『十一人の賊軍』と東映抗争時代劇 数字シリーズ
皆さんこんにちは
椿です!
11月となり、すっかり秋めいてまいりました。(いや、巷はまだまだなぜか、まだ暑い・・)
暑い、と言えば、今、『時代劇』が、熱い邦画界!
『侍タイムスリッパー』に始まり、
『八犬伝』そしてこの後控える『室町無頼』
そしてなんといっても11月ということで
『十一人の賊軍』
でございますよぉ!公開もまさに11月1日!ということで!!
タイトルも季節もぴったり11月!ということで、
今月のお題「タイトル映画」
はこれを挙げてゆきたいと思います!!!
えっ!?それ、マジで言ってる?そんな安直なテーマづけでいいの??
そうお思いの方、ご安心をっ
それではっ、参る!!
『十一人の賊軍』
【あらすじ】
時は戊辰戦争時。薩長を中心とし、天皇を奉じた「官軍」である新政府軍と、それに反抗し「賊軍」となってしまった、旧幕府軍による日本を二分した内戦は、欧米の新式の武器を持つ新政府軍が優勢。奥羽越諸藩同盟は旧幕府側に付き戦っていたが、その中の新発田藩は若年の藩主が旧幕府軍を見限り、新政府側へ付こうとしていた。新政府軍もこの戦いの要衝となる新発田藩を取り込もうと策略。しかし、旧幕府側も新発田藩の怪しい動きを察知し、大量の軍隊を新発田に派遣し、藩主との面会を迫る。このままでは、領内で両軍相まみえられることを恐れた国家老の溝口は新政府軍の行く手に砦をたて、旧幕府軍が領内から去るまで新政府軍を足止めすることを画策。
砦には旧幕府軍の旗を立て一時的に抵抗。旧幕府軍が帰ったら砦から兵を引かせ、新政府軍を招き入れ彼らと合流する計画。
その砦に集められたのは、死罪を言い渡されていた極悪犯罪人10人に数名の藩士。お互いの素性も知らない罪人たちは、「事が成就した暁には死罪を免じ釈放する」という約束の為だけにこの戦いに加わる。罪人同士、また、罪人と組まされたことに不満の藩士と反目しあうものの、新政府軍と戦い、危機を乗り越えてゆくことで、彼らの中に友情や信頼が生まれる。
しかしながら、短期の逗留と思われていた旧幕府軍が一向に去る気配を見せず、計画に狂いが生じる。そのため、新政府軍も援軍が増強され厳しい戦いを強いられることに・・。
さらに、砦の彼らには過酷な運命が待ち受けていた・・。
『東映集団抗争時代劇の復活!!』
と、銘打たれ大々的に制作、上映された本作。
平成・令和となり時代劇は数を減らし、衰退してはいきながらも、人間ドラマを中心とした名作は幾度となく作られてきました。しかし、それらは大規模で激しい殺陣は必要とされず、人間ドラマへの深みを探る代わりに、見世物的な殺陣の面白さは追及されず、仮にそのシーンがあったとしても、過去の時代劇のような激しくもインパクトに残るような場面は楽しめた作品は数本といっても過言ではありません。
ところが、2024年。にわかに「時代劇」市場がにぎわいだしました。確かに前年の北野武監督『首』から大規模な見せ場を伴った時代劇が現れ、時代劇復活ののろしが上がったかと思うと、『八犬伝』、『侍タイムスリッパー』の快進撃に、『室町無頼』が2025年の公開を控えていたり、海を越えて『SHOGUN 将軍』のエミー賞受賞といった快挙が続く中、満を持して「時代劇の」東映がぶつけてきたのが本作でした。
『孤狼の血』で暴力団と警察との血みどろの抗争を描いた白石和彌がメガフォンをとり、任侠映画、実録ヤクザ路線の東映作品の脚本を数多く手がけた『仁義なき戦い』ほかの脚本家 笠原和夫が作り上げたプロットをもとに作り上げられたのでした。
鋭く痛々しい作風も辞さない白石監督と、乾いた視点で組織暴力を叩きつけてきた笠原和夫の組み合わせとなれば、これは映画ファンなら否が応でも期待が高まります
そうして出来上がった作品は、「東映集団抗争時代劇」の名に恥じない、常に手に汗握る魅力横溢の作品となりました。
この手の作品だと、何かと雑になってしまう、CGによる爆破シーンなども丁寧に作りこまれており、非常に迫力を伴ったシーンの数々が楽しめます。
また各出演者もそつがなく、最近の時代劇にかかわらずアクション映画全般で激しくするあまり、リアルを超越した、まるでマンガのような絵面のアクションシーンが目立つ中、本作では本格的な殺陣を堪能できるのも時代劇ファンとしてはうれしい限り!
特に終盤、賊軍メンバーの一人 爺っぁんと新政府軍の高官2人との殺陣が大迫力。爺っぁんを演じた本山 力は東映京都撮影所の「東映剣会」所属の、ホンモノの殺陣師。只者ではない立ち居振る舞いと、殺陣のシーンの切れの良さに刮目です。
また、ほぼ主役である新発田藩士 鷲尾兵士郎を演じた仲野太賀のラストの無双ぶりは、若手俳優の中でもずば抜けて殺陣を見せることができるのではないか?と思えるほどに立派です。
お笑い芸人の千原せいじやナダルなども出演していますが、違和感を感じさせない、適材適所の配役であったと思います。
家老役の阿部サダヲも気弱な部分や智将なところ、さらには秘めたる狂気まで描出させた演技は、阿部サダヲらしいといえばらしいし、ある意味演技の幅を超越しているとも感じました。
本作、劇場で是非鑑賞してほしいです!
『東映集団抗争時代劇』とは?
実は「東映集団抗争時代劇」というのは、正式にこう呼ばれた、ということはなく、1963年から1967年にかけて、東映時代劇に訪れた一種のムーブメントであるといわれています。それまで、東映(特に東映京都)の花形だった時代劇は、当時の時代劇大スターであった、片岡千恵蔵、市川右太衛門、大友柳太郎、辰巳柳太郎などの大看板を主役にした、明朗快活、勧善懲悪の時代劇映画が主流でした。
ところが、そういった時代劇の興行収入はどんどんと落ち込みます。変わって台頭してきたのが、東宝は黒澤明の『用心棒』『隠し砦の三悪人』などドラマやアクションがしっかりした作品や、松竹の小林正樹による『切腹』などの暗い影を背負った侍のドラマなどが受けて、華やかな時代劇よりも、よりリアリズムにのっとった時代劇が求められるようになります。
そこで、東映は東京撮影所の経営を立て直した岡田茂を京都に呼び戻し、時代劇をもう一度盛り上げるよう策を練りました。
そうして生まれたのが「集団抗争時代劇」というわけです。一人のスターに頼りきりになるのではなく、数人、数十人の登場人物を配置し、理不尽な世の中に抵抗していく。巨大組織対弱小組織の血まみれ、泥まみれの戦い。主役級のスターを何人か配置するも、スターもその他大勢の仲間の中に紛れて刀をまみえ、スターと分からないほど人々が入り乱れ、命をかけた戦いに終始し、決してハッピーエンドを迎えることがない。
そんな作品が「集団抗争時代劇」なのです。そういった意味では『十一人の賊軍』は、まだまだ綺麗すぎる絵面なのですが、それは令和の時代劇だから致し方ありません。時代劇文化が残念ながらすたれてしまっている令和という時代の中、ここまでの時代劇が作られたことに喜び、楽しむべきでしょう。
では、「東映集団抗争時代劇」の代表作をご紹介いたしましょう。
『十七人の忍者(1963)』
【スタッフ&キャスト】
■監督:長谷川安人 ■脚本:池上金男(池宮彰一郎) ■音楽:鏑木 創
◆出演:里見浩太朗、東千代之介、三島ゆり子、大友柳太郎、近衛十四郎、花沢徳衛ほか
【あらすじ】
徳川二代将軍 秀忠の治世。秀忠が病に伏せる中、次代将軍をめぐる抗争が水面下で行われていた。家光とその弟、駿府大納言 忠長のどちらが跡目を継ぐのか。江戸は家光が次代将軍と決めていたため、忠長は自分を支持する諸藩と組み謀反を企てる。その諸藩と交わした連判状を奪い取るため、公儀隠密である伊賀忍者の長 甚伍左は部下十五名と共に駿府へと向かい、仲間に加わりたいと申し出た妹の梢の意向を無視し、連絡係を命じる。
一方、駿府城は根来忍者の才賀の指揮のもと厳重な警備体制が敷かれていた。
難攻不落ななか、潜入した忍者が次々と殺されてしまい、すっかり意気消沈してしまった甚伍左は部下の半四郎に、今後一切の指揮を任せる。
才賀の、伊賀忍者の裏をかく警備で連判状が守られてきたにもかかわらず、駿府の重臣達は才賀が必死に止めるのも聞かず、連判状を、警備のし易い場所へ移し、警備の人員を減らす。重臣達は、田舎忍者のくせに居丈高に振る舞う才賀を煙たがっていたのだ。
才賀は甚伍左の隠れ家と、今回作戦に加わった伊賀者が甚伍左含め16人という情報を入手。早速甚伍左をとらえ、他、次々と攻めいってくる伊賀忍者を返り討ちに。伊賀忍者は遂に平四郎と、ライバル関係にあった文蔵を残すのみとなる。
と、兄もとらわれたと知った梢もとうとう城に潜入し、捕まってしまう。身を潜めていた平四郎と文蔵は、「女忍者が捕まった!あと1名残すのみ」という見張り達の声を聴き、梢が捕らわれたこと、連中が、梢を15人目の忍者と思い込んでいることを知る。文蔵は、平四郎にすべてを託し、敵の前に出て殺される。
残った平四郎ただ一人、果たして連判状を奪い取ることができるのか・・
【かいせつ】
「東映集団抗争時代劇」の、まさに走りとなった作品。強い正義の味方の剣士同様、強くて善良な忍者の物語もたくさんありましたが、大体が幕府側に付く伊賀忍者が正義の味方で、敵対する甲賀忍者が悪者、というイメージの強いこれまでの忍者ものでしたが、伊賀忍者が公儀隠密で、敵地に忍び込むも、手当たり次第にやられてしまう展開はあまり例をみません。しかも、迎え撃つ敵は、根来衆の忍者、才賀ただ一人。この百戦錬磨の忍者は機転を利かせて、えりすぐりの伊賀忍者を次々と抹殺。無敵のように思わせながら、実は低い身分の者ゆえ、味方達からさげすまされ、激しいコンプレックスを抱いており、そのためにも伊賀忍者狩りに躍起になっている。どちらの忍者も、これまでの、スタイリッシュでカッコいい忍者ではなく、泥臭い忍者たちの生きざま、死にざまを描いた、実に人間臭い作品となっています。往年の時代劇スターである大友柳太郎が伊賀の老いた頭領 甚伍左を、同じく大スターだった近衛十四郎が根来衆の才賀を演じ、歌舞伎の流れをくむ押し出しの強い顔芸がすさまじいのですが、やはりものすごい気迫というものがほかの役者にはないもので、長いこと東映の大看板を張った二人の演技対決が見ものです。ちなみに、近衛十四郎は、今も多くの時代劇ファンの間で「最も殺陣のうまい役者」として人気で、俳優 松方弘樹、目黒祐樹の父親です。
『十三人の刺客(1963)』
【スタッフ&キャスト】
■監督:工藤栄一 ■脚本:池上金男(池宮彰一郎) ■音楽:伊福部 昭
◆出演:片岡千恵蔵、内田良平、里見浩太朗、嵐 寛寿郎、月形龍之介、丹波哲郎、西村 晃ほか
【あらすじ】
徳川十二代将軍 家慶の治世。老中土井家の門前で明石藩家老が自害。家老は将軍の異母弟の藩主 松平斉韶の暴虐非道ぶりを訴える訴状を携えていた。斉韶の酷さは幕閣の誰もが知るところだったが、将軍の弟であり将軍の覚えもめでたい為、何人も斉韶を止めることができない。
そこで、土井は目付 島田新左衛門に、斉韶の暗殺を命じる。島田は12人の暗殺団を組織。暗殺を失敗すれば死、成功しても将軍の弟を殺害したとなれば切腹。どちらにしても生きる望みのない戦いに身を投じることとなる12人は、参勤交代での幾度かの暗殺の機会を、明石藩江戸詰 鬼頭半兵衛の機転により逸していた。鬼頭と島田はかつて親交のあった者同士で、お互いの実力や戦法などを心得ていた。鬼頭は斉韶暗殺を島田が企てていることを知り、島田はもとより斉韶の側近が最も警戒すべき相手、鬼頭であることを理解していた。二人は来るべき決戦の時を見据え策をめぐらす。
島田は狭小で、少人数でも戦いを有利に進めることのできる美濃落合宿を決戦の場と定め、宿場を借り切り、参勤交代の列を迎え撃つためにあちこちに罠を仕掛ける。一方の鬼頭は、その狭小な場所を警戒し、尾張藩内を通過しようとしたが、かつての斉韶の狼藉により息子夫婦をなぶり殺しにされた藩士が藩命により藩内への通過を拒否。やむなく一行は落合宿へと進む。
宿場がひとつの要塞となった落合宿。ここでついに、53騎対13人の血戦が始まろうとしていた
【かいせつ】
まさに「東映集団抗争時代劇」の代名詞とも呼べる作品で、本作を、数多ある時代劇映画の最高峰に挙げる時代劇ファンは多い、今だ根強い人気の誇る作品です。何度かテレビドラマ化されたり、2010年には三池崇史監督によりリメイクされました。こちらも現代の名優を配し、三池監督らしい「だるま女」描写といったセンシティブな表現も相まって人気作になりましたが、やはりオリジナルの男同士のぶつかり合い、凝縮された息詰まる閉鎖空間の見せ場、カタルシス、武士道の残酷さなど、この63年の映画を超えるものは出てきておりません。また、人によっては時代劇の枠を超え、邦画としてもナンバーワンの作品、と評する人も多くいます。
しかしながら、興行的には失敗で時代劇映画の終焉を速めた、とも言われています。
もはや太平の世となり、刀を交えて戦をするようなことのなくなった侍たちが、大義の為刀を取り死地へ立ち向かう凄まじさが、ラストの53騎対13人の30分に渡る死闘に凝縮されており、一瞬たりとも目が離せません。
この殺陣シーンでは名の知れたスター達にスポットを当てて、彼らを中心にした殺陣を組むのではなく、13人の侍役それぞれに明石藩士に扮した役者たちが襲い掛かるさまをカメラに収めただけあって、リアルな迫力を感じる映像に仕上がりました。もはやそこには剣の作法など存在せず、刀を相手に叩きつけるような非常に乱暴な殺陣シーンが展開されます。もう、13人の主人公たちと、切られ役の区別がつかないくらい、誰が何をやってるのかわからないギリギリの線で表現。白黒の映像も相まってまさに血みどろの切りあいがスクリーンにぶちかませられます。
刃を交わす際の「キンッ!」という音や、人を切った際の「ヴォッ!」みたいな時代劇おなじみの「音」の演出も一切ない、それがかえって痛々しい殺陣シーンへと昇華しています。
そして、極限の状況に置かれた人間の哀れさも、冷徹な視点で描かれます。特に死をも恐れないように見えていた剣士が突然に襲い掛かる死への恐怖に哀れに泣き叫び逃げる姿や、ただ一人生きながらえた明石藩士が田んぼの中で狂ったようになってしまう姿など、命がけで戦う男たちの姿を描く裏で、何のために命がけで戦ったのか、その虚しさをも描き切ります。
出演は、大友柳太郎や近衛十四郎と並ぶ、戦前から東映を支えてきた片岡千恵蔵を主役に据え、キメどころを心得た、ヒーローである片岡千恵蔵ではなく、冷静沈着に腰を据えた策士としての島田を独特の存在感で演じるほか、往年の名優であり、片岡同様、戦前から邦画を支えてきた 嵐寛寿郎、月形龍之介が重要な役で脇を固め、彼らに比べれば若手の部類の内田良平が、その日本人離れした風貌から、まったく遜色なく片岡千恵蔵と相対しライバルとしての反目と敬愛が見て取れる、素晴らしい演技を見せてくれます。ちなみに内田良平は詩人でもあり、当時人気だったグループサウンズ「平田隆夫とセルスターズ」の大ヒット曲「ハチのムサシは死んだのさ」は、内田の詩に曲がつけられたもの。
また、冷酷な悪役 斉韶を演じたのは菅 貫太郎。もう時代劇の悪役としてかなりの顔なじみですが、この斉韶役がもとで、映画でもテレビでもバカ殿的キャラクターの悪役をオファーされ、本人も相当辟易していたとかいないとか・・・。
『大殺陣(1964)』
【スタッフ&キャスト】
■監督:工藤栄一 ■脚本:池上金男(池宮彰一郎) ■音楽:鈴木静一
◆出演:里見浩太朗、平 幹二朗、大木 実、大友柳太郎、大坂志郎、安部 徹、山本麟一ほか
【あらすじ】
徳川四代将軍 家綱の治世。次代将軍と目されていた将軍の弟 綱重を後ろ盾に権勢を思いのままに牛耳っていた大老 酒井忠清は、軍学者 山鹿素行とその弟子たちによる自身への暗殺計画を知り、切れ者の大目付 北条氏長に命じ関係者の粛清を開始。計画に加担した武士たちは次々と捕らえられ殺されてしまう。山鹿一味の中島は追手から逃れ、親友の神保平四郎宅へ逃げ込み、匿ってくれるよう頼むものの、突然現れ、理由も言わず匿えと頼む友人に困惑していると、追手が現れ、中島の一味と思われ神保も捕らわれてしまう。その際、彼を追いかけてきた妻を目の前で切り殺された神保はなんとか逃げ延び、浅野又之進に助けられる。
妻の安否が気にかかった神保は彼女の遺体とその周りにいた武士たちに切り込みにかかろうとするが、突然、山鹿の姪 みやに止められ、酒井の悪行を話し、暗殺計画に加わるよう説得する。話を聞きその計画に加わる決心をした神保は浅野に、計画に加わるよう進言するが、人殺しは嫌いだ!と彼を怒らせてしまい追い出されてしまう。一方暗殺隊の頭領でみやとできていた岡部がすっかり臆病風に吹かれ、仲間を裏切ろうとしたためみやの命で神保が切りつける。
瀕死の状態の岡部は北条に助けられると、秘密を彼に打ち明けて息果てる。
実は山鹿は北条の弟子であり、北条は山鹿のたくらみを探るため山鹿のもとを訪ねて、暗殺計画の首謀者が山鹿である確信を得る。山鹿も北条がすぐにでも追手を差し向けてくるであろうことを悟り、急ぎ仲間を集め、計画を変更する。酒井の暗殺ではなく綱重を暗殺することで、酒井の失脚を謀ろうというのだ。
綱重が寛永寺参りの折、袋小路になっている吉原におびき寄せ、吉原に入ったところを大門を閉めて閉じ込めたところを暗殺する計画。当日、吉原へおびき寄せるところまでは成功したものの、大門を閉める役割の武士が怖気づき逃げてしまったため、大量の警護のものたちがなだれ込んでしまい、綱重を殺めることができず、次々殺されてしまい計画は頓挫する。
山鹿の企みを知った酒井が大慌てで綱重のもとへ現れたが、連中の計画が失敗したことを知り、綱重と共に暗殺者たちをあざ笑っていたが・・
【かいせつ】
『十三人の刺客』の工藤栄一監督と池上金男脚本のコンビで翌年に制作された「集団抗争時代劇」。実際の甲府宰相 綱重の死をめぐり諸説ある中、その死をめぐり大胆な物語を作り上げます。
池上は台本を2/3まで仕上げた状態で、工藤監督にイチャモンを付けられ、大口論のうえ、改めて台本を作り直し、前作『十三人の刺客』とイメージの違った作風に仕上げることができたといわれています。
しかし、出来上がった作品は極めて沈鬱なムードで、あまりにも救いようのない、人間の暗黒面の業が押し出されたような胸糞映画となりました。
まず、登場人物がほぼ死に絶える。『十三人の刺客』でもその登場人物のほとんどは死んでしまうのですが、「義に殉ずる」といったカタルシスが前作にはあったものの、今作は、悪政を敷く大老暗殺という「義」があるものの、それに一丸となって立ち向かう志士達!的なものはあまり感じられず、大老側の大粛清に怖気づき、仲間を裏切ったり、大義を果たす前に興奮状態に陥り、女を犯そうとするも反抗されて殺してしまったり、大切にしていた家族を残すのは忍びないとばかりに殺してしまったり・・。『十三人の刺客』に見られた、大義への覚悟というものが、それぞれどこか穴が開いていてそれがすべてよからぬ方向に転んでしまい失敗するという・・。なんなら、主人公である神保自体、ほぼ巻き込まれて大義に加わっただけであって、大老の悪政に不満があったというよりは、友人が逃げ込んだことにより巻き込まれて、妻まで殺されて・・、という極めて不幸な状況で、あまりといえばあまり・・
気分が欝な時には、決して見ない方がいい、と私、オススメしておきます。
出演者は過去作に比べ、明らかに若返り。大物といえば大友柳太郎くらいで、あとは主演の里見浩太朗や平幹二朗のような若返り。これも、『十三人の刺客』の興行的失敗に業を煮やした岡田茂が、「時代劇にはもう金はかけない」と、映画人としては時代劇の復活を望みつつ、興行主としては、時代劇に見切りをつけたといった感じで、この後、任侠映画や実録ヤクザ路線へと大きく舵を切らせることになります。
とはいえ、やはり『大殺陣』の名に恥じない、ラストの大群衆の殺し合いは『十三人の刺客』同様、すさまじいの一言。前作で培った大抗争場面をよりブラッシュアップさせた形で見せてくれます。
『十一人の侍(1967)』
【スタッフ&キャスト】
■監督:工藤栄一 ■脚本:田坂 啓、国弘威雄、鈴木則文 ■音楽:伊福部 昭
◆出演:夏八木勲、里見浩太朗、西村 晃、南原宏治、近藤正臣、大友柳太郎、菅貫太郎ほか
【あらすじ】
徳川十二代将軍 家慶の治世。舘林藩主で将軍の弟(史実は弟ではない)松平斉厚が狩りの途中、隣藩である忍藩に入ってしまい、そこで農民を殺してしまう。それをとがめた忍藩主をも矢で射殺してしまう。忍藩家老 榊原は老中 水野忠邦に斉厚の処分を求めるが、逆に将軍の弟に非礼を働いたかどで藩を取り潰すと処分を受ける。榊原は廃藩に1か月の猶予を嘆願し、認められる。
あまりに理不尽な沙汰に我慢がならず榊原は親友で番頭の仙石隼人に斉厚の暗殺を依頼する。
一方、領主に対する斉厚の暴挙の咎めが一切ないと知った数名の藩士が斉厚討伐に立ち上がったところを仙石に発見され捕まり、切腹を迫られる。いよいよ、藩士たちが腹掻っ捌こうとしたその時、仙石はそれを止める。仙石はこの藩士たちの斉厚討伐の意気が本物であるかを試したのだ。この藩士たちは切腹されたことにされ、仙石自身も討伐に加わった女性と駆け落ちして脱藩したことにして、藩を去り、参勤交代で江戸にいる斉厚討伐に向かう。
一方忍藩の江戸詰めの弟喬之介を頼り江戸にやってきた、仙石の妻 織江は姉弟とも、女と駆け落ちし脱藩した者の親族として白い目で見られていた。仙石はそんな男ではない、と思っていた二人だったが、偶然女と一緒にいる仙石を喬之介が発見してしまい怒りに任せて、単身斉厚のもとへ切り込みに行き逆に殺されてしまう。そして、織江も喬之介と女がいるところを発見。しかし、仙石の意図を知ると彼を許し、彼の務めの妨げにならぬようにと、自害して果てる。
自分の命が狙われていると悟った斉厚は水野に忍藩をどうにかするよう迫り、水野も猶予を取り消し即刻廃藩にするよう約束する。そして一方の榊原を呼び出し廃藩の取り消しをちらつかせ、暗に斉厚暗殺を止めるよう指図する。
参勤交代移動中の森の中で、大仕掛けで彼らの進行を止めて切り込む手はずを整えていた暗殺隊のもとへ、榊原から、計画中止の命を携えた使者がやってくる。目の前に斉厚の行列が通る中、やむなく仙石は作戦中止の命を受ける。悔しがりイキる志士たちに「一番つらいのは、このことで女房を死なせてしまった仙石だ」と諭す、浪人 井戸。
しかし、そこへ早馬で榊原が現れる。榊原は水野にまんまと騙されていた事を知り、仙石達に詫びを入れ、斉厚が舘林に到着する前に事を成就するよう頼み、腹を切って自害する。何とか斉厚の一行が舘林に入る前に殺害を決行しようと跡を追う暗殺隊。果たして暗殺を成し遂げることができるのか!
【かいせつ】
久々に工藤栄一監督がメガフォンをとった「集団抗争時代劇」。時代劇映画を見限った岡田 茂 東映京都所長でしたが、今一度、時代劇の復権を願い世に送り出した作品です。アクション要素を強めにして、改めて時代劇の再興を願われ作られた作品でしたが、作品の評価としては悪くはないものの、やはり『十三人の刺客』の二番煎じと思われても仕方のないプロットや出演者などの酷似、池上金男に代わっての脚本が、やはりこれまでの「集団抗争時代劇」路線を担ってきた池上シナリオに及ばなかったという指摘もあり、岡田の狙う「時代劇の再興」を促す作品にはなり得ませんでした。
しかし、勇ましい武勇を想像させる 夏八木勲の起用や変わらない激しい殺陣はいつ見ても力が入るすごい時代劇であることに変わりはありません。
舘林藩の懐刀 秋吉刑部を演じた大友柳太郎の圧倒的存在感。クライマックスで夏八木との切りあいは時代劇のすごみを感じさせてくれます。また、女任侠映画などで主役を張っている宮園純子の初々しい美しさと、夫仙石に対する悲しい末路も見事に演じ、このシリーズではあまり縁のない「女性」の登場人物によるロマンスが漂ってくるのも新味でした。
数字シリーズ
いかがだったでしょうか
『東映集団抗争時代劇』と呼ばれるジャンルの作品はほかにもいくつかあるようですが、一般的に認知されている作品はこの4本となります。これらの作品のタイトルには数字が(『大殺陣』を除き)入っているので「数字シリーズ」とも呼ばれています。『大殺陣』も含め、プロデューサーの岡田 茂の意向で、タイトルには、ストレートにその映画の見どころをぶつけるタイトルを堂々とつけよ、という指示のもと付されたものとなっています。
ただ、プロデューサーの意向があったとはいえ、1作目の『十七人の忍者』から脚本を担当していた池上金男は、名前を池宮彰一郎に変えて小説『四十七人の刺客』(新田次郎文学賞受賞)を発表するなど、脚本家 池上のこだわりだったのかもしれません。『四十七人の刺客』は市川 崑監督により映画化され大ヒットしました。(脚本も池宮自身)
『集団抗争時代劇』の中には、そのあと東映の稼ぎ頭になる任侠もの、実録ヤクザものの流れをくむような、やくざ渡世な話もあるのですが、やはりそれよりも、大きな大義のため、少人数の組織(グループ)が、巨大な組織、存在に、極秘裏にことを進め、理不尽な世に命がけで抗う者たちを描き、決して望まれた結果とはならなくとも、何か大きな楔を打ち込む結果を得られた、そんな作品であるような気がします。
今回『十一人の賊軍』が上映されましたが、やはり、この今の日本や世界情勢の理不尽さの中、どうやって抗って生きてゆくか、その勇気を持てるような作品であり、この時代に『東映集団抗争時代劇』が復活したのは大きな意義があり、素晴らしいことだと思います。今後、時代劇が復権し、この世の中に楔を打ち込んで時代劇の存在する意義をぶち込んでいってもらいたい、そう思います。
そして、これを機に是非『十一人の賊軍』を劇場でご覧になられて、過去作品で、命がけで理不尽に抗う男たちの姿に感情を揺さぶられていただきたいと思います!
ハイ以上!いつものように長くなってしまいましたっ
ここまでお読みいただきありがとうございました!!