フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン
東宝が海外資本との提携によって怪獣映画の新機軸を模索した意欲作であるとともに、怪獣映画としては初の日米共同製作である。
原案を担当したアメリカのSF作家ジェリー・ソウル(英語版)はアメリカ側スタッフとともに医学監修として来日し、撮影にも立ち会った。







広島衛戍病院で破壊された細胞組織の再生を研究しているボーエン博士と同僚の川地、戸山李子の三人は、原爆地広島に忽然と現われた怪童の身柄を預かった。放射能に強く、白人である両親不明の怪童は、周囲の好奇の目の中で、李子の二倍にもあまる成長を示し、もはや人間と一緒に生活することが不能であった。倉庫の中で鎖に繋がれた怪童、報道関係者は広島に集中した。

そのころ広島衛戍病院を訪れた海軍大尉河井は、終戦直前にドイツの潜水艦からフランケンシュタインの心臓をひきとって、広島衛戍病院へ届けたと語った。フランケンシュタインの心臓とは、蛋白質の補給さえあれば、活発な細胞活動により身体がなくなっても復元するというものだった。
もしこの怪童がフランケンシュタインであれば、手足をきっても、新しい手足が出てくるはずだ。折しもテレビ取材に怒った怪童は、倉庫を破り飛び出した。後には鎖でちぎられた手首が床の上を匐っていた。やはり怪童はフランケンシュタインだったのだ。そのころフランケンシュタインは、岡山や、姫路で家畜を喰い荒し、市民を恐怖させていた。警察がやっきになっていた頃、白根山でハイカーが、清水トンネルで工夫が、行方不明となった。その頃フランケンシュタインの行方を捜すボーエン博士のもとに、河井がもう一匹怪獣がいるらしいと情報を入れた。


この映画の特筆すべきの一つにフランケンシュタイン(古畑弘二)の特殊メイクの素晴らしさがあります。人間と怪物の狭間を上手く表現しています。
また、エンディングには数パターンあり自分が見ただけでも2パターンあり、定かではありませんが劇場で見た人の中にこれ以外に幻とも言うべき「違うエンディングを見た」と言う人が少なからず居るそうなのです。
書籍『複数の「ヒロシマ」 記憶の戦後史とメディアの力学』(青弓社)によれば、中国新聞広島版1965年(昭和40年)8月11日付夕刊には「凄絶! ヒロシマで生まれた原爆巨人対地軸をゆるがす凶暴新怪獣! 日米合作で放つ黄金娯楽大作」との煽り文句を謳った本作品の広告が掲載されたほか、8月21日付では広島市内における本作品と『海の若大将』の大ヒットが好意的に報じられた。また、本作品は広島市小学校視聴覚教育委員会の推薦映画だったという。
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投稿を表示>本作品は広島市小学校視聴覚教育委員会の推薦映画だったという。
そうなんですか!?
とても興味深いご紹介、ありがとうございます。
>原案を担当したアメリカのSF作家ジェリー・ソウル(英語版)はアメリカ側スタッフとともに医学監修として来日し、撮影にも立ち会った。
これにも興味津々です。
写真が沢山で、とても分かり易かったです。