やっと見つけた私の居場所
アイルランド映画祭2024が、5月31日(金)〜6月13日(木)にYEBISU GARDEN CINEMAにて開催されます。
日本初公開作ほか全8作品が上映され、そのうちの1本が今回紹介する映画です。
主人公コットが経験した特別な夏休みは、
愛しさと希望に満ちていました。
『コット、はじまりの夏』
監督/コルム・バラード
主演/キャサリン・クリンチ
キャリー・クロウリー
アンドリュー・ベネット
マイケル・パトリック
ーあらすじー
1981年、アイルランドの田舎町。大家族の中でひとり静かに暮らす寡黙な少女コットは、夏休みを親戚夫妻キンセラ家の緑豊かな農場で過ごすことに。はじめのうちは慣れない生活に戸惑うコットだったが、ショーンとアイリンの夫婦の愛情をたっぷりと受け、ひとつひとつの生活を丁寧に過ごす中で、これまで経験したことのなかった生きる喜びを実感していく。
◆ 閉塞感と解放感 ◆
コットの自宅は昼間でも薄暗く閉塞感を感じるが、それとは反対に親戚のキンセラ家は明るく綺麗で解放感がある。その様子はコットの新しい未来を感じさせてくれる。
◆ 日常の音 ◆
風通しのいいキンセラ家からは、澄んだ水をくむ音や料理をする音が聞こえてくる。贅沢をしなくても、日常にある当たり前の「音」がコットに安心感を与え、心を癒していく。
◆ 生死と希望 ◆
新しい命の誕生と、様々な形で人生を終える命がある。生きていく上で生と死は隣り合わせという事を短期間で経験するコット。
キンセラ夫妻の愛情を受け、個性を認められた今、生きる意味と希望を強く感じている。
◆ 二人との距離 ◆
夏が終わりに近づき別れの日。
別れを惜しむコットが叔父のショーンにしがみ付き、肩に顔を埋め噛み締めるように言う「ダディ!」と、ショーンの肩越しに遠くに見える実父への「ダディ…」その距離がコットの正直な心を表している。
本作は家族の在り方、愛情や成長といった普遍的なテーマを描きながら、私達の心を温かくする作品だ。アイルランドの美しい風景も相まって、どこか懐かしい気持ちにさせてくれる。
木漏れ日も綺麗で優しい。
愛情あふれる環境で育ち、心の安定を得る。
それが子供たちの自信に繋がり、安心して自分の居場所を作りあげて行くことができるのではないだろうか。
9歳のコットのように、自ら居場所を選ぶ選択肢がない年齢なら特に。
そして人格を作り上げていく大切な時期でもある。将来子どもが歩みたい方向性も、自分で行動できるまでは親が色々なことを見せて導いてあげるのも良い、持論だがそう思う。
コットは、愛情や安心感に欠けた環境の中で生活していた。父親のダンはほぼ育児を放棄し、
ギャンブルに明け暮れ、母親との関係も良好とは言えなかった。
そんな両親の姿を目の当たりにし、コットは自身の感情を押し殺すように過ごしている。学校でも常に緊張状態で、心を開いて人と接することはほとんどなかった。幼い頃は家と学校が生活のすべてだ、その大切な空間で心が休まらないコットを思うと、胸が締め付けられる。
そのコットをひと夏のあいだ預かることになるのが親戚のキンセラ夫妻、かつて事故で息子を亡くしていた。掃除の行き届いた綺麗な家は、
キッチンに並ぶコンディメントや食器なども整理整頓されており、食事を大切にして丁寧に暮らしていることがわかる。
息子を失った喪失感は癒えないものの、コットの存在は夫妻に新たな光をもたらす事になるのだ。コットの心にも愛情の不足という空白があるため、お互いに欲しかったものを満たす存在だったのだと思う。
アイルランド語と英語が混在するシーンも印象的だ。これは、イギリス植民地化の影響で英語が主流となったアイルランドを反映している。
監督のコルム・バラードは英語圏のダブリンで育ち、父親からバイリンガル教育を受けた。
家庭ではアイルランド語も話していたため、監督にとってアイルランド語は常に身近な存在だ。本作がほぼアイルランド語でセリフを構成しているのは、監督自身のアイデンティティに大きく関係していると考えられる。
最後に、コットを演じたのは今回が映画ビューとなるキャサリン・クリンチ。
本作でキャサリンはいくつかの走るシーンを演じている。コットの走る意味は最初は受動的ではあるが、徐々に意思が見られるようになってくる。人前で上手く感情を表現できなかったコットにとって大きな変化だ。
その様子が本作のラストでも描かれ、とても感動的なシーンとなっている。
変化していく内面を表現するという、難しい役を演じたキャサリンに、今後も注目したい。
読んでいただきありがとうございました😄