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私の好きな映画

桃田享造
2023/03/03 16:34

ホラーより怖い『FALL/フォール』

海底47mから地上600mへ

 

 アメリカのサウスダコダ州のテレビ局が建てたKDLTタワーと呼ばれるテレビ塔がある。アナログ放送用が1976年、現在使用されているデジタル放送用が1998年に建設された。その高さは1999フィート、およそ609メートル。東京スカイツリーの高さが634メートルなので高さのイメージがつく。

 

 このKDLTタワーのてっぺんには航空機用の警告灯が点いている。

 今から7年前、クライマーのニック・ワグナーがたった一人でこの塔を上り、ランプを交換した。その時にワグナー自身が撮影した映像がYouTubeで公開され、再生回数は2000万回を超えた。

 

 このリアルな臨場感が映画になると考えたのだろう。斬新なサメ映画としてヒットした『海底47m』の制作陣が、今度は海底から地上600mの鉄塔の先端に舞台を置き換えて、生きた心地のしない作品を生み出した。それが『FALL/フォール』。

(c)2022 FALL MOVIE PRODUCTIONS,INC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

 監督のスコット・マンは本作の1本前に『ファイナル・スコア』というアクション映画を撮っている。超満員のサッカースタジアムの観客を人質にとったテロリスト集団にたった一人で立ち向かう、どこかで聞いたような作品。特にこのような臨場感あふれるサスペンススリラーが得意というわけではなさそう。

 

 『海底47m』は、大型のサメが群れで泳ぎ回る海で、ケージに閉じ込められたまま水深47mの海底まで落下した姉妹の決死の脱出劇。人喰いサメの恐怖、潜水病による幻覚、酸素欠乏という絶体絶命の極限状況が積みあがっていく中で繰り広げる緊迫のサスペンスが凄まじく、「どうせまたB級映画だろう」という大方の予想を上回って口コミで大ヒットした。

(C)47 DOWN LTD 2016, ALL RIGHTS RESERVED

 

 

 このスタッフなので、やはり『FALL/フォール』も容赦ない絶体絶命の危機が加算されていく。最近の映画の傾向なのか、とにかくこの手の作品では、主人公たちは考えられないくらい酷い目に合わされる。というか、この手の昔の映画が優しいものに感じてくる。

 

 スペンサー・トレイシー主演の『山』では、弟を助けるためにトレイシーが必死でロープを掴むシーンがある。握ったまま数メートル滑り落ちてロープが血に染まる、というエドワード・ドミトリク監督の演出が怖かった(が、『FALL/フォール』を観ると「それだけで済んで良かった」となる)。

 

 シルヴェスター・スタローン主演の『クリフハンガー』は言わば90年代の『FALL/フォール』にあたるような作品で、冒頭にスタローンが親友のマイケル・ルーカーの恋人を救おうとするシーンでの緊迫感も強烈だった。(が、『山』も『クリフハンガー』も緊迫シーンは数分以内堪えれば済む) 

 

 その後に作られた『バーティカル・リミット』の冒頭のロック・クライミング中の事故のシーンもはらはらするが、これは『FALL/フォール』の冒頭と同じく主人公たちの過去に何があったかを説明するだけで、本当の恐怖はこの後に始まり、そして映画の大半ずっと続くことになる。

 

緊迫時間の持続

 

 映画が始まって3分後、最初の緊迫場面が登場する。

 

 ヒロインのベッキー(グレイス・キャロライン・カリー)は愛する夫ダンと、親友のハンター(ヴァージニア・ガードナー)とロック・クライミングを楽しんでいる。特にハンターは凄腕で余裕しゃくしゃくなところを見せる。しかし、ダンがロープを固定しようと手を突っ込んだ岩穴から鳥が飛び出し、驚いたダンが宙吊りになる。

 

  この手の作品はだいたい冒頭に誰かが落下死する。それで主人公がトラウマになる。それを克服するために再びクライミングに挑む。『クリフハンガー』も『バーティカル・リミット』も同じ。『山』でもスペンサー・トレイシーは、名うてのシェルパーだったが客を死なせてしまったことが原因で仕事をやめたということだった。

 

 1年後、ダンの死から立ち直れないベッキーは、彼女を気遣う父親(ジェフリー・ディーン・モーガン)に辛く当たる。そこに旅に出ていたハンターが訪れる。ベッキーの父親がふさぎ込むベッキーを心配して呼び戻したのだ。今は使われていない高さ600メートルのB67というテレビ塔に登り、そこからダンの遺灰を撒くことを提案する。最初は断ったベッキーだったが、「生きることを恐れるな」というダンの言葉を思い出し、B67に登ることを決心する。

(c)2022 FALL MOVIE PRODUCTIONS,INC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

 ここまでが約10分。これが映画の前段で、いよいよ2人は鉄塔に挑むことになる。 

 

ヒッチコック的サスペンスのアップデート

 

 昔、サスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督が、サスペンス性を高める演出法の極意としてこのようなことを語っている。(以下、『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』より引用)

 

 「今、わたしたちがこうして話し合っているテーブルの下に時限爆弾が仕掛けられているとしよう。しかし、観客もわたしたちもそのことを知らない。わたしたちは何でもない会話をしている。と、突然ドカーンと爆弾が爆発する。観客は不意をつかれてびっくりする。これがサプライズ(不意打ち、びっくり仕掛け)だ。(中略)

 

 では、サスペンスが生まれるシチュエーションはどんなものか。観客はまずテーブルの下に爆弾がアナーキストかだれかに仕掛けられたことを知っている。爆弾は午後1時に爆発する、そしていまは1時15分前であることを観客は知らされている。(中略)

 

 これだけの設定で前と同じようにつまらない会話がたちまち生きてくる。(中略)観客にはなるべく事実を知らせておくほうがサスペンスを高めるのだよ。」 

 

 このヒッチコックの名言通り、鉄塔の頂上へ向かう途中で、わたしたち観客はいくつもの事実を見せられる。吹く風に振動する錆びた柱、はがれてぼろぼろの溶接、掴むとポキンと折れて落ちていく梯子の持ち手の部分、今にも外れそうな緩んだネジ、何かの鳥の巣の跡・・・。

 どの短いショットもこれから起きるであろう、嫌な予感の伏線なのではないかと思って観てしまう。もうすでに手には汗を握っているのだ。 

 

 映画が始まって22分後、二人は登り始める。この映画が終わるまで、あと80分。 

(c)2022 FALL MOVIE PRODUCTIONS,INC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

 ヒッチコック映画のサスペンスはせいぜい長くて5分、10分ほどだが、この映画は80分続く。それも小刻みにぞっとする場面を幾つも入れてくる。まさにヒッチコック演出のアップデート版だ。ジョセフ・ゴードン=レヴィット主演、ロバート・ゼメキス監督の『ウォーク』もクライマックスで高さ411メートルのワールドトレードセンターでの綱渡りを見せてくれるが、それよりも圧倒的に長い時間、観客は地上600mで助けを待つしかない。 

(c)2022 FALL MOVIE PRODUCTIONS,INC. ALL RIGHTS RESERVED.

 落ちるのではないかという本能的な恐怖をいかに増幅・持続させて、観客を恐怖のどん底、いや恐怖の頂点まで追い詰めるか、制作陣は実に良く理解している。こういった高いところの映像を観ると、手足の指先にざわつくような、ぞわぞわするようなウェーブの、神経の違和感がある方もいるだろう。それはもうまぎれの無い高所恐怖症の症状で、手に汗を掻くのもそう。わたしは高所恐怖症なのだろう、これまで観たどの映画よりも手に汗を掻いてしまった。こんなに手から汗が出るのかと思ったくらい。もう、これだけで『FALL/フォール』はわたしの鑑賞記録に刻みこまれた。次はどんな恐怖のシチュエーションを持ってくるか、この制作陣の次回作が心待ちだ。

 

 

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