音楽映画を観ながら、「差別」や「平和」を考える~『パリのちいさなオーケストラ』&『ロール・ザ・ドラム』
皆さんこんにちは
椿です
気候もようやっと秋めいてまいりましたっ
秋と言えば・・
スポーツの秋(う~ん、無縁だー)
読書の秋(最近老眼がね・・)
食欲の秋(まぁ、果てなき食欲は通年なので・・)
そんなわけで、
『芸術の秋』ですよぉ!
というわけで、9、10月に本邦公開された2本の音楽映画をご紹介します。
この作品、制昨年は離れているものの、本邦公開年月が近いだけでなく、様々な共通点があり、同時期に日本で公開されたことに、なにか大きな意義があるように感じます
『パリのちいさなオーケストラ』
【あらすじ】
アルジェリア移民の少女ザイアは姉フェトゥマとともに、田舎町で音楽を学んでいるが、パリ市内の名門音楽学院への編入が認められ高次の音楽教育を受けることに。その音楽院の生徒は皆、金持ちの家の学生ばかりで早くから英才教育を受けている。
ある日、ザイアが指揮者になりたい夢を授業で語ったことから女性教員に勧められ、学生オケの指揮を、指揮者になるべく指揮の勉強に余念がなく、実力もありプライドも高いランベールと掛け持ちとなった。ところが、エリート意識の高い、ランベールをはじめオケの面々は、田舎町で学んだキャリアをバカにし、さらに移民であることや、女が指揮するなどついてゆけないとばかりに妨害を繰り返す。
どんな妨害にもめげず、エリートに負けず音楽を学ぼうとする彼女は、世界的名指揮者、セルジゥ・チェリビダッケの指揮レッスンに参加。そこで、チェリビダッケに見いだされ厳しいレッスンを受ける。
移民や女性という差別に翻弄されながらも、彼女の熱意が共感を呼び、ザイアの田舎町の音大の学生と彼女の想いを理解したパリ音楽院の混成オーケストラを編成。彼女の想い、彼らの音楽への愛は楽団として結実するのだろうか
移民であり女性であることで、良家の子息ばかりが集まるパリの音楽院。貧民の移民で女性に指揮されて音楽を作るなんてありえないとバカにするメンバー。さらには音楽院の経営者やコンクールの審査員でさえも、彼女を色眼鏡で見て、実力よりも体裁を重きに置くあまり、彼女のやることなすことを否定的に捕らえてしまう。輪をかけてザイアが勝ち気な性格のため、余計に反発を招く・・。
でも、彼女には、彼女のやることを信じ見守ってくれる家族がいて、才能とひたむきさをきちんと見てくれている音楽院の教師や偉大な音楽家がいて、彼女と共に、形式に縛られず楽しく音楽を学び演奏してきた田舎の音大の仲間がいる・・
ザイアが音楽を愛し、音楽にひたむきだったからこそ、温かい仲間たちが集い、音楽を奏で、彼女を助けてくれる。そして、そんな彼女の情熱と仲間たちのサポートが実り、徐々に彼女に共感する人々が増え、パリ音楽院の生徒の中にも、彼女の想いに心寄せるようになってくる人間が現れ始める。
そして、失敗に打ちのめされ、もう音楽を捨てるのではないかとすら思わせる彼女に訪れる奇跡。
本当にラストは涙なくは観られません。
本作は実話をもとに制作されました。
主人公、ザイア・ジウアニは、現在フランスに本拠を置く「オーケストラ・ディヴァルディメント」の指揮者であり、そのオーケストラこそ、本作で描かれるオーケストラです。
彼女とオーケストラ、実は本映画で話題となり、なんと、2024パリオリンピックの開会式で、ラ・マルセイエーズを演奏しました。
本作でも語られていますが、世界中数多の指揮者の中で、女性指揮者の割合はなんと6%という・・
私もかなりクラシックは好きな方ですが、知っている女性指揮者、実際の演奏を聞いた女性指揮者は本当に数人。
クラシックの世界って、意外に女性に開かれていない世界なんですね。
オーケストラの名門「ウィーンフィルハーモニー管弦楽団」は十年くらい前までは、女性の入団を認めていなかったくらいです・・。
「料理」とか「パティシエ」の世界なんかもそんなイメージがあるのですが、「音楽なんて女のやるもの」「男子厨房に入るべからず」みたいな嫌な言葉やイメージがあるにもかかわらず(これは日本だけ?)、いざ、プロとして活動しているのは圧倒的に男が多いような気がします。
これは「伝統」や「格式」、「職人気質」みたいなもので女性を排除していると感じるのですが、極めて保守的な考え方は日本に限らず、世界中であるようですね。
今後の彼女の活躍が、閉鎖的なクラシック音楽界に女性指揮者の門戸をもっともっと広げてゆく事を祈りたいです。
【サムソンとデリラ】
そんなザイア・ジウアニとオーケストラ・ディヴァルディメントの実演はこちら▼
劇中でも非常に印象的に演奏される、フランスの作曲家 カミーユ・サン=サーンスのオペラ『サムソンとデリラ』の中のバレエ曲「バッカナール」です。
ヘブライ人の英雄サムソンが、敵ペリシテ人の女性デリラの誘惑に負け目を潰され磔にされてしまう。敵に勝利したと喜びペリシテ人達の祭壇で踊られる時の音楽で、非常に艶めかしくも激しい名曲です。オペラの曲ですが、人気曲なので管弦楽のコンサートで単独で演奏されることもあります。
彼女とオーケストラの心意気を見事に表す選曲で、力強いオーケストラを聞いていただけたら、このオーケストラがフランスで注目されているのも分かると思います。
ペリシテ人はパレスチナ人の事を指すので、アルジェリア移民であるザイアにも近い存在ということもあるし、ヘブライ人はユダヤ人の事を指しますから、世界のメジャー音楽界に殴り込み?をかけてゆく移民、という意味でも絶妙な選曲な気がします。(オペラは旧約聖書が原作なので、当然、ヘブライ人が善で、ペリシテ人は敵ですが・・・)
大指揮者 セルジウ・チェリビダッケ
セルジウ・チェリビダッケはルーマニアの指揮者で、クラシックファンなら、彼の名前を知らない者はいないくらいの大指揮者です。世界最高峰のオーケストラ、ベルリンフィルを戦中支えてきた伝説の指揮者フルトヴェングラーの後任の音楽監督として最有力の指揮者でしたが、後継レースで、後にクラシック音楽界の帝王と呼ばれるようになるカラヤンに破れ、ミュンヘンへ。そこでミュンヘンフィルと蜜月関係となり数々の伝説的名演を残します。
非常に音楽に厳しくあまりにも長い練習時間にオーケストラのメンバーから嫌われ(ベルリンフィルの監督になれなかった一因)毒舌家でもありめったやたらに口撃(相手が音楽家だろうが政治家だろうが・・)、録音を信用しないため極端にレコードが少ない(なのに、映像は好き)、などなど、エピソードに事欠きません。本作では女性で移民のザイアにレッスンを施し、それは事実なようですが、一方でオーケストラの女性団員に差別的な扱いをしたとして裁判で敗訴したりしています(;^_^A
今回はニレス・アレシュトリプが非常に雰囲気の似てるチェリビダッケをうまく演じています。
『ロール・ザ・ドラム』
【あらすじ】
1970年代のスイスはヴァレー州の小さな村。ここでワインの醸造所を営み、村に古くからあるブラスバンドの指揮者を務めるアロイス。村の音楽祭出場をかけ、練習に励むものの、一度も選出されたことがない。やたら厳しく封建的なアロイスの指導方法に反発した一部の楽団員は村出身でプロとして活躍するピエールを勝手に指揮者として招聘。アロイスや彼を支持する楽団員の怒りを買った楽団員たちは、ピエールを指揮者とする別バンドを結成。古典的スタイルと封建的考えにガチガチに凝り固まった楽団対、ピエールの考えで、女性だ移民だ関係なく音楽的素養のある者を積極採用する新楽団は、まるで子供のような小競り合いをお互いかけあって、練習や演奏の邪魔をする。
一方、アロイスの妻で家政婦のような扱いをうけてきたマリー=テレーズは突然、女性運動に目覚め、夫に強く反発。垢ぬけて女性として自立しようとしていく。また、二人の娘コリネットは父を見てワインの研究に興味を持つが、父には相手にしてもらえない。また、醸造所で雇われているイタリア移民の子カルロと恋仲に・・。
音楽祭のオーディションが近づくにつれ、両楽団の対立は激化。さらに、過去にアロイスとピエール(二人は幼馴染)が取り合ったマリー=テレーズがピエールと急接近。アロイスは音楽どころではなくなってしまい・・・・
なんと、本作も笑劇の実話!
女性の差別撤廃など、日本よりも相当先んじていると思われるヨーロッパでも1970年代はまだこんな感じだったのか?と思わせる位、ガッチガチの封建主義がまかりとおっていたのかぁ。
権利を主張する女性たちの進出や移民が活動の幅を広げてくるなんて、当時の閉じられた村社会の人間達からしたら国を侵略されると思うくらいの恐怖だったのかもしれません。
場合によっては血で血を争うような権利闘争にすらなりかねないこの状況が、村の新旧楽団の対立に形を変え、極めてばかばかしく、チンケな小競り合いをして、何ばかやってんの!とおもいながら、ついつい笑ってしまうような、そんな、村を二分するような「シビル・ウォー」が展開されるわけです。もちろん流血沙汰はありませんし、当事者たちにとっては大騒動かもしれないけれど、見てる側にとっては極めて平和な争いなわけです。(両楽団が演奏しながら通りを練り歩き、遂に両楽団が交差点でクロスし衝突、なんて結構大笑いです)
男たちが詰まらない争いでバタバタやっている時に女たちは女性の権利を求めて立ち上がり、どんどん賢く、どんどん垢ぬけて強くなってゆくんですね。で、いつのまにか男たちは置いていかれたりして。娘も、いつの間にか大人になって、親の意にそぐわない移民の子と恋仲になり、ワインを嗜む舌もいつのまにか親を超える。
知らぬ間にぽつーん、となってしまうアロイス。でも、アロイスって、なんか、あっ、男ってどこか、こういうところある!という感じにさせるところがあって、結構ひどい奴なんだけど、どこか、憎めないところがあって、時に応援したくもなる。
一方のピエールは、女性にも移民にもものすごく理解があって、自由を謳歌する人間で、人間的にとてもしっかりしている、ようにみえるのだけど、金にも酒にも女にもだらしなくて、1970年代だからヒッピー文化にも浸かってるので、クスリとかにも手を出していて・・。こちらも、ダラシない男の見本市なところがある。
生真面目で厳しいアロイスとチョイワルでだらしないピエール。二人で男性の二面性を代表しているのですね。まぁ、それだけ、男ってやつはちっぽけで子供っぽくて弱っちい存在なのかもしれません(笑)
この間に挟まれてアロイスの妻が心揺れ動かされちゃったり、親たちのドタバタを観ながら子供は我が道を行くほど成長していたり、と笑いながらどことなく人間の温かみを感じる作品となっています。
一体、音楽祭はどうなるのか?三角関係や若い二人の恋路はどうなるのか!いろいろ気になるところですねっ
アロイスを演じるピエール・ミスフッドは小物感満載な初老おじさんを熱演。憎たらしくも、どこか憎めない印象を受けるのはひとえにこの役者さんの名演によるところが大きいです。
よくよく見ると、マッツ・ミケルセンからカッコよさを6割省いた感じの、若いころは結構いい男だったのでは?と思わせる風貌の持ち主でもあります。
その妻マリー=テレーズを演じたのはザビーネ・テモティモ。こき使われ幸薄だった女性から一転、権利運動に参加すると見違えるように垢ぬけて生命力あふれる女性に化け、ピエールに対して揺れ動く感情を見事に表現するなど、演技の幅の広い女優さんであると感じさせてくれます。
彼女は数々の映画祭で受賞するほどの演技派のようで、本作でもスイス映画賞女優賞にノミネートされたそうです。
また兵庫県安泰寺で座禅修行を行い、その様子がドキュメンタリー映画として公開されたそうです。
あと、オッサンとしては娘を演じたアメリ・ペテルリさんがかわいくてツボです!
ぬぁんと、彼女、ジオ・ヴェントゥラというリングネームでボクサーとしても活躍してるんだとか。
確かにスタイルも良いし、とっても魅力的です。
父親に自分の配合したワインをテイスティングさせるときの、ほのかに感じる父親への尊敬の念の表情には心打たれました。ますますの活躍の期待大です
【本2作が同時期に日本で上映された意義】
この2本は制昨年が離れています。『ロール・ザ・ドラム』は2018年だし、『パリのちいさなオーケストラ』は2023年です。
日本の配給会社も別々なのですが、『パリ~』が9月『ロール~』が10月公開。しかも、この2本には扱うドラマが違えど非常に似通ったテーマが流れています。
一つは「実話」を基にした作品であること。筆者の勉強不足で『ロール~』がどういう実話をもとにされたのかは分からないですし、「実話」にしては面白すぎるので、どこまで実話のエッセンスをもっているのかも不明ですが・・(;^_^A
もう一つは「差別への向き合い」。主人公が差別される側だったり、差別する側だったり・・・。差別というものが現実に存在する中で、どのようにその差別と対峙してゆくのか、差別する側とされる側が理解しあえることができるのか、差別することの勝手さと醜さ。こういうことを「女性差別」「貧困差別」「民族差別」などの視点からあまり深刻になりすぎず、大仰に訴えるわけでもなく、でも見ている者にしっかりと心に刻み込まれるように巧みな脚本と演出で伝えてくれる。これぞ、映画の意義、というものを感じさせてくれます。
いま一つはフランス映画(『ロール~』はスイス映画ですがフランス語圏の映画)ということ。フランスはもともとが人々が自由を求めて闘い権利を勝ち取った国であるため、とりわけ「自由」という事に積極的で敏感な感じがします。が、移民に対する風当たりなど、いまだにというか、このご時世だからこそ強い差別がフランスでさえも強く、右翼政党の台頭などの話も聞きます。過去の、「差別」の物語を2010~2020年代にかけて映画化するというのは、何か大きな意味があるように感じます。
そして、「音楽映画」であること。音楽は世界共通の言語、という言葉があります。いい音楽はどんな人間の心にも響き、感情を発露させる力があります。でも、そんな音楽を作り上げる人々の心の中にも差別意識は存在し、現実的に差別が行われていることを、本作で知る方もいらっしゃるかと思います。
「音楽を作っていく中にも差別があるのかよ・・」
音楽の力による平和や平等を信じる人からすると、ちょっとショックかもしれません。
でも、この2本の映画はこうも語っているのです。
「音楽の力が差別からの解放をさせ、相互の理解を導く」
「酷い争いも音楽の中で平和的に争えばいつか笑えて平和になる」
まぁ、筆者の曲解であありますけれども、「差別」を描くことと「音楽映画」を描くことを組み合わせた意義というのはそんなところにあるような気がしてならないのです。
人々が人間らしく有意義で文化的な生活を送っていくうえで「音楽」は欠かせないものだ、と。
そんな映画2本が、同時期にこの日本で上映されたことは、意識的ではないでしょうが、大きな意味があるように感じてなりません。
現状の日本、まぁ、世界的な兆候でありますが、とりわけ現代の日本社会において「差別」「貧困」は重大な問題です。ネット社会の増長もあり、目に余るようなこれらの問題が放置されるどころか、国を二分してしまう程となってしまう状況。『シビル・ウォー』のような実際の戦争にまで発展するようなリアルはありませんが、あまりにも激しくも痛々しい言論(と言えないくらいな)の衝突や、政治・思想の世界での悪趣味な罵りあいなど、「差別」に対する意識が他国に比べ低い日本がさらにまずい状況になってゆく中で、本2作を鑑賞することで、もう一度、自身を顧みてほしい・・。
そんな、「映画の神様」の思し召しのような、今年の秋の上映でした。
もちろん「映画の力」も「音楽の力」も現実の差別問題を解消する力にはなり得ない、そんなものに頼っているのは「平和ボケ」と言われるのも分かります。
でも、
映画や音楽の力は、たとえ作品がそれを大仰に語っていなくても、必ず人々の心に染みることを信じてやみません。
こんないい2作品を見て、深く感じ入った次第です。
ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示パリの小さなオーケストラ、ご覧になったのですね。★するどい分析をされており、素晴らしいです。サントラがサンサーンスだった様ですが、YouTubeで聴きました。ありがとうございます。
ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示大きなスケールで「音楽」について、そして「映画」についても考察されていて、読み応えありました!椿さんの「音楽」への造詣の深さや人類愛も伝わってきました✨2作品とも興味深く、とくに「ロールザドラム」は楽しそうで気になります☺️
ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示