「エブエブ」深読みのススメ・マルチバースは現代の生き方のメタファー!
アカデミー賞主要部門独占!で話題を呼んだ「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」略して「エブエブ」。
平凡な主婦が「マルチバース」に巻き込まれ、様々な可能性の宇宙を行き来して、宇宙全体の破壊を企む悪と戦う破天荒なSF映画。
…というふうに、紹介されることが多いと思うのですが。
もちろん、その通りに楽しんでも全然構わないのだけど。
でも、ちょっと深読みしてみると、多彩な奥行きが見えてきます。
今回は「エブエブ」深読みのススメ、です。
マルチバースは現代生活のメタファー
マーベル映画などでもおなじみになった「可能性の並行宇宙」マルチバースですが。
「エブエブ」では、これは現代人の生き方のメタファーになっていますね。
シンプルな、たった一つだけのペルソナを持って生きている人は少ない。誰もが人生の中でいくつもの顔を持っていて、「いろんなところで同時に」生きていると言えます。
例えば私自身、ここではMOJIという名前で映画について書かせてもらってる訳ですが。
もちろん実生活では、本名で、別の自分として生活しています。
ブログで映画レビュー書いてる自分もいるし、SNSの自分もいます。
あと、別のペンネームで小説を書いていたりもします。好きなことをやっていたら、いつの間にかほぼマルチバースを生きていました!
特にネット社会では、多くの人が普段の自分とは違う、もう一つ、二つ、三つ…の自分を使い分けているんじゃないかと思います。
ヒーロー映画やアニメなども含め、マルチバースを扱った作品が増えているのは、その概念が現代の多くの人々の生活によくフィットするから…なんじゃないでしょうか。
マルチバースは多様性のメタファー
また、マルチバースは現代社会の多様性のメタファーでもあります。
映画のエヴリンは、中国人でありつつアメリカ人でもあり、中国語と英語のちゃんぽんで話し、東洋的な考え方と西洋的な考え方、両方の世界で生きています。
エヴリンのコインランドリーには、多様な人種の、多様な暮らし方をしている人たちが集まってきます。
エヴリンの娘ジョイは保守的な生き方に反発し、決まった仕事を持とうとしません。
また、ジョイが連れてくるパートナーは同性で、エヴリンは「保守的な父親に説明できない」と悩むことになります。
ジェンダーへの考え方の違いや、独自の趣味。その人にしかわからない独特のこだわりなど、世の中には多種多様な生き方があふれています。
アメリカ人でありつつ伝統的な中国の価値観も持っているエヴリンにとっては、それは時に脅威にも感じられるものです。進歩的な娘は遠く思えて、まるで「自分の世界の破壊者」のようにも感じられるくらい。
自分と価値観の違う人って、怖く思えたりするんですよね。自分自身の世界を、脅かすもののように思えてしまいます。
差別というのも、そんな恐怖の裏返しだったりします。
娘が世界の破壊者となってラスボスになる本作のプロットは、そんなエヴリンの「多様性への恐怖」を表しているのだと言えそうです。
「親切」でマルチバースに立ち向かう!
人々の価値観が多様になるほど起こってくるそんな断絶に、エヴリンは最終的に夫の流儀、「人への親切」でもって立ち向かっていきます。
相手の価値観が違っても、それが自分には理解できないものであっても、まずは親切に受け止める。
拒絶するのでなく、相手の在り方を肯定する。
そして、共存する。マルチバースの中で生きていく。
カオスを極める「エブエブ」だけど、最後はそんなシンプルな、普遍的とも言える地点へ集約していくことになります。
マルチバースのように分裂した多様性の時代に、どう生きるか。そんな普遍的な問いを、お祭りのようなストーリーにして、感動的な解答へと導いていく。
「エブエブ」はそんな作品ですね。実に野心的な、現代的な映画だと思います!
監督「ダニエルズ」の前作「スイス・アーミー・マン」のレンタルはこちら。
ブログでも「エブエブ」について書いています。よろしければどうぞ。