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私の好きな映画

桃田享造
2023/09/26 16:31

名作中の名作『ゴッドファーザー』にいちゃもんをつける男

 わたしは、オールタイム・マイ・ベストに『ゴッドファーザー』を入れてない。

 わたしの世代は99%、『ゴッドファーザー』に満点を与え、「映画史上最高の作品」「金字塔」「最高の演技、最高の撮影、最高の演出、最高の音楽」と惜しみない賞賛と拍手を贈っている。

 

 「『ゴッドファーザー』を観て人生が変わりました」

 「『ゴッドファーザー』に出会って映画界を目指すようになったんです」

 「人生の最高の映画は常に『ゴッドファーザー』です」

 

 まあ、こういう話は1年に3回は聞くか目にする。まあ、そうでしょうね。どの映画指南書読んでも『ゴッドファーザー』(面倒なので以下「GF」と省略)はベスト1位か2位、3位以内に必ず食い込んで、食い気味に紹介され、食わず嫌いも唸らし、食わずして映画ファンを名乗れない。

 『GF』は賞賛されるが、『バラキ』(チャールズ・ブロンソン主演)や『コーザ・ノストラ』(ジャン・マリア・ヴォロンテ主演)は、いずれも実在の人物を描いているせいか、『GF』のようにベッドの中に馬の首が入っていたり、マシンガンでハチの巣にされたりするような派手さがないので、ジャンルも違うような気がする。(とはいえ、『バラキ』はディノ・デ・ラウレンティス製作、テレンス・ヤング監督、『コーザ・ノストラ』はフランコ・クリスタルディ製作、フランチェスコ・ロージ監督と、イタリアを代表する二大プロダクションが作り、監督も俳優も一流どころなので『GF』の話題で盛り上がる時に、話を膨らませることができると思うので、機会があれば観ておいた方がいい)

 

 では、なぜわたしがオールタイム・マイ・ベストに『GF』を入れていないのか、引っかかる点をいくつか検証してみたい。また、ここでは『GF』の物語の範囲内についてのみ語り、PARTⅡと一体化した人物としては触れないようにする。

 

1.主演俳優はマーロン・ブランドじゃないだろ

 

 マーロン・ブランド(当時48歳)が1972年のアカデミー賞主演男優賞を受賞したが、『GF』の主演は、どう考えても新人アル・パチーノ(当時32歳)でしょ。真面目で正義漢の強いマイケルという末っ子が、いろいろあって、映画の最初に登場した時と、最後では別人のように変わってしまう変遷を描いた話でしょ。パチーノの方が登場時間が長いし、台詞も多い。

 せっかく最優秀主演男優賞をあげたのにいらんと拒否するってわかっていたなら、パチーノにあげたら良かった。それから、あるかなと思ってたら『ジ・オファー』ではブランドの受賞拒否のくだりは無かった。撮ったかもしれないけど、まあ製作者のアルバート・S・ラディの作品賞受賞前に余計なアクシデントはカットして正解だった。

 とはいえ、ブランドが、自伝「母が教えてくれた歌」の中で「六十年にわたりアメリカ・インディアンを不当に扱い、中傷してきた映画産業のお祭り騒ぎの片棒を担ぐのはばかげていると思った」というのは、大人の今になって、そしてたくさんの西部劇を復刻してきたわたしとしては、確かに言いたいことはわかる。すっぽかしてBarでクラリネット吹いてるウディ・アレンよりは世の中に一石を投じたよ。

 

2.倫理観の乏しい子供ら

問題児3人と子育てを間違えた父親

 

 ビトーの教育のせいなのか、ママのカルメラのせいなのか、子供らはちゃんと倫理的人格に育ってない。

 ソニーは大阪弁で言うところの「やんちゃ」。「家族を大事にしろ」と言われているのに情婦のアパートにしけこむ。女房のサンドラは、ソニーの女癖が悪いことに一瞬悲しい表情を見せるショットもある。すぐにカッとなり、暴力的で高圧的。これがコルレオーネ家の長男かと思う。お前長男だろ、それで家族の精神的支柱を担えるのか?子供の頃に『GF』観た時からこのソニーが好きじゃなかった。結局まんまと罠にハマって、ほらね、って結果を迎える。脇が甘い。ちなみにわたしが『GF』で一番好きじゃない場面は、ギャーギャー泣きわめく孫を抱きかかえたママが、コニーからの電話を受けて「何?何?聞こえない!何だって??」というところ。もうあのシーンはイライラする。

 このソニーにビトーが、マイケルにしたように何かを諭したり、指導する場面はない。それどころか「あいつはドンの器じゃなかった」と本音を漏らす場面がある。子育てを間違えたのを認めたね。うちの親戚にはソニーみたいなおっさんが多かった。特に長男と肩書のつく男はたいてい偉そうでわたしは好きじゃなかった。このソニーの悪い影響を受けたやつもいっぱいいた。この映画は昭和生まれの長男筋に絶対悪い影響与えとる。

 

 フレドは、大阪弁で言うところの「あかんたれ」もしくは「ぼんくら」。お父ちゃんが襲われるところに居合わせながら、ビビッてピストルを落とす。救急車呼ばずに泣き崩れる。モー・グリーンに預けられて仕込まれるものの、仕事中にウエイトレスといちゃついてモーにどつかれる。年下の弟の前で兄貴面見せようと空回りの威勢を張る。逆に説教されて、怒られる。何をやってんだよ。これぞ「ぼんくら」と呼ばずしてなんと呼ぼうか。(フレドについては他にも言いたいことがあるがそれは最初にお断りしたPARTⅡでの話になるので触れない)

 

 マイケルは大阪弁で言うところの「めんどいやつ」。パパがわざわざ手をまわして兵役を逃れるようにしてくれたのに自分から軍隊に志願するようなやつ。そりゃ家族の中で孤立するわ。要するに反抗心なのでしょう。マイケルがめんどいのは大学出のインテリで、頭が切れるというのもあるし、プライドが高そうで周囲と打ち解ける感じが無く、「気さく」「人懐っこい」という言葉の真逆の最果てにいるというのもある。シチリアに隠れ住んでいた時に、街で見かけたアポロニアに一目惚れし、父親にいきなり結婚したいと申し込む。おいおい。付き合ってるケイはどうすんのよ。帰国したらどう説明するわけ?このくだり、ケイのことを思い浮かべる場面もないし、まったく心情が分からない。一体、どういう倫理観なんだよ。で、彼女が爆死して、ジャンプカットで帰国して、で、何もなかったようにケイに会って、で、結婚したい、で、家族がほしいって・・・。このくだり、いつも見返して全く感情移入できなくなる。わたしの感性で見ると、父親のように積み重ねてきた社会との信頼関係や精神的繋がりを持たずに、地元選挙区を引き継ぐわけでしょ。この前まで学生で、軍隊にいて、父親のような人望や、人格、人脈がないわけでしょう。しかし、そこに対して苦悩するわけではない。

 

 ちなみに、妹のコニーも人を見る目が無い。カルロみたいな軟派な野郎に惚れこむし。娘も息子も問題児ばかり。一番まともなのはトム・ヘイゲン。そのトムを終盤で仕事から外すなよ。 

 

3.コッポラの演出に物申す

 

 完璧な演出ってよく言われるが、わたしはそうは思っていない。完璧じゃないから魅力的というのもあるが、ちょっとひっかかるところがやっぱりある。

 

 結婚式が長い 

 

 まず、冒頭の結婚式は長い。あと5分カットしても問題なかったと思う。ちなみに安倍元総理が存命の頃、「麻生副総裁の長男の結婚式に招かれ、自宅で盛大なパーティが開かれた。この感じどっかで観た事があるなと思ったら『GF』の冒頭とそっくりだった」とエピソードトークを披露されていたのを思い出した。

 

 ソニーがカルロをしばく場面は撮り直せ

 

 街でソニーがカルロを見つけて痛めつける場面があるが、一か所演技パンチで当たってないのにカルロがふっとぶカットがある。あれば撮り直ししないと。ああいうのにずっといちゃもんをつける人がいるから(わたし)、完璧主義というならこういうところに気をつけてほしい。

 

 アポロニアのヌードは不要

 

 まあ、マイケルに警戒心を持っていたアポロニアが、最初はテーブルの端と端に座り、もらった首飾りを身に付けるようになり、一緒に歩くようになり、やがて結婚式をあげ、その夜マイケルの前で胸をはだけるというくだり。心情遷移を映像で表現している。いやいや、コッポラが見たかっただけなんじゃないの。この場面のせいで子どもたちと一緒に鑑賞しにくい。

 

 『GF』好きな人って本当に多い。これくらい他の名作も繰り返し話題になったらもっと映画は盛り上がるのにといつもわたしは思っています。  

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