【ネタバレ】絶対映画館に行きたくなる!「是枝監督『怪物』」に涙が止まらない(途中からネタバレあります)
さぁ、コラムとはなんだ?と
書籍を漁りながらも
「それって、あなたの感想ですよね」
になりかねませんが「お笑い熱弁」担当させていただいている
YouTuberダメ沢直樹です!
人生を変える情熱をあなたへ!
この文章を読むと
『劇場へ足を運びたくなる』
『怪物を語りたくなる』
というものになれば幸いです。
難しいのは苦手という方にこそ、
最後までお読みいただけると発見があるように書いてます。
後半の考察も他では書かれないシンプルなもの。
もう観た方にはスクロールして多少のネタバレありで語ってます。
少しでも興味がある方は最後までお付き合いください。
あらすじなどは
コラムニストの皆
さんがもう書かれておりますので
既出は以下をご参照ください。
さぁ、
世界の是枝監督作品
カンヌ映画祭で脚本賞(坂本裕二)を獲った「怪物」ですが、
途中から急に涙が止まらなくなりました。
制作初期タイトルは「なぜ」だったということから(劇場パンフレットより)
あらゆるシーンのなぜ?が解き明かされていく。
最初に映画館で予告を見たときは
「サイコ犯」を探すミステリーかと思い、
見始めたときはやっぱりそうか、という展開。
しかし、そこから先の幾重にも深みに入っていく構造と
気づいた時には涙が止まらない美しい人間の行為。
予告の印象からもう仕掛けは始まっているのだ。
劇場までのコスト(時間やお金)をかけているからこそ、
「みてやろう」という闘志がわくもの。
ずっと映画館から遠ざかっていた人は、今こそ、
やまほど映像作品をみている人には、挑発的に世界の評価を確かめてみて。
坂本龍一さんの最後の劇判(げきばん)となった作品を
世界に通じる日本映画を
ぜひ映画館で見届けよう!
(これから観る人はロケ地「長野県諏訪市」というこんな綺麗な場所があるんだ、と思いながら見るとより楽しい)
とりあえず
子役の二人「黒川想矢(くろかわ そうや)柊木陽太(ひいらぎ ひなた)」の演技やセリフが子供らしい文脈の生々しいもので
そのリアリティと美しさ、瞳のきらめき、が「ドはまり」している。
全員の演技が素晴らしいけれど書くと長いので割愛します。
難解というよりも力強いメッセージで
隠された部分がわかれば必ず泣ける、という映画なので
ここから先は少し観た人にしかわからないように少しずつネタバレしていくので
観てない人は観たくなったらこのページを閉じましょう。
結局、予告の「怪物だーれだ」にも明確な意味があり、
予告自体の印象でミスリードするように作られている。
その「想像力」が怪物の大きな力になっている。
注意深く見ていればすぐに犯人であろう
柊木陽太演じる「星川依里(ほしかわ より)」もミスリードさせられる。駄菓子で作った楽器を持っているのですぐにわかる。
結局犯人「怪物」なんていないのがまずポイント。
怪物は「特定の視点から生まれる想像力」が作り出す。
ひらたく言うと社会の悪意なのだけれど、
人に愛がないわけではない。
それがラストシーンで明確に描かれる。
ラストシーンがどうなったのか?という問いは案外関係ない。
パンフレットに脚本をあえて
「後半をどんどん希薄にした(事実関係が進まず抽象的になるという意味だろう)」と書いているのはそういう意味で抽象的にメッセージを感じて欲しいのがテーマだからだ。
タイトルが「怪物」なのがとにかく絶妙で、
まさに「ネタバレ」や「結論」「結果」だけを知りたがる「人の想像力」に
罠を仕掛けているよう。
田中裕子(たなか ゆうこ)さん演じる
校長の重要な台詞に
「誰かにしか手に入らないものは幸せとは言わない。誰でも手に入るものを幸せという」
私はこれを鑑賞中「勇気」だと思えた
クラスの中、友達だがいじめられっ子であるヨリの真っすぐな瞳から眼をそらしたミナト。
そこになかったのは勇気。
嘘をつかざるを得ない社会、人生に足りないのも勇気。
安藤サクラさん演じる「麦野早織(むぎの さおり )」だけは
始めに勇気を持っていた。
私の場合、ラストシーンの結末をバッドエンドと結びつける発想がなかった。
(これも本当は重要ではない。大きな展開の部分より圧倒的にひきつけられるものがあるからだ。)
ラスト付近で大雨の中、立ち尽くす田中裕子さん演じる校長が映されたときに、
なぜ前半で「スーパーの中で子供に足をひっかける悪意ある行為」をしていたのか、
を思い返したとき、
あぁ、注意力を欠いて事故に会うんじゃない(校長は子供を駐車場の事故で亡くしている)、という意味と繋げられたとき「なぜ?」は解決してもう涙と美しさが止まらなかった。
と、いうことで私も察しが良い方ではないので、急に観ているときに気が付いて泣き始めたりする。
だから劇場で浴びるように、
感情や予測を揺さぶられながらこの映画は鑑賞するのが良い。
ある意味、期待していたものと違ってよいのだ。
怪物はいない、の話に戻ると
結局この映画冒頭の「火事」も登場人物の放火ではない可能性のほうが高い。
テーマが犯人探しに主眼がないからだ。
事実としては
- 「トラウマになるような暴言を子供にはいたのは親父(息子が男子に恋愛することを病気だと思う腹いせ)」(ヨリの父)
- 「子供を事故で亡くしたが本当は罪を夫になすりつけた(学校を守らなければいけないという思いと夫の優しさ)。学校を守るということで不祥事を隠蔽する。」(校長)
大部分は他人の想像力からくる噂や、誤解で構成されている。
(ガールズバーに行った行かないの話も怪しい)
なのでラストシーンが死後というのは
解釈としては自由だけれど、事実ではない。
怪物の鳴き声のように聞こえる管楽器の音。
これも「怪物の鳴き声」と台詞で誰も言わない。この余白も絶妙。
なおパンフレットに
本作の脚本家「坂本裕二」さんがと「市川南(いちかわ みなみ 映画プロデューサー)」さんとの会話
「スリー・ビルボード」(2017)のような脚本書ける?
から始まった本作への流れがあるので
こうしてスリー・ビルボードを観たり、鑑賞が広がっていくのが楽しい。
それにしても「東京03」の角ちゃんこと「角田晃広」さんがすごいところに使われている。
謝罪の演技の強弱の適切にコント用とよそ行きで調節していると思うと笑えてしまう。