【少々ネタバレ】~「武士道」とは男同士の友情・嫉妬・痴情を秘めた狂気なり~『首』観たっ!
皆さん、こんにちは
椿です。
今年何かと話題になる作品の多かった映画界ですが、今年の締めくくりの話題作と言ってもいい映画が公開されました。北野武監督の大型時代劇『首』です!
いやっ、すごい映画でした!と、同時に、
もしかしたら賛否別れる作品になるんじゃないかなぁ、という印象も。
当然、私は「賛」ですよっ!
これまでの北野作品と違う(飽くまでも個人の感想です)
これまでの北野作品を語れるほど、北野作品をまだまだ見ていないのですが、北野映画に勝手に抱いていた印象として
・きわめてアーティスティックな作風
・ダークさをまとった作風
こんな風に思っていました。そんなわけで本作も、時代劇版『アウトレイジ』を想像していたのですが、かなり違う印象の作風だと感じました。
これまでの北野作品では、狭い、限定された世界観の中で、緻密かつ緊迫感をもった人間ドラマで構成されていたのが、本作では、戦国の世の合戦を舞台にした広い世界観の中で、人間ドラマを緻密に描くというよりは、物語の大枠をとらえ、ドライな視点で全体を俯瞰して観ている印象を受けました。
また、描かれる事象は、狂人たちによる狂人の所業なのですが、スペクタクルなスケールの大時代劇という事もあって、これまでの北野作品の現代劇にみるダークな雰囲気とは別のものを纏っている印象を受けました。
多分、こういったこれまでの北野映画の持っていたイメージと今作とのイメージの違いにより、北野映画に期待を寄せていた人々の一部から批判的な意見が出てくるのではないか、と思いますし、現に「賛否」別れた評が出ています。
中には辛らつに「北野映画は終わった」「年には勝てない」といったような評が見受けられました。まぁ、映画評なんて人それぞれに違うのだから悪い評が出るのも当たり前なのですが、私には、こういった辛らつな評は、本作に於いてそれはあたらないのではないか、むしろ北野監督の新境地であり、さらに進化しているのではないか、と感じてならないのです。
「首」にこだわる
作品のタイトルにもなっているので当然と言えば当然ですが、登場人物が首にこだわる。敵将の首、裏切者の首、逃亡者の首、立身出世のために奪う首。御大将の不明な首の意外な行方、そして、冒頭から首がチョンパされた屍に群がる蟹の描写、次々と切り落とされる敗者たちの首・・。
ここまで首にこだわっておきながら、ラストのラスト、秀吉=ビートたけしが、その「首」へのこだわりをいとも簡単に放り捨ててしまう様に唖然とさせられたと同時に、これまで、その「首」のために命を賭してきた者達への冷めた目線にゾッとすらさせられました。
まぁ、この「首」への突き放し方が、最大の「首」へのこだわり、なのかもしれません。
本格時代劇
ここのところすっかり鳴りを潜めてしまった本格的時代劇。メロドラマになってしまったり、しんみり人物を深掘りしたり、パロディ化されてしまった時代劇は、舞台を時代劇に移しただけで、現代劇で普通にやっても通じるものが、最近はほとんどで、権謀術数に長けた武将たちの戦シーン、男たちの痛々しいほどのにらみ合い、身体と身体がぶつかり合う、泥臭い合戦シーンは長らく見ることが叶わなかった。どこか綺麗ごとに刀を鞘へ納めてしまい、時代劇本来の鋭い刃で作品を切りつける作品が無く、時代劇ファンとしては、如何ともしがたいモヤモヤと、そんな昔ながらの時代劇に飢えていました。
そこへ来て、今回の本作での合戦。いや、実に見事でした。かなりのエキストラを使っての大合戦シーンは泥臭く、命がけで立ち向かう男たちの姿がスクリーンにたたきつけられました。この迫力こそ時代劇!
北野監督の時代劇『座頭市』では、切られた際の血しぶきがCGで表現されていて、そこは違和感を感じざるを得ませんでしたが、今回はぶわっと飛び出る血飛沫。残酷かつグロシーンも多めながら、飽くまで時代劇としての必然としてのもので無駄がない。
本作の批評の中に、合戦場面が少ないというものも見受けられましたが、それは『ゴジラ-1.0』にも言われた、ゴジラが暴れるシーンが少ない、という批評と同じ臭いがします。『首』も『ゴジラ-1.0』も量より質。ワンシーンをどこまで肉厚に表現してくれるか、これにかかっている。私にはお釣りがくるくらいに満足でした。
色彩のこだわり
北野映画での色彩へのこだわり、というのも、より本作では重要視されている感がありました。現代劇におけるブルーやブラック等、鮮やかで美しい「色」の表現は観る者の心に深く刺さるものですが、今回も、武将たちを鮮やかに明確に色分けし、分かりやすく、各武将たちの思惑をもその色に例えて表現しているのかとすら思われます。
また目を惹いたのは戦場、武将の逃げ込む森、庭園の様々な「緑」。今回は海の情景広がる「キタノブルー」の代わりに、「キタノグリーン」とでもいえるような、血の「赤」とともに映える「緑」が心に刻み込まれました。
思えば、本作は、黒澤明の大時代劇『乱』に多少なりの影響を受けているようにも感じました。黒沢の色彩に対する強いこだわりは、北野監督とはいささか違う、けばけばしい重い色彩ではありますが、今回の大合戦劇を映像化するにあたり、黒澤の、フィルムに叩きつけるかのような色彩を北野監督も踏襲しているように思えました。
※北野監督と色彩について、私なんかの知ったかぶり内容よりも北野監督作品に造詣の深いGeneralCinemanistのすたみなさんのコラムに詳しいので、是非ご一読のほど!(私が敬遠していた北野作品を見るに至ったのもすたみなさんのお陰です)
「武士道」=男同士の情なり
本作に登場するメインな武士達の行動原理は武将同士の「情」のつながりから来るものがほとんどです。そのため直接的な「男色」シーンも多く、苦手な方も中にはいらっしゃるかもしれません。森蘭丸と信長の関係は古くから言われていたことですし、この時代は特に「男色」ということについて普通であったとも言われていることから考えると自然でもあります。
「武士道」というものが、「大和魂」「漢」などと言う言葉で語られるようになって、どうも勇壮なもの、日本人の魂、男らしさの象徴であるかのようになっていますが、「武士道」こそ、男同士の友情であり、愛情であり、情痴であり、それらが嫉妬を導き、名誉欲や、承認欲求として、命を賭すほどの行動に出てくるのではないか、本作を見て、それを強く感じました。
そのため「武士」の世界に安住していた人間達にとっては信義=愛であり、外の世界からの住人達、農民の世界から成りあがった秀吉や、忍(しのび)くずれたち、農民たちは、そんな「武士道」にこだわる武士達を「ただのちちくりあっている奴ら」と、シニカルな眼差しを向けている。
その「武士」とそうでない者達の対比が色濃く感じられる、見ごたえのある人間ドラマでもありました。
この国の男性上位的な考え方からすると、「嫉妬深い」「情におぼれる」のは女性で、「男らしさ」は、そうであってはならないモノですが、実は男も女もない、いやむしろ、男の方が嫉妬深く、情におぼれやすい生き物なのではないか?いや、いろいろ考えさせられます。
名優たちの競演
本作を本格時代劇と称したのは、かつての時代劇映画を彷彿とさせるオールスターキャストというのも一因です。武将たちを演じた皆々当然に素晴らしく、暑苦しいくらいの加瀬亮、遠藤憲一、中村獅童や真摯な佇まいの西島秀俊ら主演陣の熱演は目を見張りますが、それと対峙する豊臣方のビートたけし、大森南朋、浅野忠信の3人組の「道化まわし」的な役回りがピリッときいていて、まるでアドリブ芸のような掛け合いが作品にメリハリをつけています。
脇を固める役者も素晴らしく、寺島進と勝村政信は特に、本格時代劇役者を感じさせる立ち回り。おどける役が多い勝村さんがこんなに時代劇にぴったりとは思いもよりませんでした。
私が最もゾクッときたのは、忍び崩れの曽呂利新左衛門を演じた木村祐一と千利休の付き人?間宮無聊を演じた大竹まこととの対峙シーン。キム兄の芝居のうまさは定評ありますが、この大竹さんとの一瞬のにらみ合いに思わず息をのみました。
それから、荒川良々の切腹シーンは、自分には髄一の、痛みを感じる切腹に映り、実にここも見事です。
そしてこの男くさい映画にあって、唯一花を添える(?)女優さんが・・。相変わらずうまいのですが、なぜか、各SNSでのレビューを見ると、彼女の演技を絶賛するものの、名前が伏せられているので、あえて、ここでも名前は伏せておきます(笑)。彼女の名演を見たい方は、是非劇場で・・。
久方ぶりの大型時代劇であり、北野映画として期待と注目を浴びている本作。あなたの好みの作品か否か、是非劇場で体験いただきたいと思います。
また長々なへたくそコラム、お目を通していただきありがとうございました。
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投稿を表示椿さん😊お邪魔いたします!
私の記事のご紹介をしていただきありがとございます。
私も芸人曽呂利新左衛門(木村祐一)千利休の付き人間宮無聊(大竹まこと)との対峙シーンは初期の北野作品を思わせる名シーンと思いゾクゾクしたシーンでした。
今作、唯一のマドンナ!?の女優さんはあえて名前を伏せてX(Twitter)投稿しました(笑)
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