懐かしき1940年代の映画「日本編」
1950年代、1960年代、1970年代と、懐かしの名作を「アメリカ編」「ヨーロッパ編」「日本編」に分けて振り返っている。
前回の1940年代「ヨーロッパ編」に続き、今回は1940年代の日本映画を懐古したい。
当時の作品をリアルタイムで観ていたわけではないが、深い感動に浸れる名画が多い。
一番美しく(1944年・東宝): 黒澤 明 監督
「一番美しく」...これは本作に登場する女子挺身隊の乙女たちの、純真なこころの象徴です。
失敗をしながらも素直さを失わず、屈託のない笑顔で乗り超えていく彼女たちの姿に、思わず目頭が熱くなりました。
第二次世界大戦末期の昭和19年。東亜光学平塚製作所には数十人の女子挺身隊が配属された。
工場長の石田(志村喬)は彼女たちの積極性を歓迎するが、青年隊長の渡辺ツル(矢口陽子)と寮母の水島先生(入江たか子)にまとめられた彼女たちにも、やがて疲れの兆候が見えてくる。
突如、体調を崩して泣く泣く帰郷する者や、陽気な性格ながら不注意で屋根から落ちて怪我をする者等々。状況を心配した渡辺は、気分転換にバレーボールで元気づけさせようとする。さらに鼓笛隊の一糸乱れぬ練習で、彼女たちは青春を燃焼させていった。
ところがある日、ふとしたことから彼女たちの不満が爆発し、誤解もあって工員同士がいがみ合う事態に陥っていく...。
日本映画が国家の管理統制下にあった時代。
黒澤明監督は、戦意高揚映画として、国内産業維持のため未婚女性を勤労動員した女子挺身隊の姿を描いた作品を作ったのです。
後に黒澤監督の妻となる矢口陽子の演技は見事でした。
信子(1940年・松竹): 清水 宏 監督
この映画こそ、日本の学校教育に携わる関係者に是非とも観ていただきたい、そう願わずにはいられない良質作品でした。さらに言うならば、中・高校生にも、いや小学校高学年の生徒さんにも。
本当は中・高校生の子供を持つ親御さんが、我が子と一緒に鑑賞できたら一番いいのかもしれません。
東京の、とある女学校に、九州から新任の女性教師・小宮山信子(高峰三枝子)が赴任してきた。校長の関口(岡村文子)から教育方針や教師の心構え、初任給は32円などの説明を受ける。
信子は会話の語尾に ‘け’ をつけてしまう癖(方言)があり、校長から直すよう注意されるが、つい出てしまう。「体操」の授業で運動を指揮した後、体操の解説で、やはり語尾に ‘け’ がついてしまい、生徒たちに嘲笑される。休憩時間には信子の話し方のマネをして楽しんでいる様子。
信子が英語の教鞭をとった日。英語の文法について質問した生徒の細川穎子(えいこ)は、 ‘英語にも方言があるのでしょうか?’ と聞く。躊躇いながらも ‘それはあるでしょう、あります’ と答える信子先生。細川は、 ‘それでは ‘け’ とか ‘けん’ とか言うのは英語で何と言うのでしょうか’ と聞く。
他の生徒の笑い声が聞こえる中、信子の顔色が一瞬変わる。
この映画に暗さは感じられません。
校庭での生徒たちの体操の様子、和気あいあいとした寮生活、唄いながらのハイキング、すべて女生徒たちの明朗快活な様子が自然と伝わってきて、彼女たちを応援したくなります。
まるで、校長をはじめとする教師たちよりも、女生徒たちのほうがよっぽど大人です。
(勿論、信子先生は別ですよ)
元禄忠臣蔵 前後編(1941年、松竹・及び 興亜映画): 溝口 健二 監督
元禄15年(1702年)12月14日。大石内蔵助率いる赤穂四十七士が、主君・浅野内匠頭長矩の無念を晴らすため、本所・吉良邸へ侵入、吉良上野介を討ちとった。
この映画は1941年(昭和16年)12月1日に前編が、翌1942年(昭和17年)2月11日に後編が公開されている。つまり、真珠湾攻撃の6日前に前編が公開されいるのだ。
今まで数多くの「忠臣蔵」、「赤穂浪士」の映画を観てきたが、本作はモノクロながら、まるで時代絵巻を観ているかのようだ。特に撮影セット、小道具、衣装などは限りなく実物に近いのではないか。
そして役者のセリフや言い回しは、近年の時代劇のそれとは一線を画し、まさに徳川時代を彷彿させる素晴らしい表現である。
又、大名屋敷内を真正面から、及び、やや上部から捉えたカメラ・アングルの見事な構図、末端家来から待女にいたるまでの所作の徹底ぶりなど、細部に渡っての演出のこだわりが見てとれる。
主役の大石内蔵助を演じているのは、四代目河原崎長十郎。渋く、野太い声。そして目力がある。
又、四十七士の一人、武林唯七役で、加藤大介が出演、すぐ彼と分かるが、当時は市川莚司と名乗っていたようだ。
更に、徳川綱豊役の市川右太衛門、瑶泉院役の三浦光子、「おみの」役の高峰三枝子らの演技にも注目だ。
因みに、大石内蔵助を演じた四代目河原崎長十郎と、妻の大石りくを演じた山岸しづ江は、実夫婦でもあった。
野良犬(1949年・東宝): 黒澤 明 監督
終戦から4年、日本がやっと落ち着きを取り戻し始めた頃の作品です。
下山事件や三鷹事件などの暗いニュースが流れる一方、湯川博士が日本人初のノーベル賞(物理学賞)に輝いた年でもあり、日本の高度成長期の礎が築かれるべく、人々のエレルギーを感じる映画でもありました。
猛暑の東京。若い村上刑事(三船敏郎)は射撃訓練からの帰り、バス車内で拳銃を掏られたことに気づき、犯人を追うが見失ってしまう。お銀(岸輝子)という女スリから情報を引き出した村上は、拳銃の闇取引の現場を突き止める。やがて淀橋で強盗傷害事件が発生、村上の拳銃が使われたことが判明する。村上は淀橋署のベテラン佐藤刑事(志村喬)と捜査にあたることとなる。やがて拳銃の闇ブローカーの存在を知った両刑事は、ターゲットが無類の野球好きと知り、後楽園球場に向う...。
黒澤作品に最も多く出演した女優、千石規子が若く(出演時27歳)勇ましい。
本作が16歳で映画デビューの淡路恵子をはじめ、木村功、東野英次郎、千秋実、飯田蝶子、伊藤雄之助らが出演しています。
東京の街の風景は時代を感じますし、巷には「東京ブギウギ」や「ブンガワン・ソロ」のメロディーが流れています。後楽園球場では「巨人」対「南海」の試合が行われています。
古い映画には、ストーリーの展開や俳優の演技を観る楽しみとは別に、それぞれの「時代」に触れられる側面があることも大きなポイントです。
ハワイ・マレー沖海戦(1942年・東宝)山本 嘉次郎 監督
「謹みて、この一篇をハワイ・マレー沖海戦に散華されたる護國の英霊に捧げまつる」 製作者一同
本作公開前年の1941年(昭和16年)12月8日未明、日本軍はハワイ・オアフ島の真珠湾攻撃を敢行、その2日後の12月10日には、マレー半島東方沖で、イギリス軍戦艦2隻を撃沈した。
この戦果に至るまでを、前半:海軍パイロットを目指す青年と家族の交流、予科練生たちの厳しい訓練の様子、後半:航空母艦内の生活の様子や実地訓練、特撮を用いた攻撃シーン、等々によって実にリアルに描いている。
昭和12年夏のこと。友田義一(伊東薫)は海軍少年飛行兵を志し、土浦海軍航空隊予科練習部に入隊した。友田はその日から同期の少年兵らと共に、山下分隊長(藤田進)の指揮の下、精神教育を徹底的に叩き込まれる。日本と英米間の緊張が高まる中、昭和14年、海軍飛行隊の一員となった友田が乗組んだ空母が基地を出航していく。
数日後、乗組員たちが受けた命令は、12月8日未明、ハワイ・真珠湾を攻撃するというものだった。来る当日、日章旗を付けた航空大編隊が、一路真珠湾に向かって飛び立っていった。友田は雷撃隊である。そして水平爆撃隊、急降下爆撃隊の大編隊が真珠湾に奇襲攻撃を仕掛けた...。
実戦さながらの特撮攻撃シーンが凄まじい。
義一の姉、喜久子を演じているのが原節子、妹、宇女子(ウメコ)を演じているのは加藤照子。
因みに、友田義一を演じた伊東薫は、1942年12月に兵役招集され、1カ月後に中国で戦死したそうである。享年20歳。
「海ゆかば」のメロディーが哀切極まりない。
夜の女たち(1948年・松竹): 溝口 健二 監督
義妹への哀れみと、男への憎悪が入り混じった心情からか、 ‘骨まで腐り、心の底まで腐れ!’ と叫ぶ田中絹代の表情は、演技の域を超えているかのようだ。
さらに ‘女という女、男という男、人間という人間、すべて憎む!’
彼女の慟哭が観る者のこころを揺さぶる。
戦後間もない大阪。大和田房子(田中絹代)は出兵後未だ帰らぬ夫を案じながら、結核を患った幼子を抱え、生活は苦しかった。看護のかいもなく我が子は死に、夫の戦死を戦友から聞かされる。
房子は戦友が勤める会社の社長、栗山(永田光男)の秘書として働くことになった。一方、房子の妹、夏子(高杉早苗)は北朝鮮から引き揚げ、ダンサーをしながら姉を探していた。
心斎橋で偶然出会った2人は再会を喜び、夏子は房子のアパートに同居する。ところが栗山はとんだ食わせ物で、アヘンを密輸しているばかりか、房子に親切にしながらも、夏子にも手を出していた色情魔だった。ショックを受けた房子はアパートを出、ヤミの女に身を堕とす...。
大阪に馴染み深い地名がでてくる。「西成/ニシナリ」、「天下茶屋/テンガチャヤ」、「阿倍野/アベノ」、「千里山/センリヤマ」...そして戦後間もない、大阪駅や心斎橋の映像が映し出される。
大阪弁を上手に喋る田中絹代(山口県下関市生まれ)、相変わらずの名演技だ。
最初はモンペ姿で登場、貧しい暮らしに耐え忍ぶ女性が不憫な思いに誘う。
一変して夜の女、モノクロ画面だが、厚化粧に派手な服装のイメージははっきりとみてとれる。
田中絹代の女優魂を見るかのよう。
簪(かんざし) (1941年・松竹): 清水 宏 監督
自然の美しさがよく撮れており、河原での洗濯風景や、急流に架かる対岸への連なる渡り板(今で言う沈下橋のような)の構図、木々に覆われた参道の階段...そこには常に田中絹代の存在が映えています。 そう、清水監督の狙いが見てとれるのです。
人里離れた下部温泉(しもべおんせん)の旅館に、「蓮華講」なる団体客が泊りにやって来た。同宿の学者風の片田江先生(斎藤達雄)は、騒々しい彼らの様子に怒り心頭である。廣安夫婦(日守新一/三村秀子)や納村青年(笠智衆)は、 ‘なかなか賑やかですなあ’ とか ‘景気がいいなあ’ 、或いは ‘今夜は派手ですね’ などと言うが、片田江は怒りが収まらず、 ‘あれはうるさいというもんです。実にうるさい!’ と言って帳場(今のフロント)に連絡し、 ‘旅には旅の道徳というものがある。注意してくれ’ と促す。
更に片田江は、按摩を頼むが団体予約で断られ、 ‘亭主(旅館の主人)を呼べ!’ と怒鳴る。
翌朝、露天風呂で納村が湯底に落ちていた簪で足に怪我を負うが、既に出発した団体客の一人、恵美(田中絹代)が簪の落とし主と分かり、恵美はお詫びに旅館を再訪する...。
ストーリーの流れを「手紙」「電報」「はがき」に書かれた文面で観客にみせる手法は見事です。
恵美は泊った宿に「手紙」で、簪がどこか落ちてなかったでしょうか、の旨を書いて送ります。簪で納村が怪我をしたと知らされるや、恵美は「電報」で見舞いに行くと連絡します。恵美の友人に「はがき」で近況を知らせたりと...。
撮影時、36歳か37歳くらいの笠智衆の若い頃の風貌やセリフにも注目です。
上記以外にも、「無法松の一生」、「晩春」、「素晴らしき日曜日」、「みかへりの塔」、「悲しき口笛」、「わが青春に悔いなし」など、多くの名作が製作・公開されています。
これらはすべて、TSUTAYA DISCASさんで借りられます。
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投稿を表示『ハワイマレー沖海戦』の円谷特撮はとても戦中のモノとは思えないほどの出来栄えでしたね。
『永久に美しく』のもつ人間の力強さのようなものをフィルムに収めた黒澤の手腕も、当時の女優さん達の演技も引き込まれます。戦意高揚映画であるのは致し方ないことですが、あの戦争が無ければ、日本映画の技術や表現力の幅の広がりが、もっとものすごいことになっていたのではないかと想像してしまいます。
とはいえ、戦後すぐに『野良犬』のような熱い作品ができることを考えても、これらの古い時代の作品を愛でることで日本映画の素晴らしさを感じていきたいです。
松竹の清水監督の作品はどれも未見どころか、知らなかったので教えていただきありがとうございます。
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