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似顔絵で綴る名作映画劇場『哀しい恋物語で感涙にむせびたいあなたへ』

哀しい恋物語で感涙にむせびたいあなたへ

 

寄り添うことで生きていける、そんな人との出会いを時として無情の嵐が襲う。

恋の甘さと別れの苦さ。時代は移ろうとも恋の行方はいつも波に揺られるが如し。

男と女の哀しい愛恋歌が涙を誘う、そんな愛の名作をご紹介します。


『哀 愁』(1940)

イラスト 志賀コージ

第一次大戦下のロンドン、運命に翻弄される二人。
二度と帰らぬ遠いあの日、あの愛・・・。感涙のラブストーリー。
1914年、空襲警報鳴り響く霧のウオータールー橋で二人は出逢った。
名家出身の若き将校ロイとバレエ劇団のダンサーのマイラ。運命の人と感じた二人は婚約するも、急な出征命令で離別する。マイラは見送りのために舞台に穴をあけ、それを手助けした親友ともども劇団を解雇されてしまう。戦時下で職も無い二人が安アパートで共同生活。ある時、偶然目にした戦死者名簿にロイの名前が。絶望から病に伏すマイラを看病し救ってくれた親友は、そのために娼婦になっていた。それを知ったマイラは涙し、自らも同じ道を歩むのだった。時は過ぎ、すっかり夜の女となって駅にあふれる帰還兵たちに媚びを売る彼女の視線の先に映ったのは、死んだはずのロイの姿だった。あの名簿は誤報だったのだ。
再会を喜び強く抱きしめられるも、真実を言えるはずもなかった。
スコットランドの広大な彼の実家。お城のような大邸宅での婚約披露。愛情深く優しい義母。愛さえあれば乗り越えられるとと信じたかったが、良心の呵責に耐え切れず全てを義母に打ち明けて家を出てしまう。ロンドンに戻り、行き着いたのはあの思い出の橋。彼女に出来るのは、走り来るトラックの閃光にその身を投げ出すことだけだった・・・。
時流れて1939年、新たな戦争。白髪の大佐となったロイは、霧が降る思い出の橋から、追憶の彼方のマイラを胸に、再び戦火の地へと赴くのだった。

映画館でも、テレビでも、そしてDVDでも何度となく観ました。
そのたびにハラハラと涙がこぼれるのは何故でしょう?
『哀愁』という邦題も秀逸な忘れじの名作です。

 

 

『慕 情』(1955)

イラスト 志賀コージ

映画音楽のスタンダードナンバーといえば『慕情』ですね。
原題は「Love is a Many-Splendored Thing(恋とは多くの不思議なもの)」。
ベルギー人と中国人の血を引く女医ハン・スーインの自身がモデルの小説を映画化したものです。
朝鮮戦争時代の香港を舞台に、アメリカ人の従軍記者との出会い、燃える恋、そして悲しい別れを、美しくも切なく謳い上げた秀作。何といっても、チャイナドレス姿のジェニファー・ジョーンズの大人の色香に圧倒されます。二人が愛を語り合った思い出の丘。彼の姿を求め、幻の笑顔に涙するラストが胸を締めつけます。

この映画を初めて観たのが、東京有楽町にあったスバル座でした。(もちろんリバイバル上映)この劇場の前身は、日本で最初のロードショウ館として戦後まもない昭和21年に開館した「丸の内スバル座」。その後、火事によって焼失するのですが、昭和41年に「有楽町スバル座」として再開されたのです。令和元年10月に、惜しまれながらその歴史に幕を下ろしましたが、座席数300に満たない小さな劇場ながら、数々の名作映画で私たちを楽しませてくれました。私が『慕情』を観たのが中学2年生。まだ恋の不思議さなど知らない15の夏でした。

 

 

『旅 情』(1955)

イラスト 志賀コージ

夏のバカンスにベネチアを訪れたアメリカ人女性。中年と呼ばれる歳となってのひとり旅はどこか寂しい。偶然知り合った骨董店の店主への不器用なまでに揺れ動く想い。
中年男女の許されぬ恋路を、詩情たっぷりに描いた名匠デビット・リーン監督の美しい秀作。
キャサリン・ヘプバーンが、恋に臆病な女性の心の機微を、いじらしくも愛おしく演じています。芳醇な香り漂うヨーロッパの大人の世界。アメリカ人も憧れるその魅惑の調べに、しばしウットリです。昭和30年代、海外旅行など夢のまた夢であった日本。心躍らせながら異国の情緒に浸ることが出来るのは、映画だけだった。だからこそ、今の時代ではありえないほどに、主人公たちの想いに自らを重ねたのです。映画が時代を映し、人々の心に空を描き、夢を羽ばたかせてくれました。『旅情』は、まさにそんな映画でした。主人公の女性は、様々な想いを胸にしまってベネチアを離れます。後ろ髪を引かれながら汽車は滑り出す。ロッサノ・ブラッツィ扮する恋人がプラットフォームに走り来る。手渡そうとする想い出の花は、車窓から懸命に伸ばした手にはついに届かない。恋の甘さと別れの苦さを乗せて、新たな人生の発車ベルが、イタリアの空の青に沁みていく。

 

 

『追 憶』(1973)

イラスト 志賀コージ

シドニー・ポラックが監督をした秀作です。
第二次世界大戦をはさんで、一組の男女の大学での出会い、卒業後の再会と結婚、彼女の政治的思想と運動、共産主義者排除の嵐と彼の脚本家としてのキャリアの危機。いくつもの
争いと亀裂の果ての離婚、そして別々の人生を歩みだす男女の心の葛藤を激動の時代の中に描いています。バーブラ・ストライサンドが唄う名曲「The Way We Were」の美しくも
力強い歌唱によって、その感動は永く永く私たちの心に刻まれました。公開当時、まだまだ「赤狩り」などの政治的問題の背景を十分に理解できる年齢ではありませんでしたが、その後にあらためて観ると、時代の波に翻弄される主人公ふたりの心情をより深く感じられたのです。この頃のロバート・レッドフォードは、まさに“貴公子”と呼ぶにふさわしい人気者でした。正統派の美男スタアとして、多くの女性ファンの心を掴んでいましたね。昔からこういうタイプのスタアは、美男のままで終わるケースが多いのですが、彼は1980年に自身は出演せずに監督をした『普通の人々』とい作品で、アカデミー作品賞を獲得するのです。今では、クリント・イーストウッドがそうしたキャリアを築いていますが、レッドフォードはその先駆けだったのです。

 

 

『シェルブールの雨傘』(1964)

イラスト 志賀コージ

これぞ究極のミュージカル映画と言えるのがこの作品です。全編いっさいのセリフを排除して、唄でのみ主人公たちの心を表現する手法は画期的でした。ちなみに、カトリーヌ・ドヌーブはじめ、出演者たちの唄は全て吹き替えです。

往年のハリウッド映画が、どこまでも明るく軽やかな“フライドポテト”とするならば、こちらはじっくりと重ねた“ミルフィーユ”のような趣です(笑)。

お話は、結婚の契りを結んだ若すぎる男女が、戦争によって離れて暮らすうち、理想と現実の間で揺れ動く手探りの青春の姿を、ミッシェル・ルグラン作曲の哀しい旋律と共に描きます。出征した恋人の子供を身ごもった女は、音信不通の彼への思慕を断ち切るように別の男の求愛を受け入れる。その後、帰還した恋人は、それを知って荒れた生活を送るのだが、やがて立ち直り家庭を持つ。月日は流れ、かつてふたりで夢見たガソリンスタンドを営む彼の店へ、客として偶然訪れたのは元恋人の女。今では互いに子を持つ親となっている。

彼女の娘は、あの時の子供。積年の想いをグッと押し殺すような短い再会と別れ。

深い余韻に包まれます。

ドヌーブの美しさが、これほど際立った映画はありません。

 

 


『越前竹人形』(1963)

イラスト 志賀コージ

かつてテレビ各局は、競うように洋画の名作・話題作を放送していました。毎日どこかの局で映画を観られた時代でした。昭和40~50年代の話です。その中で、唯一とも言える邦画の番組が、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の「日本映画名作劇場」でした。解説は、あの白井佳夫氏でしたね。そこで観た二本の名作が、強烈な印象で長く頭から離れなかった想い出があります。溝口健二監督の遺作となった『赤線地帯』と、吉村公三郎監督の『越前竹人形』です。どちらも若尾文子が主演です。特に『越前竹人形』での彼女のあまりの美しさに、学生だった私は心奪われ、クラクラする思いで観たのでした。

亡き父が寵愛した遊女に魅入られるように求愛し、妻に娶った青年。青年の愛は、まるで女神を仰ぎ見るようで、一度も床を共にしない。そして、女の身に起こる哀しくて残酷ではかない物語。遊女の時代を知る男と偶然出会ってしまい、卑劣にも新婚妻を凌辱するのが当時40歳の西村晃。その憎らしいほどの好色オヤジぶりがお見事! この好色オヤジが、後年に天下の副将軍になろうとは(笑)。

大映の看板女優として数々の話題作・問題作、そして名作を残した若尾文子。

気高さの中にも香り立つ艶っぽさ。女性美の極みであり、これぞ日本映画史上最高の女優!と言いたい。

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