似顔絵で綴る名作映画劇場『50年代ハリウッドに恋したあなたへ』
50年代ハリウッドに恋したあなたへ
1950年代はハリウッド映画の分岐点。新たなるスタアたちが新風を巻き起こしました。
時が流れても色あせることのない永遠の“シンボル”たちが、叫び、走り、苦悩し、艶やかな媚香を漂わせ、唄い、踊り、そして時代を切り拓いたのでした。そんな永遠のスタアたちの作品をご紹介します。
『エデンの東』(1955)

父親から理解されず、愛を求めてもがき苦悩する痛ましいまでの青春像。
ジミーの実像とも重なり、いつまでも心に残る作品です。
それまでの役者と明らかに違う表現と佇まい。何気ないしぐさや身のこなしのひとつひとつが絵になり、目を奪われるのです。たぐい稀な感性による即興的な演技で、共演者をしばし戸惑わせることもあったようです。この映画でも、事業で大きな損失を被った父親を喜ばせようと、大金をプレゼントするも、その金の出所を知った父親に叱責、拒絶されるシーンがあります。ジミーはアドリブで、泣きべそをかきながらその金を父の胸に押し付けると、嗚咽とともに札束がこぼれ落ちる。台本に無いその想定外の行動に、父親役のレイモンド・マッセイは大いに困惑し苛立ったそうです。
ジミーが去って60有余年。生きていたら、その後の映画人生はどんなものだったでしょう。さらに多くの名作を残したでしょうか? 1955年9月30日。愛車ポルシェとともに、彼は永遠の若さを得たのでした。『エデンの東』が日本で公開されたのは、同年10月14日のことです。彼の肉体はすでに無く、スクリーンの中でのみ生きる、慕情の人となりました。

『欲望という名の電車』(1951)

『風と共に去りぬ』(1931)のスカーレット・オハラ役に続いて、今作品のブランチ役で二度目のアカデミー主演女優賞を獲得した、ヴィヴィアン・リーの代表作のひとつです。
同時に、若き日のマーロン・ブランドが汗に濡れたTシャツ姿でむせ返るような熱気を放ち、その野獣のような牙を剥く演技で他を圧倒する強烈な存在感を見せる不朽の名作。
最高の劇作家のひとりとして知られるテネシー・ウィリアムズの同名の戯曲が舞台化され大ヒットし、続いて映画化されたのがこの作品です。
舞台はアメリカ南部のニューオーリンズ。今では没落してしまった名家の娘ブランチが、この町に住む妹夫婦の家に転がり込んでくる。かつて妹は、周囲の反対を押し切り労働者階級の粗野な男スタンリーと結婚し、今ではそのお腹に子供がいる。このスタンリーは、仕事が終われば酒とカードゲームに明け暮れて、時には妻に暴力を振るう男。そんな義弟を見下すように嫌悪感を抱くブランチ。スタンリーの方はといえば、何かにつけて上流階級のお嬢様気分が抜けない彼女にイラつく。やがて、”上流”という虚構を身にまとったブランチの本当の姿が少しずつ暴かれていき、もはや妄想の中に生きている姿が残酷なまでにあぶり出されてしまう。ついには、彼女の過去の乱れた生活のあげくの淫行が原因で追われるようにこの町にやって来た事実を知ったスタンリーは、唯一ブランチに憧れのまなざしを向けていた仲間の男に全てをぶちまけると、自らも彼女を押し倒し、あらん限りの屈辱を与えてしまう。わずかばかりの自尊心をよりどころにしていたブランチは、もはや心のバランスを完全に失い、虚構と現実とのはざまでさまよい、狂気の淵へと落ちていった。

『七年目の浮気』(1955)

限りない男の浮気願望を艶笑噺の名人ビリー・ワイルダーが、どこまでもモゾモゾ、モヤモヤと描いた傑作コメディ。
かつてハリウッドは、大いなる夢と虚構の宮殿でした。そこはおびただしい数の星が煌めき、そして流れ落ちていきました。美しき水面と濁り水とが混在するこの世界では、映像の中でのみ光り輝く人もあれば、虚実入り乱れて異彩を放つ人もいます。マリリン・モンローはまさに後者でした。彼女の映画を観る時、どんな役を演じても漂う素のマリリン・モンローを見てしまうのは私だけでしょうか? その笑顔、その歌声、艶やかな容姿の向こうに、どこか壊れそうな心の震えを感じてしまうのです。その硝子細工のような危うさが、今なお愛おしさに包まれて多くの人の心に生き続ける理由なのでしょう。彼女の謎に満ちた死を考える時、哀しみと憂いとで胸がモゾモゾ、モヤモヤとなるのです。

『熱いトタン屋根の猫』(1958)

ポール・ニューマンとエリザベス・テイラーの共演作。
亡き親友と自分の妻との関係を疑い、酒に溺れる男。事実誤認なのだが聞く耳を待たない彼は、妻への冷淡な仕打ちを繰り返す。余命が迫った義父の遺産相続問題も重なって、身の置き所もない妻。まさに、熱く焼けた屋根の上で身もだえする猫のような心情を、エリザベス・テイラーが迫真の演技で魅せます! この頃のエリザベス・テイラーの美しさと言ったら、それはもう絶品ですね! まさにハリウッドの王道を行く「女優の中の女優」でした。
子供の頃、TVで観たこの作品と、モンゴメリー・クリフトと共演した『陽のあたる場所』(1951)で、彼女の圧倒的な美しさに感動したのを今でも鮮明に憶えています。
現代と違って、映画が、そして映画女優が遥か遠くに仰ぎ見る存在であったあの時代。ある種のベールに包まれてこそ映画スタアでした。まさに“虚像”であるからこそ、多くの夢と憧れで、私たちの心を熱く熱くしてくれたのです。おびただしいほどの情報に溢れた現代のスタアの姿にはかつての神秘性はありませんね。
とにかく、エリザベス・テイラーです。もうこんな女優は二度と現れないでしょう。

『スタア誕生』(1954)

唄う子役スタアとして『オズの魔法使い』(1939)のドロシー役で、一躍人気者となった少女は、ご多分にもれず、クジラのようなハリウッドの大きな口に飲み込まれていきました。
当時、撮影所内では、なかば合法扱いされていた禁断の薬物を若くして常用させられ、それが後の彼女の激流の人生の始まりでもありました。
抜群の歌唱力で、ミュージカル黄金時代のトップスタアの地位を得た半面、精神的不安定からくる度重なる遅刻やすっぽかしを繰り返し、幾度となく入退院を経験し、やがて業を煮やした撮影所からも解雇されてしまいます。そして、アメリカを離れた後に4年ぶりにカムバックし、その演技と歌声が絶賛されたのが、この『スタア誕生』でした。
まるで彼女自身の境遇を彷彿とさせるストーリーでもあり、ジュディ・ガーランドの生き様が広く知られた現在では、心穏やかに鑑賞するのが少しばかり辛くなる作品です。
それはさておいて、やはり彼女の歌声の魅了たるや尋常ではありません。どこか凄みすら感じます。身を切る痛みのようなものを乗せて聴く者を圧倒するのです。
100年分生きたと言われた47年の短い生涯。今では青い鳥と一緒に、虹の彼方を飛んでいるのでしょうか?

『監獄ロック』(1957)

私が19歳の夏、エルビス・プレスリーが亡くなった、とラジオから聴こえてきました。
その後、連日のように彼の歌声が街中を駆け巡りました。
昭和52年(1977)のことです。
プレスリーを聴いて育ったというわけではないので、私の中では特別に大きな衝撃ではなかったのです。さらに、42歳というその年齢が、当時の私にとってはもの凄く年長者というイメージがあって、“ロックンロール”という言葉とのギャップさえ感じたものです。
やがて、繰り返し流される彼の映像と歌に、どんどん惹かれていく自分に気づいたのです。
あらためて、若き日の彼の主演作品の数々や、ドキュメンタリー映画『エルビス・オン・ステージ』(1971)を観るにつけ、彼の歩んだ歴史の重みとその衝撃度には感嘆の想いがしました。“キング・オブ・ロックンロール”のデビュー当時、若者たちの狂乱のごとき声援をよそに、その批判の嵐も半端ではなかったようです。あるラジオ局は放送を拒絶し、テレビでは、グラインドさせる彼の腰から上しか映さなかった。すべては、“黒人的音楽である”、“非行化を助長させる”という、偏見とも言える保守的発想が背景にあったのです。
いつの世も、道を拓く人は、いわれのない洗礼を受けるのですね。
この『監獄ロック』は、彼の3本目の主演映画。喧嘩がもとで人を殺めてしまい、刑務所に収監された若者がそこで出会った男の手ほどきで歌とギターの腕を磨き、出所後に人気者となっていくミュージカル映画です。何だかプレスリー自身のサクセスストーリーを下敷きにしたような展開ですが、最も輝いていた時代の彼の姿が眩いかぎりです。
