【ネタバレ解説】『怪物』とは誰なのか。その正体を考察してみる。
こんにちは。
「映画に見つける、おしゃれとメッセージ〜映えと深読みと、ひとつまみの恐怖。〜』
をテーマに、"おしゃれ映画"コラムを担当しているSéa(せあ)です。
今回は、6月2日(金)公開の最新日本映画『怪物』について紹介。冒頭の概要解説以外はネタバレを含んで"怪物とは誰なのか"を考察していきたいと思いますので、観ていない方はまず映画本編を観ていただくのが一番だとは思います。ぜひ映画館へ足を運んでください!
なお、この記事と同じ内容をYouTubeチャンネル【アルテミシネマ】にも上げていますので、活字より動画で楽しみたい方は動画もご活用ください!
『怪物』って、どんな映画?
まず『怪物』とはどんな作品なのかお話したいと思います。
あらすじとしては、舞台は大きな湖のある郊外の町。息子に愛を注ぐシングルマザーや、若手の学校教師、そして子どもたちの日常が続いていましたが、ある時シングルマザーの早織は、息子の湊が学校で酷い目に遭っているのではないかと思い始め、そこからは登場人物皆の主張が食い違う、様々な人々を巻き込んだ大事が展開していくことになります。
今作の監督は『万引き家族』でカンヌ国際映画祭最高賞であるパルムドールを受賞した是枝裕和監督。脚本家は『花束みたいな恋をした』などの坂元裕二。作曲は日本人初のアカデミー作曲賞受賞者であり、今年3月に亡くなった坂本龍一という豪華さ。今作の物語は多くの人々の心を掴み、カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞しました。キャストも安藤サクラ、永山瑛太(瑛太)、田中裕子、高畑充希、中村獅童など豪華実力派ばかり。メインの2人の子役も、素晴らしい演技を残しています。
観ていない人へのネタバレ厳禁の重厚な物語で、メッセージ性にも富み、美しい撮影と音楽も伴って心に残る、2023年代表級の傑作となっています。
ということでここからは、観た人と分かち合いたいお話。結局"怪物"は誰・または何なのか。今作が何を描いたのか、それについて語っていきたいと思います。ネタバレを含みますので、観ていない方はぜひ、観てから戻ってきていただければ幸いです。
怪物だーれだ?
では、"怪物"の正体が誰なのか、一人一人の登場人物を候補として見ていきます。
【怪物候補①:保利先生(永山瑛太)】
まずは保利先生。生徒への暴力や暴言の疑惑を見ると、先生は怪物のように見えました。しかし蓋を開けて見れば、彼の罪は全て勘違いと嘘によるもの。確かに謝罪の機会にアメを舐めるなど庇いきれない部分や性格の難はあるかもしれませんが、社会的にボコボコにされるほどの悪人でしょうか。
【怪物候補②:湊(黒川想矢)】
では保利先生が報告したいじめの犯人(?)、湊はどうでしょうか。彼は確かに嘘をつきました。先生の人生が狂った原因の一つと言えるでしょう。でも彼がついた嘘は、いじめや仲間はずれを恐れる子供の感情からのもの。全ての罪をミナトになすりつけて悪人だと言うことはできないと思います。彼は掘れば掘るほど心優しい少年ですしね。
では、湊が自分のアイデンティティを認められない原因こそが怪物でしょうか。
【怪物候補③:湊の母・早織(安藤サクラ)】
次は湊のお母さん。お母さんはテレビの"オネエタレント"で笑い、男女の結婚を"普通"と呼ぶようなステレオタイプに染まった人物です。それは湊のアイデンティティを否定する考えであり、湊が嘘をつく大きな原因の一つです。でもそれが怪物というほどの悪かというと、そうは言えないと思います。息子思いで、1人であれだけ愛情を注ぐ真面目な人物を悪人とは言いにくいですね。
【怪物候補④:星川依里(柊木陽太)】
では、劇中でも"怪物"呼ばわりされる星川依里が怪物でしょうか。依里は放火の犯人のように見える描写もあり、とんでもない事をしている可能性があります。しかし彼は、父親から出来損ない呼ばわりされ暴力を振るわれ、常日頃からいじめに遭っている少年。彼に問題があるとしたら、その問題の原因も数えきれないほどありますよね。
【怪物候補⑤:いじめっ子達】
では、湊が自分の意思にそぐわない行動をしてしまう原因であり、依里を苦しめ続けているいじめっ子達について考えてみます。いじめっ子達には相当腹が立つし、小さな怪物といえばそうかもしれません。しかしこの映画が描く主題の"怪物"がいじめっ子か?というとそれは疑問があります。この映画が描いたものとは、"見えているものが全てではない"ということ。いじめっ子達がああいう風に育っているのも、家庭環境や教育に問題があるのかもしれません。
【怪物候補⑥:星川依里の父(中村獅童)】
依里の父親はどうでしょうか。個人的に、怪物に一番近い人間性は持っている印象はあります。酒浸りで、マウント取りで、子供にDVを振るい、ジェンダーマイノリティを病気呼ばわりする。正直、最悪の印象です。でも先ほども書いた通り、この映画が描いたものとは、"見えているものが全てではない"こと。そこまで詳しい描写がされていない依里の父親に過去何があったのかは明確に分からないのです。もしかしたら立場とお金が全てな親に偏った教育を受けたかもしれない。妻にひどい捨てられ方をして病んだ結果が酒浸りなのかもしれない。一番怪物に見えた彼こそ、今作で一番描写が少ない人物な時点で、彼を怪物と断定してしまったら、それはこの映画が描いた"人には見えない側面がある"というメッセージに真っ向から反対する考え方ではないでしょうか。
【怪物候補⑦:学校の大人達】
では最後に学校の大人達はどうでしょうか。テンプレのような言葉で誤魔化し、事実も分からず保利先生を生贄にしてしまった罪はどう考えても重いでしょう。ただ、罪が重いから悪人、怪物、とは簡単に呼べないと思います。校長先生(田中裕子)も庇いきれない対応でしたが、彼女は心を相当追い詰められていたし、"誰かにしか手に入らないものを幸せとは言わない。誰にでも手に入るものを幸せと言うの"という格言も残す、素はかなりの人格者であるはずなのです。
周りの先生達も、作品に描かれきっていない人物。それぞれの立ち振る舞いにも背景があるかもしれない人々を、あの程度の描きで悪人・怪物呼ばわりはできません。
全員を語ってみましたが、結局この中に本当の怪物はいたでしょうか。個人的には、怪物は一人一人を指していえる言葉ではないように思います。強いて言うなれば、"全員が怪物、全員が人間"とは言えるかもしれません。
個人的な持論
私としての結論は、怪物は【思い込みという呪い】だと思います。
今作でも分かる通り、人は嘘をつきます。人々は自分に見えないところでも常に動いていて、自分が見る人の一面なんて、ほんの僅かな断片にすぎません。自分が見たもの、噂やメディアで聞いたものを鵜呑みにしたり拡張したりして、勝手な事実を作り上げてしまう人々が、悲劇や不条理を生むのです。
思い込みという話はそこ以外にも繋がります。今作に何度も出てくる、性別へのステレオタイプも、ただの思い込みでしかありません。"男は運動を頑張らなきゃいけない"。"男が花に詳しいとモテない"。"同性を好きになるのは異常"。それは、多数派による勝手なイメージが言い伝えられてきただけの思い込み。それをさも当然のように子供に教育してしまうのは、もはや呪いでしかありません。
【思い込みを真実と誤認してしまう人々の考え方】【それによるステレオタイプが蔓延した社会】そんな"思い込みの呪い"こそが、"怪物"なのではないでしょうか。
結局、誰かの事なんて、その本人しか分かりません。口では何とでも言えるし、周りからはどうとでも取れる、そんな他人のことを簡単にジャッジして、馬鹿にしたり、批判したり、矯正したり、そんなことばかりのこの世界。今作が少しでも多くの人々から、"思い込みの呪い"をなくしてくれることを願うと同時に、自分もまた、考え方に気をつけようと思うばかりです。
ということで今回はここまで!みなさんもぜひ、ご自分の考えをコメントしてくださいね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示こんにちは。
私も観てきました。
とても引き込まれました。見ごたえのある作品でしたね。
結局、怪物は一人ひとりの心の中に住んでいるということかと思いました。
嘘をつく怪物、いじめる怪物、自分のことしか考えられない怪物、わが子を理解できない怪物などなど。。
そして、人や物事には、いろいろな側面があることを改めて考えさせられました。
俳優陣の演技は言うまでもないですが、子役ちゃんの二人の演技はあっぱれでしたね。
ラストの解釈で、一緒に見に行った息子と語り合いました。
誰かと語り合いたくなる映画でした。
私は是枝作品で一番好きかもです。