暗闇で真実を見る!
皆さんこんにちは♬
「ポップコーン片手に🍿」 かこです
最近コラムを書いてないなぁ、と思っていたら前回の投稿からまだ10日くらいしか間隔が空いていませんでした、という独り言から始まった今回のコラム。
紹介する映画はこちらです
韓国時代劇映画『梟-フクロウ-』
とても面白かった‼︎
映画のポイントを含めて、主人公ギョンスに
フォーカスして執筆しました。少しネタバレをしているので鑑賞予定のかたはご注意下さい。
監督/アン・テジン
主演/リュ・ジュンヨル
ユ・へジン
-あらすじ-
盲目の天才鍼医ギョンスは病の弟を救うため、
誰にも言えない秘密を抱えながら宮廷で働いている。ある夜、ギョンスは王の子の死を“目撃”してしまったことで、おぞましい真実に直面する事態に。追われる身となった彼は、朝日が昇るまでという限られた時間のなか、謎を暴くため闇を駆ける
◆ 見えないふり
盲目の天才鍼灸師ジョンスは、病の弟を救うため宮廷の鍼医として働くことになる。
人々にとって盲人は見えない方が面白いと自ら発言するが、盲目は宮廷にとって都合がよい事があったのだ。果たしてその真相は。
◆ 国王と世子
囚われの身だった清から8年振りに解放された世子と妻。帰還後に世子が見たものは既に滅びた明に今も仕える朝鮮と、一歩先を行く清との差。清を嫌う父である国王はその事実を受け入れるのか。
◆ 光と暗闇の演出
ジョンスの視覚を表現する光と暗闇。事実を見るためには暗闇が必要で、光が差すと見えなくなる。暗闇で真実を見る目は梟そのもので、針を刺す音も聞こえるほど彼の感覚が研ぎ澄まされている。
◆ すべてを見た
弟の命を守るためには自分が生き延びる必要がある!何が起きてもその信念だけは曲げなかったギョンス。暗闇でも見えない振りをする事が当然だった彼の人生は変わりはじめ、一気に光が差していく。
人は見てはいけないものを見てしまったとき、
どのような心理が働くのか。
見たままを証言するべきか、状況によっては何も語るべきではない、ということもあるが、後者の場合はおそらく罪悪感に苛まれる。
映画『梟ーフクロウー』は、仁祖実録に記された歴史上のミステリーを題材に、アン・テジン監督が脚本を手掛け映画化。
人間が持つ複雑な心理や、権力を前にしたとき真実を証明することの難しさを表現している。
主人公は天才鍼灸師で盲目のギョンス。
病を抱える弟の薬代を稼ぐため、鍼医として宮廷に入ることに成功、1ヶ月ほどで家に帰れる予定だったが恐ろしい事件に巻き込まれてしまう。 唯一の目撃者となったギョンスには、実はある重大な秘密があった。
「盲人が目撃したことを一体誰が信じるのか」
とセリフにもあるように、真実を証言しても自分と弟はもちろん、家族の命の保証もない。
自己防衛が働き、とっさに宮廷側に有利となる嘘の証言をしてしまうギョンス。
ここからいくつもの“都合の良い真実”が生まれ、彼は完全に目が見えない、という宮廷側の思い込みが更にギョンスを追い詰めていくのだった。
目の前でおきた真実を盲目のギョンスが証明する為には客観的証拠が必要になってくる。
そこで誰もが納得する証拠を得るためにギョンスは自ら動きだす。すべては生き残るため、そして自分がついた嘘のせいで犠牲になった人のために…。タイムリミットは夜が明けるまで!物語はスピード感が増し二転三転していく。
特に暗闇のシーンは、ギョンスの焦る気持ちと気迫が入り混じり、とてもスリルがある。
夜が明け、人々が集まる宮廷に“わたしは全てを見ました”と証言するギョンスがいた。
その姿は以前のような、見て見ぬ振りをして生きてきた弱気なギョンスではなかった。
その堂々とした様子は、宮廷の使用人たちの倫理観をも変えていく。
歯向かえない絶対的権力や様々な裏切りがあったとしても、真実を見ようとする人々の気持ちは権力者たちを滅ぼしていくのだった。権力者にとっては針でトドメを刺された感じだろう。
"見える権力者"と"見えないギョンス"では真実の数が違うことも興味深い。
100回以上修正したシーンもあるという、監督が3年掛けて書き上げた脚本は秀逸!緊迫した状況のなかでも、ユーモアを忘れず取り入れる所も余裕を感じさせる。
ギョンスの感覚を体感するために、部屋を暗くしての鑑賞をお勧めしたい。
読んで頂きありがとうこざいました😊✨
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投稿を表示昨日見たばかりで、かこさんのコラム読ませていただいたら、ほんと、闇に光がさしたように、物語や登場人物の感情がクリアになりました!
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