~おいしい映画~ ①<高尚>パターン
最高峰のフルコースが出てくる映画、ご当地グルメが出てくる映画、一般家庭で一般人が家庭料理を作る映画。いわゆる“料理の映画”はたくさんある。最近も何本か観たが、何となく大きく2つの部類があると気付き始めた。
1つ目は、「高尚なコース料理や希少価値の高い食材とプロ意識から物語が語られる」パターン。
2つ目は、「庶民や一般家庭の日常の中にあるごくごくありふれた“食”を題材にする」パターン。
前者はその料理、または料理を作る人自体が中心になり料理によって何かが語られることが多く、後者はあくまで料理とは別の人間ドラマがあって、それを形成する1つの要素が料理になっている気がする。なんとなく。
その2つのパターンを<高尚>パターン、<庶民>パターン、と勝手に題して、2~3本ずつほど紹介してその違いを比較してみる。
<高尚>パターン:①『ザ・メニュー』(2022)
出演:レイフ・ファインズ、アニャ・テイラー=ジョイ、ニコラス・ホルトほか
そこは、とある孤島のレストラン。
ごくごく一部のセレブや情報通しか予約を取ることができないというそのレストランで独自の倫理感とストーリーで奇抜で極上のフルコースを振る舞う超有名シェフ。
しかし、このメニューと料理の演出が少しずつ“料理”の枠を超えていく。そして、コースが進むごとに用意される“サプライズ”により、話があらぬ方向に展開し、シェフが抱える壮絶な“秘密”とその目的がベールを脱いでいく・・・。
<高尚>と題したらまずこれが浮かぶ。もうそこら辺にある島の人がやってる名物料理を出す割にやたらと安い質素な食堂、とはワケが違う。「島だから島にあるものでやってます」ではなく、「色々考えた結果、この島で、このシェフが、この料理を作って振る舞うことに意味がある、だからわざわざココなんです」という<高尚>の頂点。
出てくる料理、もはや、庶民にはまったく理解できない料理法と見た目、故に観てるこっちは味すら創造できないレベル。
これぞ<高尚>の極み。そしてその、<高尚>の極み、という点が、この映画の肝になっていて、ここまで突き詰め極めることがある意味このシェフの目論見であり、すべてになっている。
もはや「斬新で~おいしい~」とか舌鼓を打ってる場合ではない。恐るべき“料理の映画”。というか、舌鼓ってなんだ。
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<高尚>パターン:②『ラストレシピ 麒麟の舌の記憶』(2017)
出演:二宮和也、西島秀俊、宮崎あおい、綾野剛、竹野内豊ほか
1930年代の満州で、天皇の料理番が考案した幻のフルコースの再現に挑む“絶対味覚=麒麟の舌”を持つ料理人の物語。
とある日本語を話す中国人の老人の依頼で、かつて満州国で1人の料理人が心血注いで紡ぎ出したとされる世界一のフルコース料理「大日本帝国食彩全席」、このレシピを探し出し、再現する。
・・・・そのコース品目数、121。121のコース料理を作り切る、という壮大な話。文字通り“気の遠くなる”ような依頼。
ここまで書いただけで<高尚>感は尋常ではない、天皇の料理人、絶対味覚、121品目のコース。
尋常ではない人が考案した尋常ではないコースを、尋常ではない人物が再現に奮闘する。しかもそれを現在と過去の二面並走で紡ぎ出す物語。
料理の腕を極める、というか“すでに極めに極めたとされるコース料理”、もう映画の後半はこのコース料理がどんなものなのか、気になって仕方がなくなること必須。
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