってやります!」っと。当時こどもだったわたしは、結婚するとき、相手のお父さんに殴られるのだと思ってました。

私の場合、妻のお父さんは亡くなられいて、セーフでした…

 

一方、高倉健は没後10年ということで、さまざまイベントが計画されています。なかでも面白いのは丸の内東映の高倉健特集です。

 

https://www.toei.co.jp/entertainment/news/detail/1244006_3483.html

 

ラインナップのなかでも、是非見ていただきたいのは~

 

②「悪魔の手毬唄」…スポーツ刈でスポーツカーに乗った金田一耕助

③「人生劇場 飛車角」…ビッグ2の競演        

④「ジャコ萬と鉄」…明るい健さん~        
⑤「狼と豚と人間」…知る人ぞ知る傑作  

⑭「新幹線大爆破」…これぞ邦画のカルトムービー

 

やくざ映画で名を馳せたふたり

やくざの役をやれる俳優は少なくなったという

それは男の貫禄や色気があるかどうか、そんな気がしています

 

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