トルーマン・カポーティという天才
時代の寵児、トルーマン・カポーティは一体何者だったのか
1924年、ニューオーリンズ生まれ。両親が子供のころに離婚し母親と暮らすも、その母親が「毒親」。上昇志向が強く「高級娼婦」のような生活をしていた。カポーティという名前は母が後に再婚した相手の姓。この母親を投影したかのような作品が、オードリーヘップバーン主演の『ティファニーで朝食を』だ。映画化を承諾する条件として、あのマリリンモンローを推していたカポーティはご立腹。また、ラストシーンも原作と変えられてしまったそう。
さて、見ての通り彼はとても背が低い。そして声が高く、ホモセクシャルだった。しかし笑い声は低く男らしかったと、当時を知る知人達は話す。
そんな彼の才能は、11歳の頃から。普通の子供が遊んだり習い事をするように、毎日3時間ほど夢中になって書いたという。そしてとうとう23歳で初めての長編「遠い声 遠い部屋」を出版。もちろん若き天才作家として注目を浴びる。内容はまるでカポーティ本人のよう。主人公は13歳の少年。母を亡くして親戚の家に身を寄せる。と、そこへ音信不通だった父から連絡がきて、一緒に暮らし始める。そこで出会った人と、自我の目覚め。特に自身の性的趣向(同性愛的趣向)について。
今でこそ、ダイバーシティだのマイノリティへの理解という言葉が当たり前になったが、この1948年の頃であれば相当な波紋を呼んだであろう。その後、先に登場した「ティファニーで朝食を」「冷血」など数多くのベストセラーを生み出した。『叶えられた祈り』は彼がホームとしていたNYのハイソサエティ(社交界)でネタにしてきた話や、ゲイである彼が決して口外しないと信じて話した秘密を、赤裸々に暴露した未完の本。中でも資産家に嫁いだ女性は、まるで自分が旦那を殺したかのように書かれたことを苦に自殺した。彼は名前こそ伏せているが、当人たちが読めば一目瞭然だったと養女のケイトリンは語る。しかし、トルーマン本人はこんな名言も残している。
登場人物が言った事で作者が責められる事はない
作家としての信念なのか、傑作の題名の如く彼自身が「冷血」な人間なのか。
『トルーマン・カポーティ 真実のテープ』
養女のケイトリンを始めとする、友人の作家や女優たちのインタビュー、またモノクロからカラーへ移り変わりながら、当時のカポーティの映像も沢山登場する。上記のように幼少期からの生い立ち、人柄、恋愛、そして作品について色々な角度から紐解いていくドキュメンタリー映画です。彼は作家として以外にも、映画やTVショーにも多数出ています。晩年はアルコール依存もあり、酩酊して出演する事もありました。更に興味深いのはこの未完の『叶えられた祈り』は第3章までしか発表されていませんが、それ以降の原稿が見つかっておらず生前本人はまだ執筆中だと言っていたということ。誰かの秘密が今だどこかに隠されているのかもしれません。
【ちょっと裏話】
来日した事もある彼が誰に会ったかというと、あの三島由紀夫です。三島由紀夫もかなりの美学を持った方で、それでいて繊細さん。そこはカポーティもすぐに感じ取ったよう。
「とても面白い人、だけど大変傷つきやすい人だった」と残している。
『カポーティ』
ノンフィクション・ノベルという新たなジャンルを切り拓いたトルーマン・カポーティの傑作『冷血』誕生の秘話を描いた伝記ドラマ。1960年まではこのノンフィクションノベルというジャンルが無かったのも驚き。また、このカポーティという実在の人間を演じたフィリップ・シーモア・ホフマンは見事アカデミー賞主演男優賞を獲得しています。
1959年11月、カンザスの田舎町で一家4人が惨殺される。この記事を見て小説のネタにしようと旅立つカポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)しばらくして捕まった犯人ペリー(クリフトン・コリンズJr)とディックに、何かを感じてどんどん関わって行きます。
また、このカポーティが社交界で非常に人気者。いつも楽しくお喋りし、今でいうマツコデラックスが真ん中にいて、皆を回しているような感じです。とにかく頭の良い人といった感じ。
作品は、時々その様子を交えながら、刑務所へ足繁く通い、特にペリーと親交を深めていく様子が描かれます。しかし、事件当日の話を絶対にしないペリー。取材を続けて本にしたいカポーティは、有能な弁護士をわざわざ彼らの為に付けてあげて助けてあげるのでした。
そうしていく内に、とうとう最高裁まで行きそうになると、今度は恐ろしくなってくるカポーティ。しかし、本を書くには重要な当日の様子を聞き出せていません。
カポーティがペリーの事を『僕らは同じ家庭に育った。しかし、いつしか彼は裏口から出て行き、私は表玄関から出た』と表現するように、非常に自分と似た境遇に親近感を覚えつつも、ペリーを金脈と言ったりします。
途中まで、お互いに友達の仮面を被って利用し合う姿に、何だこの映画と思っていました。
しかし、ラストのカポーティの涙に、全ての感情が表されていたようで、とても複雑な心境が一気に伝わる素晴らしい演技にやられたのでした。私には、本当の友達に対する後悔と慈悲が感じられました。この作品以降本を完成させていない。何故そこまでカポーティが打ちのめされたのか。是非、お確かめください。
最後、この作品を書き上げるまでに4年もの時間がかかった事、そしてこのノンフィクションノベルという新たなジャンルを作り出したにも関わらず、以降作品が書き上げられなかったという事実が出てきます。
【親ガチャハズレの人生】
成功が彼をダメにした、と言う人もいる。
だが私には彼が「毒親」によって植え付けられたトラウマにより、生涯恋人も友人も誰も信用できなくなった孤独な天才に見えたのと同時に、とても愛すべき人だと思いました。
私の境遇に多少共感する部分もありましたし、この時代の閉そく感、アイデンティティの悩み、光が明るければ闇も深いという典型的なスターの人生に、たまらなく憧れ興味が湧くのです。
そんな彼が最後まで大事にしたのは、いとこで知的障害のあるスックが作った、ジンジャークッキーの入った缶。スックだけが、唯一心から信じて笑顔でいられる存在だったのでしょうね。
1984年、心臓発作で死去。59歳。
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投稿を表示じゅんちゃんすごいねー✨なんでこんなに興味津々になるような文章が書けるの?日本に来たこともあったんだね。こうして見るとフィリップ・シーモア・ホフマンのあの姿、そっくりだね!そうそう、カポーティのドキュメンタリー観なきゃ!
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