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オズ・ワールド 小津安二郎制作秘話?!

                 


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            先 生 の 背 中 

                                                                     ~ある映画監督の幻想的回想録~


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映画じゃなくて舞台なんですけど、映画の世界の舞台化です。

この公演を知ったとき、すでに遅し。チケットは完売でした。これがなんと衛星劇場で放送されるとなって一か月だけ契約しました。ほんとは違う目的なんですけどありがたいオマケです。

 

小津安二郎監督、最後の作品となる「秋刀魚の味」をモチーフにして、小津監督とその関係した人たちのドラマです。この舞台が真実なのかわかんないですけど、サブタイトルにあるように小津監督をモデルにしたファンタジーとしてみました。


世界的名匠・小津安二郎か?


黒澤明、溝口健二と小津監督は日本映画三大巨匠として海外で評価されていますしかし。しかし黒澤・溝口監督と比べて小津監督の評価は後塵を拝しておりました。これは小津作品が日本の市井のひとびとを描き、家族などドメスティックな内容なため、海外では理解されにくいと言われてましたが、真っ赤なウソであるようです。当時の撮影所長が芸術家としてもてはやされ、女優たちに愛されていた小津監督に嫉妬し、海外の映画祭からの招待作品にのせなかったことが因であったと。しかし撮影所長の姑息な手段は小津作品を損ねることはできなかったのです。フランスでオールタイムベストワンや英国では監督によるオールタイムベストワンに「東京物語」が選出されています。

小津作品は独自の撮影方式、室内はほぼセット、お店や旅館や能舞台もセット!そして美術など大道具、小道具のこだわりは芸術作品と評されるものでした。ゆえに結構、製作費もかかっているのです。それゆえ小津監督、作品に関する文献、研究書は多くあります。作品にある家族の在り方だけでなく、設定やセリフ、セット、音楽、カメラワークなどにさまざまな記号があり、その解釈論が出ています。よって何度も作品を鑑賞する楽しみがあります。

淀川長治は黒澤監督を「ナイフとフォークで食べる西洋料理」、小津監督を「畳の上でお箸でたべる和食、日本料理」と評しています。

トーキー、カラーと映画テクノロジーの大きな変化期を迎え、いづれもその取組は遅くに採用しています。またスクリーンサイズの変化でもワイドスクリーンは使用せず、スタンダードサイズのみでした。


小津監督と中井貴一


小津監督は御用達の食堂の娘を気に入って、付き人のようなこといをさせていました。その娘が松竹に移籍してきた佐田啓二と付き合っていました。小津監督はそのことを知って、佐田啓二を小津組に入れます。小津監督は佐田啓二宅へよく通っていました。息子である中井貴一さんはまだ一歳ぐらい。お姉さんの貴恵さんが小津監督と交流していて、手紙のやりとりなどしていたようです。貴恵さんは小津監督を語るイベントなどをされています。父の佐田啓二さんは小津監督逝去の一年後で事故で亡くなります。中井貴一さんはこのふたりの記憶はほぼないと思われます。ゆえにふたりの作品を見ることでしか、監督、父を見ることができなかったのではと思います。中井貴一さんはこの作品のオファーを受けたとき、断ったそうです。でも中井貴一さんにはふたりのことが体内で生きていたかと思います。そしてこの役を受諾されました。


小津マニア


この企画、演出をしたのが行定勲監督です。舞台の演出は初めてだと思います。岩井俊二監督によれば、相当な小津マニアで小津アングルとか美術のセッティングなどがめちゃくちゃうるさいそうです。

小津作品を見るきっかけは父からでした。大学浪人中に小津作品のオールナイト上映があって、見てこいと言われました。父は小津監督同じ高校で、小津作品を見るため汽車に乗って行っていたのでした。また原節子も好きでありました。多くの日本国民がそうであったように。

小津監督が描く世界は家族で、その家族は父母の家族と実に似ていました。父も母も三重の田舎もんで「東京物語」のように故郷におばあちゃんを残し、大阪にやってきています。ここに戦後の家族は故郷をあとにしていく姿がありました。

 

舞台については改めます・・・

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