本当は怖いかもしれない『マイ・インターン』
本当は怖いかもしれない『マイ・インターン』
先日YouTube動画で『マイ・インターン』について話をした。このYouTubeは個人でやっているのではなく、会社の販促部のメンバーがプロデュースし、演者兼ライターとしてわたしが喋るというもの。その回の企画は動画の制作会社社内で、若い世代の社員の人たちに「自分を奮起させてくれる映画は何か」のアンケートを取り、人気1位に輝いた『マイ・インターン』について語る内容だった。
『マイ・インターン』が選ばれたというのはよく分かる。
ヒロインのアン・ハサウェイは現代を生きる30~40代の現役女性のモデルであり、その世代の代弁者だ。同世代の共感を得られたのは、ハサウェイの前作『プラダを着た悪魔』もまた仕事で逞しく成長していくヒロインを描いていたというのも一因だろう。
また、70年代ハリウッド映画のアイコンともいえるロバート・デ・ニーロをキャスティングしたのも幅広い世代の注目を集めた。力を緩めたデ・ニーロの演技は、観客を文字通りリラックスさせてくれた。
この年の差のあるカップルが、恋愛感情なく友情と信頼を深め、いくつかの問題を解決し、ヒロインは精神的な成長を遂げるというハートウォーミングなストーリーだ。百点満点とは言い過ぎかもしれないが、脚本も書いたナンシー・マイヤー監督の手腕には感心させられる。
だが、幾度となく鑑賞していると、この「心地良さ」に対して無防備に身を投じてしまって本当に良いのか、「もやもやしたもの」が湧いてくる。批判するつもりではない。でも一度浮かび上がった「もやもや」によって、こんな風に感じてしまう。
自分は実験室で飼われているマウスで、誰かに観察されているのではないか。
アメリカ国内での批評
『マイ・インターン』はアメリカのレビューサイト「Rotten Tomatoes」で批評家が59%、観客が73%と比較的高い評価を得ている。ちなみにマイヤーズ作品は、1作前の『恋するベーカリー』が批評家59%、観客60%、『ホリデイ』が批評家51%、観客80%、『恋愛適齢期』が批評家72%、観客69%というところ。観客の評価は『ホリデイ』に劣るものの、批評家の評価はまずまずの部類に入る。
では、アメリカ国内でどんな批判があるのか調べてみたところ、ざっと4つに集約される。
1、ポリティカル・コレクトネスの問題。
最近よく耳にする通称「ポリコレ」とは特定のグループ、人種、宗教、性別などに不快感や不利益を与えないように配慮することを表す総称である。ハリウッドはやたらポリコレに配慮するようになり、登場人物が多い作品には必ず黒人やアジア人が配置されるようになった。LGBTも当たり前のように描かれるようになったが、『マイ・インターン』はこのポリコレを意識しているようには見えない。黒人の社員も座っているがほとんど気づかない。これは日本人のわたしは鈍感で、言われて「ああ、そうだったっけ」くらいの感覚でしかない。
2、ジェンダーロールの暗示。
結局『マイ・インターン』は男性がビジネスの世界において再び成功をもたらす一方で、女性は家庭や育児を重視するべきであるということを暗示させる、という批判。だが、本作を書いたナンシー・マイヤーズは女性監督である。オリバー・ストーンやハーヴェイ・ワインスタインが製作したなら疑わしさも感じるが。ちなみに共同製作者でマイヤーズ監督とは何度も組んでいるスザンヌ・ファーウェルも女性。
3、上流階級のクリシェ的な描写。
ハリウッドのみならず、日本のドラマ界においても、庶民の憧れを引き出すために、上流階級のライフスタイルの描写は、必要以上の時間をかける傾向がある。会社のCEOであるジュールズのライフスタイルはともかく、ベンの自宅にあるクローゼットの中や、いかにも高級そうなスーツを見せることは、成功を手に入れるためのクリシェ的(よくありがちな表現)なアプローチであるという批判。これは感じ方の問題だと思うが、スラム街のチンピラの荒んだ日常を描こうとしているわけではないのだから、わたしは批判にあたらないと思う。
4、キャラクターの非現実性。
70歳のベンのような、あんな人物はいない。一部の批評家が、デ・ニーロのキャラクターは珍しいほどエネルギッシュでアクティブなシニアであり、現実とかけ離れている、と批判している。だがわたしは、「いやいや、今の70歳は昔と違う」と主張する側だ。
日本の有名人で、今年70歳という人を挙げてみよう。水谷豊、三浦友和、中島みゆき、夏木マリ。小池百合子東京都知事や、作家の村上龍も実にエネルギッシュでアクティブだ。
『マイ・インターン』の「もやもや」の正体
では、わたしが感じる「もやもや」は何なのか。
それは、『マイ・インターン』が「マーケット・インに基づいて綿密に計算され、制作された映画」なのではないかという、よがった見方だ。これはわたしの邪悪な推察なので、本作を心から愛する方は、ここから先はお読みにならない方が良い。
「マーケット・イン」とはマーケティング用語で、市場(顧客)の側に立って、顧客が求めるものを提供するという考え方である。これと対照的なのが「プロダクト・アウト」であり、作り手側が作りたいもの、作れるものを提供するという思考である。
ビジネスの世界では「マーケット・イン」思考が成功を収めやすい。顧客志向だからである。「プロダクト・アウト」で商品やサービスを開発して顧客にそっぽ向かれる話は後を絶たない。
映像作家の多くはこの「プロダクト・アウト」、つまり自分が撮りたいものを撮るという人が圧倒的に多い。デヴィッド・リンチ監督の『イレイザーヘッド』やアレハンドロ・ホドロフスキー監督の『エル・トポ』、ジョン・ウォーターズ監督の『ピンク・フラミンゴ』などのカルト映画はこの代表格である。
だが、ハリウッドのメジャースタジオは多くのヒット作品で、試写を通じ、観客の反応を見て、修正や変更を加えることで知られている。そもそもハリウッドは観客の求めるものを提供するという、極めて産業的な映画量産のシステムではないか。
では、『マイ・インターン』はどちらに分類されるだろうか。
「(これまでの作品で)複雑な恋愛は描き尽くした気がしていた」「人や人間関係を軸に撮ってきたが、恋愛抜きの関係だってある。それで友情の物語を考えたの」と、ナンシー・マイヤーズ監督自身がメイキングで語っている。この言葉で、スタート時点は「プロダクト・アウト」だったことがわかる。
だが、シナリオを創り上げていくプロセスで、マイヤーズがプロならば「この映画はベンと同じ世代の観客も見るだろう」という考えが浮かんだはずだ。
「彼らが望むのは?」
「もう一度社会と繋がりを持ちたい、若者と仲良くして受け入れられたい、頼られたい、尊敬されたい、この年になってもモテたい、そして自分のキャリアを肯定したい」
「ジュールズに共感する女性たちは?」
「なんでも完璧にこなしたい、女だからと甘く見られたくない、最新のファッションを着こなしたい、家庭と仕事を両立したい、お金持ちになりたい、全てにおいて幸せになりたい」
「でも、親とはぎくしゃくしている、ママ友に後ろ指刺されることもある、夫が浮気をしているかもしれない」
「若者も経験豊富な年配者のアドバイスをもらいたい時があるはずだ、例えばどうにも思いつかない恋人とのトラブル解決法とか」
こんな、観客が求める「登場人物との共通点・共感点」を列挙し、観客が観たい「ユーモラスな場面」「スリリングな場面」「感情を揺さぶる場面」をストーリーラインやキャラクター設定に散りばめて、最終的に観客が最も好むハッピーエンドで締めくくればヒットは読める。
つまりこうだ。
『マイ・インターン』は、完璧なほどの「マーケット・イン」思考で作られた産業商品。
「さあ、これで観客の反応を確かめてみよう」と、映画館という実験室の暗闇の中で、スクリーンを見つめるわたしたちの様子を誰かがじっと観察していて、「思った通りの反応だな」と笑みを浮かべていたとしたら・・・。
「こんな人物が観たかったんでしょ」と。
わたしを覆う「もやもや」は消えない。