似顔絵で綴る名作映画劇場『義理と人情の重さを知りたいあなたへ』
義理と人情の重さを知りたいあなたへ
かつて一世を風靡した「任侠映画」というジャンルがありました。
“義理と人情”というある種の美学の中に、男と男、男と女の奏でる、壮絶でありながらも切なく哀しい物語が、多くの映画ファンを魅了しました。そんな忘れじの作品をご紹介します。
『昭和残侠伝 破れ傘』(1972)

任侠映画の代表格『昭和残侠伝』シリーズの9作目にして最後の作品です。
健さん扮する秀次郎と池部良扮する重吉が、シリーズ途中からは毎回この役名にて定番化され、互いに敵対する仲でありながらもやがて心に秘めた熱いものを感じ合い、最後には二人で殴り込みに行く、という最強のパターンで終わるのがお決まりでした。
今作品では、3年ぶりに出所した秀次郎がかつて恋仲だった女を探すうちに知り合ったのが重吉。名の通った侠客であった重吉は、今では足を洗い、かたぎとなって妻との慎ましい生活を送っている。そしてその妻こそが秀次郎が探していた女だった。しかし、渡世の義理のために重吉は再びやくざの世界に戻る。組同士の見苦しいまでの対立のはざまで、仁義をないがしろにする相手に単身殴り込む秀次郎。道中に現れた重吉。「どちらに行かれるんで?」「ちょっとばかりやり残した用事がありまして」「ご一緒いたします」
これ以上の言葉はいりません。静かに小雪が舞い出した。無言でかざす番傘。互いの心の血潮が雪をも溶かす。あぁ、健さんが唄う「唐獅子牡丹」よ永遠に。

『ザ・ヤクザ』(1974)

日本の“組織”に娘を誘拐された友人の依頼で、ロサンゼルスで私立探偵をするアメリカ人の男が日本にやって来た。日本には、かつて彼から大恩を受けた元ヤクザがいて、娘の救出の為に協力を約束する。そして、いくつもの殺戮と裏切りの末に、男ふたりによる“殴り込み”となるのです。東映の任侠映画を“日米合作風”に描いた異色のヤクザ映画です。ロバート・デ・ニーロの名作『タクシードライバー』(1976)や、ベトナム帰還兵の“義理と復讐”を描いたカルト的秀作『ローリング・サンダー』(1977)の脚本で知られるポール・シュレイダーが、大好きな「東映任侠もの」への熱い想いをストレートに書き下ろし、シドニー・ポラックが監督しています。アメリカ人の私立探偵をロバート・ミッチャム、彼を助ける日本の元ヤクザを高倉健が演じています。アメリカ人にはなかなか奥が深すぎるであろう「義理」というワード。それが随所に用いられ、日本人の精神性に近づきながら理解しようとする姿勢が色濃く見受けられます。40代前半の男盛り真っ只中の健さん。その背中の彫り物と、そこに浴びた鮮血のほとばしりに、息を飲むような“禁断の美学”を見ました。公開当時、我らが高倉健の圧倒的な存在感と、観ている側の背筋が伸びるほどの緊張感に満ちた佇まいに、こぶしを握り締めながら、心の中で「ハリウッドに勝った!」と小さく叫んでいました(笑)。ちなみに、私のスマホの待ち受け画像は、鮮やかな紋々を背負い、長ドスをグッと構えた健さんの雄姿です。

『緋牡丹博徒』(1968)

この『緋牡丹博徒』シリーズをはじめ、『日本女侠伝』シリーズ、『女渡世人』シリーズのヒット作を連発した藤純子は、東映の女任侠スタアとして文字通り一世を風靡しました。
仲でもこの『緋牡丹博徒』は、全8作を製作する大ヒットシリーズとなり、東映任侠路線の黄金期を支えるドル箱作品となりました。東映の雄、高倉健との共演も多く、男女2大トップスタアの揃い踏みという、他にあまり類を見ない黄金コンビでもありました。
藤純子といえばお竜さんです。「女だてらに、こぎゃんモンば背負って生きとっとです!」と、毎回お決まりの片肌脱いでの名場面に、映画館に詰めかけた男たちは拍手喝采したのです。そして、父の仇討ちに命を懸けるお竜さんを思い留まらせようとする健さん。「おメエさん、人を殺しなすった事はあるのかい? 洗っても洗っても、どうしても落ちない血の匂いが、死ぬまでつきまとうんだぜ!」 任侠映画時代の健さんの声をテレビやDVDでしか聴いたことがないお若い世代にとっては無理な話ですが、映画館でその声を全身に浴びるのは至福の時と言えます。五臓六腑に染み渡るようなドスのきいたあの声。今となっては映画館でこの種の作品を堪能できることは残念ながら無いでしょうね。
さて、お竜さんです。真っ白い背中に咲いた緋牡丹が哀しく燃えて、片肌も艶やかにキリリとした瞳で啖呵を切る。この時に、一瞬だけチラリと見せる可憐なエクボを私は見逃さなかったのです。密かにこれを「奇跡のエクボ」と呼んでいました(笑)。
昭和47年(1972)に引退を表明し、最後の作品は『藤純子引退記念映画・関東緋桜一家』でした。これには、鶴田浩二、高倉健、菅原文太、若山富三郎、そして片岡千恵蔵に嵐寛寿郎
までもが花を添え見送りました。

『昭和おんな博徒』(1972)

江波杏子主演の女任侠映画。正統派の美人女優とはひと味違う、ちょっとクールな個性派の人。大映で長らく脇を固める存在であった彼女の名を世に知らしめたのが、昭和41年(1966)から始まる「女賭博師」シリーズです。江波杏子の演じた「昇り竜のお銀」が活躍するこの一連の作品は、当初の予想を上回るヒットシリーズとなり、全17作が製作されたのです。その涼しすぎるほどのりりしい瞳は、どこか凄みさえ感じさせます。ある意味、リアリティという点では群を抜いており、女任侠ものとしては最高峰のひとつだと思うのです。
長く大映で活躍した後、「昇り竜のお銀」のキャラクターをそのまま引っ越したような、江波杏子の東映初出演作が『昭和おんな博徒』です。松方弘樹を相手に、切ない恋が美しくも悲しく描かれ、はからずも任侠道に足を踏み入れた女の哀しみを、江波杏子の魅了いっぱいに謳い上げた傑作です。そんな彼女の代名詞でもある「おんな博徒」という役柄を、本人はあまり好きではなかったと何かの記事で読んだことがあります。往年のフランス映画のような、ちょっとクールな現代劇をやってみたかったようです。彼女の彫りの深い顔と、憂いを帯びた表情は、あのヌーベルバーグのような作風に見事にハマりそう。

『人生劇場 飛車角』(1963)

尾崎士郎原作の小説『人生劇場』に登場する侠客の飛車角という人物により光を当てて、彼を主役にしたのがこの作品。東映の「やくざ路線」の先駆けとなったとも言われています。時代劇が下火となり、傾きかけた東映を復活させたこれらの任侠映画は、この先10年あまり東映の顔としてヒット作を連発するのでした。それまで、これといった代表作が無く、どこか中途半端な存在であった健さんは、この作品のやくざ役でカラを破り、以降の“大スタア高倉健”への道を突き進むのです。鶴田浩二扮する兄貴分の女と知らずに恋仲となってしまい、もがき苦しむ若き侠客の姿を健さんが見事に演じています。そして、鶴田浩二。若き日の彼は空前の人気の“トップアイドル”であったことは知られていますが、私の世代では、男の色気を漂わす陰ある中年の映画スタアのイメージでしたね。そして、その原点とも言えるのがこの飛車角の役でした。

『極道の妻たち』(1987)

かつてあれほどの人気を誇った任侠映画も、時代の移り変わりとともに姿は消え、やがて『仁義なき戦い』シリーズが現われて「実録路線」が脚光を浴びました。映画に登場する侠客たちは“ヤクザ”へと様変わりし、昔のような「義理と人情」というものがお題目となったかのようでした。殺るか、殺られるか、といった激しい殺戮の世界へと変貌したのです。
80年代になり、女性の社会進出が強く求められるようになり、そこに目を付けた東映は新たな路線として『極道の妻たち』の映画化に着手したのです。それまで主人公のヤクザの陰に咲く花であった女たちからの視点で描き、女性層からも支持を得た異色のヤクザ映画はやがてシリーズ化され、何人もの大物女優が切れ味鋭く啖呵を切るのが人気となりました。
その中でも、やはり岩下志麻の姐御ぶりが強烈です!「覚悟しいやっ!」は圧巻でした。
ホテルに閉じこもって役作りに没頭している時、友人からの電話に開口一番「ワシや!」と口走ったというエピソードには大笑いしました。
ちなみに、シリーズ化にあたり東映は数々の大物女優たちにオファーをしましたが、その中には吉永小百合の名前もあったそうです。やはりと言うかその打診は断られましたが、今にして思えば吉永小百合の姐御姿も観てみたかった!
