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2023/03/04 12:28

第1作目 その男、凶暴につき。 映画監督になってしまった!?

その男、凶暴につき  平成元年(1989年)公開

精神的な「痛み」を感じる作品。

当初、仁義なき戦い蒲田行進曲等の監督である故深作欣二氏で撮る予定だったが、主演のビートたけし(北野武)のテレビ収録のスケジュールと深作監督の映画撮影スケジュールが合わなく、深作監督が降板したため配給会社の奥山プロデューサーから北野武に「スケジュールなど好きなように撮影していいから監督をやらないか」との依頼をうけ「脚本の手直しが条件」とのことで棚から牡丹餅(ぼたもち)みたいな感じで北野武監督が生まれた。

北野監督が生まれた背景として昭和~平成(1988年~90年初頭)の頃「異業種映画監督」がちょっとしたブームとなっていた。

ミュージシャンからは桑田佳祐が『稲村ジェーン』1990年公開)小田和正『いつかどこかで』1992年公開)俳優からは竹中直人『無能の人』1991年公開)、テレビ界から映画へ岩井俊二監督『Love Letter』1995年公開)など様々な分野から映画界へ新風が吹き込む。

深作欣二監督とはバトル・ロワイアルでタッグを組むことになる。

しかし現場のスタッフには映画作りの職人気質があり「お笑いタレントが監督なんて」との思いもあり前途多難な状況であった。北野監督自身は「俺は何十年もテレビ番組をやってきた!制作方法、撮影についても熟知している。テレビ番組はカメラは何台もある、映画なんて1台じゃねーか」と内心、思っていた。

主役はあの暴れん坊ミュージシャンだった?!。

主演は北野監督自ら演じたが、実は暴れん坊のイメージが強い泉谷しげるだった。監督は泉谷へ出演オファーを出したがスケジュールの都合で流れた。北野監督・主演:泉谷しげるはかなりのインパクトがあったかもしれない。この二人で共作した「夜につまずき」は名曲。

映画監督としての初日、ある事件?が起こる。

現場に来るなり、小道具部屋へ行く北野監督。一体何をしに??と戸惑う俳優やスタッフたち、数分後に剣道のかっこうをしてお面をしてた監督は「赤胴鈴之助‼だ」といい、見事にその場をシーン~とさせていた。

3日目の朝、現場に来た菊池刑事役の芦川誠に北野監督は「台本は見なくていいから」とスプリクター(記録)からセリフや指示が書いてある紙を渡されそのメモ書きを元に撮影が進行していく。

現場のスタッフも戸惑いながらも斬新な監督の技法に新鮮さと緊張感を感じ、北野監督に対して一目を置くこととなる。現在でも北野組の主要スタッフはほぼ変わらない。

その男凶暴につき 観てほしい 5のポイント!

  • 古今亭志ん生(五代目)「黄金餅」がカーステレオ流れる場面。
  • アパートから逃げる犯人を見る少年の表情。
  • 銃撃戦の時の流れ弾がたまたまその場にいた通行人が撃たれてしまう衝撃のシーン
  • 金属バットを持つ犯人を車で追うシーンの演技ではない菊池刑事役の芦川誠のリアルな「焦り」
  • 清弘(殺し屋)役の白竜の不気味さと等身大の恐ろしさ

殴られた側の「痛み」を表現

その男,凶暴につきでは「暴力シーンで痛みを感じる」場面がある。その代表的な場面は我妻刑事が(たけし)、容疑者をひたすらびんたをするシーン。肉体的な痛みより精神的な「痛み」を感じる。

この「暴力シーン」について映画評論家・文芸評論家の蓮見重彦氏との対談で、北野監督作品の「暴力」ついて語っている。

蓮見「(北野作品の暴力シーンを観て)この人は人を殴ったことがあるひとだな~と感じるが実際はどうか?

北野「殴ったことがあるというか、殴られた事の方が強いでしょうね」

北野「一回も殴られたことのない人は(暴力シーン)もっと残酷でもっと大げさなことをしてしまう」

北野「喧嘩はしたけど、ほとんど負けた 殴られた 痛さを感じることがあった」

蓮見「やっぱりそういうこと(殴られる痛みを知っている)ある種の優しさがあるというお考えですか?

北野「そうですね~殴れられてのばされてしまった方の悲しさをわからないとダメだな~と思う。殴って勝ったこともあるし、殴られてひどい目にあったことの雰囲気や感じがわからないとじゃぁ拳銃は別な事であって類推(るいすい)しないといけない。」

監督のバックボーンは漫才師。根底には「落語」を感じる。

映画も漫才師のような掛け合いの場面や演出を期待して観たが全編落語の世界観を感じた。淡々と進む映像、ピンで歩くシーン、極めつけは監督自身も少年時代から好きな古今亭志ん生(五代目)の「黄金餅」が白竜が運転する車内でラジオ局をザッピングしNHK(594)に合わせると流れる。

「愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉(いいくら)六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た。随分みんなくたびれた。」私も落語を文字おこしして、少しくたびれた。

印象的な「歩くシーン」。実は上映時間が足りなかったため急遽足した?

小学生らが下校中に険しい表情の主人公我妻(ビートたけし)が歩いて警察署へ向かう。セリフもなくBGM(我妻のテーマ:グノシェンヌI)だけがかかる印象なシーン。このシーンは映画の編集時に生まれた。スプリクター(記録)から「監督、時間が足りないので何かを足してほしい」とのことで歩くシーンを足した。どことなく不安な険しい表情をしている演技に評価を得たが、シーンの真相についてはオールナイトニッポンで語っている。

「警察に許可取ってないから、不安な気持ちが表情に出たのかも」演技ではなく自然な雰囲気が歩くシーンをより印象を強くしたのかと思う。

 

映画が公開された当時はビートたけしとしてはテレビ番組のオレたちひょうきん族が終わり、翌年には約10年続いたラジオ番組のビートたけしのオールナイトニッポンが終了した。芸人・タレントから映画監督へ活動のフィールドが変わった記念すべき作品。

 

 

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