「千と千尋の神隠し」について語るだけです
せっかくのキャンペーンなので、ジブリについて語ろうかなと思いました。
今回はジブリの中でも特に思い出深い、「千と千尋の神隠し」について語ります。
あらすじ
主人公の千尋は引っ越しの途中、両親とともに車で通れないトンネルを抜けることになります。
千尋自身はトンネルについてもその先の街についても怪しみ拒否的な反応ですが、両親はどんどんトンネルの中を進み、それどころか料理のおいてある店を見つけると「美味しそう」「店員が来れば料金を払えばいい」という理由で食べ始めてしまいます。
料理を食べずに一人で散策をする千尋の前に謎の少年が現れて、彼女にかえるように促します。しかし、日が暮れると人ならざる者たちが街中にあふれ、両親は豚になり、帰り道もなくなってしまいます。
先程の少年に助けられた千尋は、両親を人間に戻して帰るために、神々をもてなす湯屋で働くことになります。
考察
ここからは勝手な考察であり、自分の解釈なので他の人からしたら間違えている部分や、もしかしたら公式から違うと言われている部分もあるかもしれないので、「他人の考察を読むのが好き」という方以外は読み飛ばしてもらってもいいです(といいつつ、これがこの投稿の本編ではありますが)
・両親迂闊すぎ問題について
あらすじでも書いてあるとおり、引っ越しの途中で怪しげなトンネルに入る、店員がいないし値段も分からないのに勝手に食事を始めるなど、千尋の両親はかなり迂闊な面が描かれています。そうじゃないと物語が始まらないという部分はありますが、ここに勝手な解釈をぶち込むと両親は呼ばれてしまったのではないかと考えます。
心霊スポット等、明らかに言っちゃだめな場所なのになぜかそこに足が向いてしまう。両親はそれと同じようにあの街にいる神々、もしくはあの土地自体に引き寄せられてしまったのではないでしょうか。まぁ、宮崎駿監督は別にそんなこと考えてはないでしょうが(笑)
・日本神話が元ネタ?
そもそもの舞台が神々をもてなす湯屋なので、日本神話が元ネタではないかと思われる部分がちらほらとあります。
例えば、両親が神の食事を食べたせいで豚にされるところは、黄泉の国の食べ物を食べると現世に戻れなくなるというヨモツヘグイから変化したものと考えられます。
また、かなりのネタバレですが、ハクという龍の姿と少年の姿を持つ存在の正体が川の神であるという設定も、龍は様々な自然の力の象徴として扱われており水神や海神として信仰されていることもあるので、かなり説得力のある設定だと思います。
また、湯婆婆等、明らかに魔女が元ネタのキャラもおり、日本神話だけが元ネタではなく西洋のオカルトも混じっています。湯婆婆が名前を奪って相手を支配するのも、名前にはそれぞれ力が宿っているという思想から来ていると考えられますし、姉の銭婆がハンコにかけた盗人を苦しめる呪いもどちらかというと東洋の呪(まじない)よりかは西洋の呪(のろい)っぽい気がします。
・坊の父親はいる?
湯婆婆とその息子(孫ではない)である坊が登場しますが、父親は登場しません。一部では釜爺が坊の父親なのではないかという説もありますが、個人的にはその絵面はみたくないので他の説を考えてみました。
湯婆婆は坊をかなり甘やかして育てており、外に出たら病気になる等と嘘をついて軟禁に近い環境で守っていました。坊は坊で湯婆婆に甘やかされているためか我儘であり、千尋に自分と遊ばなければ腕を折るという脅迫までしています。これらの家庭環境から考えると、坊の父親は坊が生まれる前後に亡くなっている、あるいは湯婆婆と坊を残して湯屋から出ていっており、そのせいで一人残された湯婆婆は坊に依存して過保護な育て方をしているのではないでしょうか。
ただ、ここまで語っておいてあれですが、湯婆婆は人間ではないので人間と同じようなプロセスで子供が生まれてくるわけではない可能性もあります。つまり人間と違って父親の存在が不必要なのかもしれませんし、人間でいうところの「お腹を痛めて産む」という産み方をしていない可能性もあります。劇中の人物達から湯婆婆に夫がいたという話や坊の父親についての話が一切語られていないことを考えると、湯婆婆は父親がいなくても子供を作れるという説も有力な気がしてきます。