「ブロークバック・マウンテン」
読書の秋🍂ということで、今回は昨秋(「存在の耐えられない軽さ」)に引き続き、原作が魅力的な作品として「ブロークバック・マウンテン(2005年)」をとりあげてみます。
カウボーイのイニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク・ギレンホール)、ふたりの1963年から約20年にわたる物語です。かなり原作に忠実に描かれており、創作箇所はあるものの良作に結実させたアン・リー監督の力量はさすがです。原作者アニー・プルーのポエティックかつ簡潔な表現を尊重した映像化であることも感じられます。
自然・解放の象徴
ブロークバックマウンテン
原作は、プルーによる同名小説。舞台であるアメリカ西部・ワイオミング州は、プルーが居を構える地であり、アメリカでもっとも人口が少なくのどかさはトップクラスでしょうか。雄大な山々の景色が美しいです(もっとも、山地の多くはカナダで撮影されたそうですが)。
実は「ブロークバック・マウンテン」は架空の山だそうで、羊の移動牧畜のために雇われたイニスとジャックは、ワイオミング州にあるという設定のその山で数か月間、生活をともにします。どこか嚙みつきあって戯れる野生動物を連想させるふたり。「ブロークバック」は彼らのはじまりにして、戻ることのできない場所として、以後の人生でもっとも輝きに満ちた記憶となるのでした。
保守的な規範との葛藤
数百頭もの山羊を率いる山での仕事は決して楽ではなく、熊やコヨーテに出くわすこともあれば、凍えるような吹雪のなか野営することも。さまざまな危険と隣り合わせの日々をどうにか乗り越えてゆく彼らは、本質的にはタフなカウボーイであることに変わりなく、また当たり前のように各々女性と結婚し家庭を築きもします。にもかかわらず、到底女性が入り込む余地のない、ふたりだけの世界を繰り広げてゆきます。
「男は強くあるべき」「女を愛するべき」という暗黙の規範は、カウボーイのマッチョな労働文化と、キリスト教における「家族」「異性愛」への価値観もあいまって、彼らや彼らをとりまく社会に根付いていたことでしょう。ふたりは常に葛藤にさらされながら、20年もの年月を費やしてしまいます。

映画の創作部分について
重要なエッセンスを抽出したような男性ふたりの物語然とした原作において、女性たちの描写は必要最低限と感じるほど少なく抑えられています。ジャックの妻ラリーン(アン・ハサウェイ)は「可愛いテキサス娘」、イニスが離婚後に出会うキャシー(リンダ・カーデリーニ)は「訳ありの女」としてそれぞれほんの1行、記されるのみ。映画では、女性のキャラクターや彼女らとのやりとりもわりと膨らませて描かれており、そのあたりも原作を損なわず、イニスとジャックの人物像に奥行きを与えるかのようです。他さまざまな側面からみても、本作は小説の映画化として成功パターンではないでしょうか。
ちなみにプルー原作の映画化は、本作のほかに「シッピング・ニュース(ラッセ・ハルストレム監督、2001年)」があり、残念ながらこちらは原作とは別物に仕上がっている感があります。
本作には全編に貧しさや寂しさにまつわる悲しみがそこはかとなく漂っています。なかでも私を揺さぶるのは、当人たち以外に、誰一人としてふたりの関係を肯定する人物が現れないばかりか、否定されるのみであったことです。それはとてつもない悲しみを投げかけてきます。
ただ、イニスがあることを誓うラストは、本作が悲劇であるか否かは論外であることを物語っており、救いを感じるばかりです。



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投稿を表示映画館で鑑賞しました。
結婚して自身の家族を持ちながらも愛し合うイニスとジャックの姿が目に焼き付いています。
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投稿を表示原作者の名前がアニーなのでどうやら女性の作家みたいですね。私の早とちりでした
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投稿を表示私の推し俳優ミシェル・ウィリアムズ目当てで以前鑑賞しました。そんな理由もあって彼女が夫と友人の抱擁を偶然目撃してしまい動揺する部分が一番印象に残っています
ブラックチェリーさんの記事によれば原作小説では女性の存在が希薄とのことで少し意外な気がしました。或いは作者自身の性的指向が主人公たちと同じなのかもしれませんね