似顔絵で綴る名作映画劇場『禁断と官能の世界に浸りたいあなたへ』
禁断と官能の世界に浸りたいあなたへ
「愛」はどこまでも終わりのない旅。求め、与え、傷つけ、そしてさらなる処へと昇華していくのでしょう。そのカタチに決まりごとはなく、誰にもその答えは分からない。そして誰も止めることは出来ない。そんな未知なる扉を開いてもがく人々の姿を描いた問題作をご紹介します。
『エマニエル夫人』(1974)
ベストセラー小説の映画化です。作者は顔を明かさず、さらに本人がモデルではないか?との″戦略″の効果もあって、当時話題の小説でした。70年代は世界的に″性の解放″なる言葉が叫ばれました。その波は、わが日本にもやって来ました。それまで、″エロい映画″は男のためのものでしたが、女性も堂々と映画館に足を運べるような作品が求められたのでした。その記念すべき映画が『エマニエル夫人』でした。
出演のシルビア・クリステルは一躍世界の顔となり、彼女の中性的な美しさとエロさに生つばゴックンとなり、まだまだ″青春の門″の入口でウロウロしている者にとっては刺激的でしたね。お話は、タイのバンコクへ赴任した外交官とその若妻が織りなす様々な性の体験を描いています。夫は若妻を自由に″泳がせ″、刺激的な経験の中から自分好みの女へと成長させようとするのです。やがて、その指南役として登場する「性の達人」(?)のジイさんが何やら哲学めいた事を言いながら彼女を調教していく辺りからよくわからん映画になって行きました(笑)。
『ナインハーフ』(1986)
ひと組の男女の9週間半の″性愛″を描いたチョー刺激的な作品です。当代きっての″セックスシンボル″として名を馳せたミッキー・ロークと、モデルから女優への階段を昇り始めたキム・ベイシンガーが体当たりの艶技であれやこれらとヤッてくれます(笑)。
80年代の映画界において、ミッキー・ロークほど妖しいフェロモンを発したスタアはいませんでした。その彼が最高にエロかった頃の代表作ですね。90年代に入ると、若い頃の夢でもあったプロボクサーへと転身するのですが、これが何ともマユツバもので、誰の目にもその実力を疑問視され、予想通りの″仕組まれた″試合となりました。その後、再び俳優としてカムバックするのですが、試合での傷の為に受けた整形手術の失敗から、その端正だった顔は別人のようになってしまったのです。この『ナインハーフ』は、絶頂期のミッキー・ロークと出会えるのですが、チョッピリ複雑な思いにさせられる作品として私の心に残っています。
『愛の狩人』(1971)
ジャック・ニコルソン、アート・ガーファンクル、アン・マーグレット、キャンディス・バーゲンらが織りなす愛と性の問題作。
性格も女性観もまったく異なる二人の大学生と、彼らを取り巻く女性たちとの関係を通して、20年に渡る愛と友情と性の葛藤が斬新かつ刺激的に描かれます。原題はズバリ「性行為」を意味する言葉。このまま邦題にしたら大問題です。当時の配給会社は頭を悩ませたことでしょう。そして付けられたのが『愛の狩人』。見事なタイトルです! この時代にはキラ星のような「名日本語タイトル」が溢れていました。昨今の洋画タイトルは、原題をそのまま使用する傾向にありますが、我ら昭和のオヤジにはどこか味気なく、何かのっぺりとした感があって好きになれません。この作品は、もちろんビデオも無かった頃に、何度も名画館を追いかけましたね。初めて観たのはテレビ放映でした。当然ながらいくつものシーンがカットされていましたが強烈な印象を残しました。その時にもう一つ心をわし掴みされたのが劇中に流れる音楽でした。何とも言えない哀愁が漂うその曲と、刺激的なストーリーと描写との大いなるギャップがまた不思議とシンクロして胸アツとなったのです。そして、その曲が『ムーンライト・セレナーデ』と知り、そこからグレン・ミラーの名曲たちとも出会うのでした。
『ベニスに死す』(1971)
ルキノ・ビスコンティ監督の描く官能と滅びのレクイエム。
第一次世界大戦の暗い影が忍び寄る20世紀初頭のヨーロッパ。療養に訪れたベネチアで、14歳の美少年に雷に打たれたように惹かれた音楽家。人生の黄昏を迎えて、幻を掴むように少年の姿を求めさまよい歩く。美への執着に抗えない音楽家は、心と肉体とが刺し違える欲望の禁猟区に迷い込む。折しも疫病がこの地を蝕み始め、街には不吉な風が吹き荒れていた。もはや音楽家には、心の調律もままならず崩壊していくのだった。純白のスーツをまとい、醜いほどの化粧を施し、見つめる先の少年の姿がやがてうつろに歪み、見えなくなる。
音楽への愛、芸術への愛、異性への愛、同性への愛。全ての美しきものへの愛に身を焦がし堕ちていく男。その情念は時を駆け、やがて輪廻の如く舞い降りて、新たな蜜を探すのでしょうか。ジェンダーという概念が市民権を得てきた今の時代において、性別による不平等や偏見の壁を打ち破るという意味においても、これまで以上に再評価されるであろう、どこまでも果てしなく深い映画です。
『クルージング』(1980)
数あるアル・パチーノ出演作の中でも異色の作品です。
ハードゲイが集まるエリアとして有名な、ニューヨークのクリストファー・ストリートで連続猟奇殺人事件が起こる。被害者は皆その嗜好と判明する。ゲイ社会への潜入捜査を命じられた若い刑事が目の当たりにした“未知の園”は、言葉では言い表せないほどの強烈なフェロモンを発していた。“彼ら”がたむろするバーに出入りをしながら夜な夜な繰り広げられる“卿宴”の中に身を置く刑事。犯人を追い求める自分と、体の中から沸き起こる得体の知れない“何か”と闘う自分。弾けるような強烈なビートと、闇に浮かぶ妖しい眼光の矢たち。事件の決着は、どこまでも続く漆黒の沼の様相を呈してきた・・・。
監督が鬼才ウィリアム・フリードキン。主演は大スタアへの階段を駆け上がっていたアル・パチーノ。そして描かれるのがこの題材、と来れば面白くない筈がない! 誰もが大いなる期待を胸に劇場へと走りました。しかし・・・。
撮影当初からゲイ団体からの激しい抗議運動が続き、時には妨害行為さえ起きました。
「ゲイ=犯罪者」という偏見のレッテル貼りだとの強い反発により、途中から脚本を大幅に変更するなどドタバタしたようです。結局、出来上がった作品はどこか消化不良となり、期待したものとはほど遠いものでした。アル・パチーノ本人もこの作品を自身のキャリアとして留めたくないフシがあり、後年になっても話題にしていません。総合的には低評価の作品ですが、随所に“魔性の魅力”が溢れるシーンがあり、私は好きです!
『戦場のメリークリスマス』(1983)
大島渚監督で主演がデビッド・ボウイにYMOの坂本龍一、そしてビートたけし⁉
このキャスティングを聞いた時は椅子から転げ落ちました(笑)。
しかし、現実に映画は製作されたのです。この驚きは尋常ではありませんでしたね。誰もが半信半疑で公開を待ったものです。
第二次世界大戦。日本軍捕虜収容所での異形ともいえる文化的、宗教的な対立の中で、心の奥底から沸き立つような抑えきれない感情を見つめた作品です。捕虜とそれを支配する者という両極の立場で、男と男とが互いに惹きつけられていく過程は、「同性愛」という決まり文句では表現しきれない“何か”を放っていました。そして、最後までそれが分からないままに複雑な余韻と共に映画は終わるのです。同時に、坂本龍一作曲の、時空を超えた「言霊」のようなリフレインに包まれながら、得体の知れない“何か”をいつまでも探し求める映画なのです。彼のこの音楽なしには、この不思議の映画は語れないほどに、そう思わせるような見事に一体化した名曲でもありました。