陪審員2番
【真実と正義 あるいは良心】
(2024年/米/113分)
監督:クリント・イーストウッド
原題:Juror#2
主人公のジャスティン・ケンプ(ニコラス・ホルト)は、出産を控えた妻と暮らすタウン誌の記者だ。そんな彼がある裁判の陪審員に選ばれる。
裁判の審理が始まり証人尋問や検察側の説明が進むにつれて、彼は次第に不安に駆られて行った。「今、審理中の女性死亡事件の加害者は、ひょっとして自分なのではないか・・・?」
説明の中に自分の記憶と重なる点があることに気づいたのだ。
当該事件の「昨年の10月25日」という日付に記憶があり、それが大雨の夜だったというのも同じだった。彼が運転する車が何かとぶつかった様な衝撃があり、車外に出て確認してみた。バンパーは損傷していたけれど車の前にも下にも何もなかった。「鹿の飛び出し注意」の標識があったことから、彼は鹿とぶつかったものと思っていた。
本作は『十二人の怒れる男』のバリエーションだと思っていただけば、おおよその雰囲気は掴めると思う。陪審員は10名。その10名で事件について審議し被告人について「有罪」あるいは「無罪」の評決で全員が一致するまで話し合うのだ。
この裁判で被告となっている男はジェームズ・マイケル・サイス(ガブリエル・パッソ)で、被害者女性ケンダル・カーター(フランチェスカ・イーストウッド)の恋人だった。酒に酔って口喧嘩になり、怒った彼女が豪雨の中を歩いて帰ってしまったのだ。翌日、彼女は橋から数メートル下の岩場で遺体で発見された。
「自分が加害者かもしれない」という疑念に苛まれたジャスティンは、被告人のサイスがせめて有罪にならない様にただ一人無罪に投票する。当然、他の陪審員たちはジャスティンにその理由を質す。そして、『十二人の怒れる男』のような展開になっていくのであるが、本作の主題は犯人を確定することではない。ほぼ、自分自身が加害者であると内心では認めているジャスティンが何を考え、どんな選択をするのかが本作の核心部分だと思う。
客観的な真実が存在していても、この裁判における公選弁護人エリック・レズニック(クリス・メッシーナ)の正義、フェイス・キルブルー地方検事(トニ・コレット)の正義、陪審員2番のジャスティン・ケンプの正義あるいは良心がそれぞれに違う形で浮かび上がってきて、そこには個人それぞれの事情が影響していた。
評決が出て物語は終わりかと思われたが、クリント・イーストウッド監督はラストでキルブルー検事にジャスティン・ケンプの家のドアを叩かせるのである。観客に結論を委ねるようなラストは、正義や良心の揺らぎを突き付けられたようで、重苦しい余韻を残す。観終わった後、誰かと答え合わせがしたくなった。