大怪獣ガメラ
大怪獣ガメラ
1965年 大映 劇場公開:1965年11月27日
スタッフ 監督:湯浅憲明、築地米三郎 脚本:高橋二三 制作:永田秀雅 製作総指揮:永田雅一
キャスト 日高教授:船越英二、山本京子:霧立はるみ、青柳:山下洵一郎、桜井俊夫:内田喜郎
村瀬教授:浜村純、桜井信代:姿美千子、桜井:北原 義郎、左 卜全、吉田義夫 ほか
北極海上空で、国籍不明機が米国戦闘機によって撃墜された。落ちた飛行機は原爆を搭載していたため、恐しいキノコ雲が上空をおおった。そして、このショックで、地下で冬眠を続けていたといわれるイヌイット伝説の怪獣ガメラが眼をさまし、地上に甦えってしまった。やがて、この海ガメに似た怪獣ガメラは日本に上陸し、まず北海道の北端にある岬に姿を現し、灯台をふみ倒した。しかし、ガメラは逃げ遅れた灯台守の子俊夫をふみ殺そうとはせずそっと救けて、親のもとに帰した。それ以来動物好きの俊夫はすっかりガメラのファンになってしまった。一方地熱や石油などの炎を好むガメラは同じ北海道にある地熱発電所に向った。ガメラの侵入を防ごうとする自衛隊は、数万ボルトの高圧電流を仕かけたが、ガメラには一向に通じず、地底から吹きあげる炎をうまそうに吸いこんだガメラは、ますます勢いをまして暴れまわった。動物学者日高が提案した冷凍作戦も無為に終り、遂にガメラは東京にやってきて、猛威をふるった。これを知った全世界の科学者が続々と東京に集りガメラ防衛対策本部が設置された。連日会議は続き、その結果最終的結論として、Zプラン採用が決定した。

ガメラの造形には八木正夫、村瀬継蔵、八木勘寿、鈴木昶が携わった。火を噴くシーンではガスバーナーを使ったが火が遠くまで飛ばないためガソリンに着火するも、口の周囲や甲羅が燃えただけでなく、火事になりかけて皆で慌てて消したこともあったほか、ガメラ自体が火事になったようなシーンがいくつも生じたという。ガメラの演技者には当初体力のある者が2人、交代で入って演じたが『監督、動けないよ』と言われ途中から改良したそうである。ゴジラのスーツアクターを務めていた中島春雄はガメラについて、動きで見せていた当時のゴジラとは対象的に構えているだけで動けず火を吹くなどしてなんとか見せており、芝居にならず大変だっただろうと評している。また、本社で「B級予算」が組まれ、10月ごろには撮影に入ったが大映本社側はカラーでの製作をしつこく現場に迫ったという。しかし予算的な問題と人員不足、設備的・技術的に無理であると築地が主張したため、結局は白黒作品となった。