日米比較 ヒーローのリブート作品 C・ノーランVs庵野秀明①
テレビでヒットしたヒーローものの映画化について
日米の考察をしてみました。
【バットマンとウルトラマン・仮面ライダー
日米ヒーローのリメイクにおける違い!】
C・ノーランの「バッドマン ダークナイトトリロジー」イッキ観しました。
「バットマン」は先に1989年にT・バートン作品があります。
これは「スーパーマン」が映画化されヒットしたことで、
アメリカンコミックのヒ映画化に火をつけたものと思います。
T・バートン作品は日本でさほどヒットしませんでした。
宣伝が失敗したのです。
ビジュアルがあのバットマークだけのもので、
日本人にはちんぷかんぷん、そこまでバットマンのこと好きではないし、
TVシリーズは20年以上まえのものです。
(わての家にはバットモービルの模型はありましたが)
アメリカ人には思いもあるんでしょう、4本も制作されました。
そして約10年後にC・ノーランにより、バットマンが再び登場します。
いまやハリウッドを代表する監ですが、
はっきり言って、これまでのシリーズとは一線を画した出来で、
バットマンの人物像から、ゴッサムシティの環境設定、絡む人間関係が
実に見事に映像化されていました。
三作とも3時間近い超大作。
バットマンの誕生秘話、
ブルースウエインの原体験(父母が悪党で殺される)ところから、
その犯人が目の前にいても司法のもとでは罰をくだせない。
法で裁けない悪を叩くため、悪の世界に入りこんで力を得る
この設定は「ダーティハリー」「狼よさらば」に通じる
アンチ・ヒーローイズムでいづれも人気を博し、シリーズ化されています。
悪とはなんなのか?
ノーラン作品はこれを明確に描いています。
2作目「ダークナイト」で登場するジョーカー、
権力もカネも欲しくない、自分の側、ダークサイドに引き込むのが目的。
悪の境界線がシームレスになっていて、
味方が敵に変換していく様が描かれていきます。
ゴッサムシティの救世主として現れた検事が、ジョーカーの手中にはまり、悪に転換してしまいます。
これは極めてキリスト教的な教義にあふれています。
正義と悪は対立しているのではなく、共存しているのだと。
これは「スターウォーズ」におけるダークサイドにも見られます。
フォースという力をもったものが、ジェダイマスターになるとは限らないように
ヒーローの役割は何なのか
3作目「ダークナイトライジング」では、
C・ノーランは囮のようなストーリーを投げかけてきます。
バットマンが歯が立たない強烈な悪が出てくるのですが、
実はそれは本丸ではなく、身近に最大の悪がいたと。
この悪の陰謀を阻止するため、バットマンがとる行動~
見返り求めない、無償の愛なのです。
これぞハリウッド・ヒットの方程式!
「カサブランカ」「ローマの休日」から「ポセイドンアドベンチャー」など
他に西部劇も含めて
アメリカ人が好むストーリーラインなんです。
「七人の侍」が好まれ、「ゴジラマイナスワン」がヒットしたのも
ここにあると思うのです。
アカデミー賞俳優のキャスティング
主人公B・ウエインを支える、悪ではないキャラクター三人が、
いづれもアカデミー賞俳優が演じています。
G・オールドマンが出てると、こいつ悪い奴という先入観がでてしまうのですが、
悪ではないオールドマンを初めて見ました。
これに対して日本のヒーローはどう?
「シン・ウルトラマン」と「シン・仮面ライダー」
について話したいと思います~
つづく
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投稿を表示その「シン」の考察が読みたいです!
続きよろしくお願いしますっ!!