フランシス・フォード・コッポラ『ジャック』
「ジャック遊ぼう!」
『ジャック』(1996年)の終盤、家に閉じこもる主人公ジャック(ロビン・ウィリアムズ)に会いたい、多くの友達が彼の家の前で、こう叫ぶ。「ジャック遊ぼう!」と。ついこの間まで、両親と家庭教師しか遊び相手がいなかったジャックの世界はがらりと変わった。君がいないと寂しい――そう思う友達がたくさんできた。ジャックが心から欲するものは簡単に手に入れることができた。家から出るだけで良かったのだ。
映画の冒頭、10歳のジャックは毎日を家の中で過ごしていることが分かる。学校には通っていないようだ。通常よりも4倍の速さで成長するジャックは10歳だが、見た目は40歳のおじさん。髭も生えるし、頭髪の生え際は後退しはじめている。でも彼が欲しいのは髪の毛ではない。ジャックが欲しいのは「ジャック遊ぼう!」と呼びかけてくれる友達だ。身体の成長は早いが、心は両親の愛情を噛みしめてゆっくりと成長させてきた。だから言動だけ見れば、10歳の少年そのものだ。
近所で「怪物」と噂されているジャックを学校に通わせたら、きっと彼が傷つく。だって子供は正直だから。しかし両親の心配は杞憂に終わった。最初こそ奇異に感じた見た目も、慣れてしまえば、ただの個性だ。背が大きい子、背が低い子、太ってる子、痩せてる子、見た目がおじさんな子――そんな違いは瑣末なもの。なんてたってジャックは愉快なやつだ。そう、子供は正直だから、ジャックの魅力には抗えない。ジャックと友達になりたい――彼と出会えば、誰もがそう思う。
学校には宿題がつきもの。ジャックが登校するようになって、すぐに宿題が出た。「大人になったら何になりたいか?」をテーマに作文を書かなければならない。提出期限は学期末まで。先生は言う。まだまだ時間があるのだから、時間をかけてゆっくり書きましょうね、と。ジャックの時間と、同級生の時間の進み方は違う。子供とはいえ、もう10歳だ。同級生が大人になった時、自分がどうなっているかは、なんとなく分かる。
ジャックは一番の親友ルイスに、こう打ち明ける。
「二十歳になったら、もう爺さんだ」
「でも人生、二十歳までが華なんだぜ。その後は下り坂だ」
現実は変わらないが、ルイスの返答にジャックは救われたはず。ジャックと出会い、ルイスは変わった。自分がどんな大人になりたいのか分かったのだ。その答えはルイスが宿題の作文を発表する日、明らかになる。
もちろん変わったのはルイスだけじゃないだろう。ジャックと出会った子供たちは、「ちょっと変わった人」を受け入れる寛容性を手に入れたはずだ。一見人と違っても、中身は自分たちと何一つ変わらない――ジャックと遊び、彼らはそれを学んだ。また、老いていくジャックの姿を目の当たりにした彼らは、「高齢者は集団自決しかない」などとは絶対に口にしない。どうやら勉強ができても、そんなことを言ってしまう頭の悪い人がいるようだ。
ジャックの生きた世界は愛であふれている。両親だけでなく、たくさんの友達に愛されたジャックが大人になったとき、何を語るのか、耳を傾けてほしい。そして、ぜひエンドロールも最後まで観ていただきたい。ジャックの人生を表象するような言葉が聞こえてきます。それは、ジャックにとって、とても大事な言葉です。
早逝した息子に捧げた作品
同作は、フランシス・フォード・コッポラ監督の作品です。コッポラの代表作といえば『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』。『ジャック』は、これらの作品とは趣が異なります。コッポラ作品として期待して観ると肩透かしを食うかもしれませんが、良質な作品であることは間違いありません。どうやら、この作品には、若くして亡くなったコッポラの息子への思いを込めているようです。それを知り、なぜコッポラが善人しか出てこない優しい映画を作ったのか納得しました。
同作における白眉は、ジャックを演じたロビン・ウィリアムズでしょう。見るもの全てに興味を示すようなキラキラした瞳――彼の演じるジャックは、まごうことなき10歳の少年です。