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私の好きな映画

椿五十郎 バッジ画像
2024/05/17 15:52

ひょっとして、もしかするとここ数年で最高傑作なホラーかも??『オーメン・ザ・ファースト』

みなさん、こんにちは

椿です。

 

映画はとっくの前に観て、その作品のことをコラムにしたためたい!その熱意はあるのですが、様々な事情で書いてないうちに旬を過ぎてしまう・・・。

本当はそれではいけないのでしょうが、今回、そんな状況にはまってしまいました。

さあ、そんな映画のことを書くぞ!!と思い立った矢先、東京では劇場公開が終わってしまうという憂き目に・・。

 

そう、今回ご紹介したい作品は、こちら!

 

『オーメン・ザ・ファースト』

(c)2024 20th Century Studios. All Rights Reserved.

です。

 

本作は、1976年に制作され、全世界の映画館を席捲し、観客を恐怖のどん底に叩き込んだ伝説のオカルトホラー『オーメン』の前日譚を描いた作品となっております。(『オーメン』については拙文~【ネタバレ】これは、不気味な“前兆”か!? 伝説のシリーズ最新作の公開前に振り返る~『オーメン』トリロジー①~をお読みいただけますと幸いです。)

 

実は、椿、自分でも嫌だなぁ、と思うほどに、映画に対して保守的で、前日譚(ファースト、ビギニングの類)やリメイク、リブートと言った作品を色眼鏡で見てしまう習性があります。リメイクやリブートだと(もともとある原作を、違う監督が映画化するというのは別に良いのです。例えば『砂の惑星』とか・・)でも、伝説的な映画オリジナルの作品をリメイクやリブートして新たな映画を作るというのが、正直理解に苦しんでしまうのです。

「そんな肩肘張ってみることないよ!映画なんだから!」と思うのですが、何か、伝説の作品を下手に切り刻まれてるような気になってしまったり、元ネタ映画の伝説に頼らずに、自分の作品として勝負しなさいよ!と思ってしまうこと度々。

また、ビギニングとかファーストといった前日譚やスピンオフといった作品は、元ネタの関係者が介在しているのならいざ知らず、全然関係のない、例えば、若いころその伝説の映画を見てファンになった、という人が監督して、前日譚を後付けでうまくくっつけてしまったり・・。そりゃ話題性も含めてそれにのった方が安易に物語も作りやすくなるし、集客も見込める。

果たして、そういった映画作りをしている人達に伝説の元ネタ映画への愛やリスペクトがあるのか?というのが気になってしまうのです。

もちろん、そういう思いを抱いていても、「見に行かない」という選択肢はなくて、ついつい劇場へ足を運んでしまいます。
それは、元ネタ映画へのリスペクトを感じたいから、であり、元ネタ作品が大好きであり、結局のところ、その「元ネタ映画」のネームバリューに釣られて映画館に向かってしまうのがほとんど

で、個人的には「だからやらなきゃよかったのに・・・」とか「マジでやってる??」とか「〇〇のタイトルに頼らないで別の映画として作ったら面白かったのに・・」とか思っちゃうのです。

時折『スターウォーズ/ローグワン』のような超傑作が生まれることもあるので、一概には言えないのですけれども・・・。

さてさて、そんな老害な、自称映画好きの椿が見た『オーメン・ザ・ファースト』・・・

本作を見る数日前、六本木で行われた元祖76年版『オーメン』の劇場試写の招待をいただき、鑑賞、あらためてこの名作を「劇場で観る」圧倒的な素晴らしさ、すごさを体験してしまった身の椿が見た、新作オーメンはどうだったのか・・・その感想は・・・

 

はぁ(*´Д`)ハァ

ダメだよ、オメェ・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、、、

この作品を色眼鏡で臨んだ自分を大いに反省したのでありますっ!!


 いやっ、これは、ひょっとしてリブートだ、リメイクだ、ビギニングだ、映画界の中の『スターウォーズ/ローグワン』『マッドマックス/怒りのデスロード』級の傑作なのではないか!?と思わずウナッターのでありますっ!

(c)2024 20th Century Studios. All Rights Reserved.

【あらすじ】

 

1971年ローマ。世間では戦争や環境破壊、政治不信などから、既存の価値観や正義への反感が広がり、その権威のひとつでもあるキリスト教もその社会状況に巻き込まれていた。ローマでも状況は変わらない中、この地で修道女となるべく訪れたアメリカ女性マーガレット。幼少時にローレンス司祭の薫陶を受け修道女を志した彼女は、いまや枢機卿となった彼の庇護のもと、ローマ教会に篤い歓迎を受ける。

教会内の孤児院に派遣されたマーガレットは奇行から閉じ込められていたカルリータという少女と出会い、彼女を気にかけるようになる。

その日以来、マーガレットの周辺では、これまで彼女が体験したことのないような事柄が起きる。修道女を目指し、清廉潔白に過ごしてきた彼女が、同じ修道女仲間に誘われナイトクラブに出向き、酒に酔い、とある男性とおそらくみだらな行為をしてしまったり(彼女にはその間の記憶がまったく飛んでいる)、修道院内でこの世のものとは思えないモノを産み落とす出産場面に出くわしたり、果ては、「カルリータ!あなたのためよ」と叫びながら同僚の修道女が投身焼身自殺。
と、彼女のもとにブレナンという男が現れ「カルリータに注意しろ」と忠告する。彼は、カルリータが悪魔の子であると訴え、教会から破門された元神父であった。ブレナンはカルリータの出生の秘密を知りたいがため、マーガレットに近づき彼女の出生記録を調べてくれと依頼する。
始めは胡散臭い男性だと思っていたマーガレットだったが、自身やカルリータの周辺で起きる不可思議な事象に不安を抱くようになり、ブレナンに協力する。

調べてゆくうち、カルリータに纏わる恐ろしい事実が次々発覚。その間、以前ナイトクラブであって一夜を共にしたであろう男性と再会するも、彼は彼女を恐れて突然逃げ出すが、車にはねられ轢死。精神状態もボロボロのマーガレットを更に追い詰めるような二重三重の恐ろしい秘密が暴かれてゆく・・・。

 

1970年代オカルト映画臭とリスペクト

 

1960年代後半から70年代にかけ、ホラー映画界で一大ブームを巻き起こした「オカルト映画」。本来「超常現象」や「神学」など全般を現す「オカルト」という言葉ですが、「オカルト映画」ブームにより「オカルト」は悪魔や悪魔崇拝を現す言葉と理解されるようになりました。

この年代は悪化する社会不安からか、反キリスト、悪魔崇拝が注目されるようになり、映画界でもそれらが怖い、といったテーマの作品が量産されます。

その中でも『オーメン』三部作は、悪魔崇拝者達の怖さと悪魔の力とも呼ぶべき超常現象の怖さをミックスし、それを悪魔対神の壮絶な対決としてホラー的アクションを盛り込み、後のスプラッターブームへの足掛かりとなった作品なのです。つまり、『オーメン』は76年以前のオカルト作品から影響を受け、76年以降に作られた、残虐性、アクション性を増したオカルト映画作品へ影響を与えた、そういう意味でも、ホラー映画を超えた「映画そのもの」として重要な立ち位置な作品なわけです。

そんな作品を冠した本作、この70年代「オカルト映画」を愛でている御仁ならば唸ること間違いない、その時代の名作へのリスペクトがかなり盛り込まれているのです。

 

悪魔崇拝者たちが、悪魔の子を腹ませる企ては『ローズマリーの赤ちゃん』、幻想的さや艶めさは『赤い影』、謎解きは『サスペリア』といった具合、そのほか『エクソシスト3』『デモンズ3』等70年代以降のホラー作品との類似性も感じられます。
これは、監督のアルカシャ・スティーヴンソンのホラー映画愛から来るものであると思います。この辺、たしかに、過去の名作を見て育った世代が、どうしても盛り込みたくなる「過去作のリスペクト」であり、違う映画への既視感を抱かせてしまい、失敗することがよくあります。
本作をご覧になった人の中にも「これ、オーメン?」「もう、ほかの作品でやりつくしたエピソードだし」といった評価を下しているのを、まま見ます。
しかし、スティーヴンソンは、過去の名作エピソードを散りばめつつ、急速に、ぎゅぅっっと、『オーメン』の世界観にこれらをまとめ上げてしまうのです。

そして、最後には「うん、確かにこれは『オーメン』だわっ」とうならせてしまうのです。

(c)2024 20th Century Studios. All Rights Reserved.

本作は「怖い」のか?

 

こう問われると、「怖い」を楽しむ作品なのかといわれると、少々微妙ではあります。
と、いうのも、本作は今流行りの「ジャンプスケア」(びっくらかし)的な要素はほとんどなく、グロシーンもほぼありませんきわめて真面目に作られた、悪魔(ダミアン)の出生物語をつづった作品です。
またこれも、昨今のホラーに流行りの「つまるところ、一番怖いのは人間」的な感じや精神的・生理的に不安にさせるような映像や作風の作品でもなく、胸糞系でもなく、いちいち難しい考察が必要な不条理系映画でもありません

またJホラーにある、おどろおどろしさや呪いの恐怖な要素でもない。

まっこう、神というものに反旗を翻し、自分達の権威を保持しようと企む者達との闘争の始まりを描いた、スペクタクルでもあり、サスペンスでもあるホラー映画と言えましょう。

「映画」として、ドキドキワクワクできて、しまいには、うぁっ!そうくるか!!という「楽しみ」を提供してくれる作品なのです。これこそまさに、70年代オカルト映画にて描かれた悪魔崇拝者達との対決の物語を、難しいこと考えさせることなく、面白く見せてくれる、あの時の楽しさを十分に味合わせてくれるのです。

宗教観の違いもあり、日本人には「悪魔」という存在、その怖さを理解するのはなかなか難しいです。私も正直わかりません。幽霊を怖いと思う感情と似てるのかな?とも思うのですが、以前、知り合いのイタリア人と「怖い話」について語り合ったとき「お前は「幽霊」なんてもの怖がってるのか?」と笑われたので「じゃぁ、あんたは怖いものは無いのか?」と聞いたら「そりゃ幽霊より悪魔だよ」と返ってきた来た時には反対にこちらが笑ってしまいました。「悪魔なんて映画の世界の話だ」というと、とにかくあちらは色々と反証してきましたが、お互いの理解点を見出すことは難しかったです。

「悪魔」というものの怖さとは、既存の権威や正義感・価値観を破壊し、反社会的・反道徳的なものを良しとし、己の欲望を解放することのできる世界を先導して作ることのできる存在のことなのかな、椿は漠然と思っています。そういうそれを「映画的な恐怖」として表現するのはなかなか難しいので、グロ描写等のセンシティヴな表現を使ったり、ジャンプスケアなびっくらかし、嫌ぁな気分になるような後味の悪い表現で刺激的に走っているのが、昨今のホラー映画なのではないか?そう思うのです。もちろん、そういう映画も大好きなのですけども・・。

 

手堅い演出・出演者

 

本作の監督・脚本はアルカシャ・スティーヴンソン。本作が長編映画デビューの女流監督。ネトフリなどのドラマで監督を務めていた経験を見出されての起用とのこと。ファンの間では、(これはあくまで偏見なのですが)長編を作ったことのない監督が、しかも、『オーメン』という骨太のホラー映画の監督を女性がやる?ということに懐疑的に見る向きもありました。
しかし、彼女の演出はそんな懐疑論を吹き飛ばす、非常に骨太で手堅いもので、ファンの期待に大いに応えたのです。謎を追ってゆくにしたがって、だんだん主人公に危機が迫る様、そして暴かれてゆくごとに募ってゆく恐怖。こういったサスペンス的要素は、今の時代、男性女性に関わらずスキルと才能の人物であれば問題なく撮れますし、そこへ来て、主人公の女性が、体験するには恐怖を感じるような女性視点からの悪魔的な嫌悪感のようなものを丁寧に表現。このあたりは逆に男性監督には難しいのではないかな?とも思ってしまうのです。
話がそれますが、『スターウォーズ』シリーズの映画化について、長編映画監督歴の浅い女性監督が任命されており、(彼女らが特にポリコレ的発言を強調していることからも)ファンからは相当に懸念の声があがっているようですが、この『オーメン・ザ・ファースト』の例からすれば、それは杞憂に過ぎないのではないかな、とも思います。

(c)2024 20th Century Studios. All Rights Reserved.

主人公のマーガレットを演じるのはネル・タイガー・フリー。本作の魅力は、彼女の芝居と、清純さと妖艶さを併せ持った、女としての魅力に寄るところがかなり大きいです。聖衣に身を包んでいる彼女は心から清純で、神に仕えるに相応しい女性であり、他方、仲間の誘いに乗り、夜の街に繰り出してしまう彼女は、聖衣を脱ぎ捨て、神のしがらみから自身を解放し、欲の世界へ身を堕としてゆく妖艶な女性へ変わってゆく姿がなんとも艶めかし。そして、悪魔崇拝者達の恐ろしい陰謀に気づきその陰謀と対峙する、まるで母の強さをもった芯の強い女性、そして本当に恐ろしい事実を知った時の絶望・・。様々な顔をもったこの役を見事に演じ切った彼女。これからの活躍が期待されます。

脇を固めるのはブレナン神父を演じる、ラルフ・アイネソン(『ハリー・ポッター』シリーズなど)やローレンス枢機卿のビル・ナイ(『生きる LIVING』)、ハリス神父のチャールズ・ダンス(『ゴジラ キングオブモンスターズ』)などの個性的で的確な芝居のイギリス人俳優が起用され、76年『オーメン』の気品の高さを彷彿とさせます。

(c)2024 20th Century Studios. All Rights Reserved.

やっぱり『オーメン」は音楽

 

本作の音楽を作曲したのはマーク・コーヴェン。これまで『ブラック・フォン』『バイオハザード/ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』等の話題作にスコアを提供してきました。今作では映画の作風ということもあり、不気味な効果音とでもいえるような、メロディラインを際立たせるよりも場面の心理を強調させるような、見るものの不安を煽るような曲でこの作品の持つ不穏な雰囲気を醸し出しています。それは、ダリオ・アルジェント監督作品におけるプログレシップバンド ゴブリンの仕事を思い起こさせるようです。
そして、ここぞ!!という場面に元祖『オーメン』の主題曲「Ave Satani」を高らかに響かせ観客の期待に応えています。不気味な悪魔賛歌の合唱が鳴り響くと、いやがうえにもオーメンの世界へとぶち込まされます。50年近くたっても全く色あせることのないジェリー・ゴールドスミスの音楽。
『ゴジラ-1.0』で鳴り響くとアガる伊福部ゴジラ音楽と全く同じ効果を、本作での旧作音楽のすごさを感じ取っていただけると思います。

 

不評だった「モザイク」

 

本作では、とある場面で、画面をでかでかと覆うように「モザイク」処理が施されます。このモザイクは、おそらく女性の生殖器をアップでとらえたものになるからだと思います。この処理が日本で行われたものなのか、実際のアメリカ公開時に施されたものなのか、勉強不足で分からないのですが、本作がアメリカで公開するにあたり、向こうでポルノ映画として扱われるレーティング「NC-17」が付されたそうです。理由は、「女性の生殖器を強調した表現だから」
そのシーンに人一倍意義をもちこだわっていたスティーヴンソン監督は非常にショックを受け、当局に粘り強くかけあい、映像を処理して、なんとか「R指定」にした、という経緯があります。
そのようなわけで、あの全体を覆ってしまうようなモザイク処理が、R指定獲得のための処理だったのか、でも、あのシーンにこだわりを持っていた監督が、あそこまで全部を隠してしまうようなモザイク処理をしたのかなぁ?と思うと、もしかするとあれは日本側の処理だったのか・・?もしそうだとすると、作品のキモになる場面だけに、疑問の残るものですね・・。

 

今後の展開

 

正直言うと、本作と元祖のつながりについて、整合性が合わない場面もいくつか見受けられるのです。
例えば、ブレナン神父の存在。本作ではラルフ・アイネソン、旧作ではパトリック・トラウトン。二人ともイギリスの性格俳優で存在感ありあり。しかも雰囲気のよく似た俳優を起用したな、と、そのキャスティングの見事さにも舌をまくのです。
が、旧作ではブレナン神父は、ダミアンの出産に立ち会ったことになっているし、666という数字の痣がブレナン神父にもあった。つまり、ブレナンは悪魔の誕生に加担したものの改心し、ダミアンを養子として引き取ったソーンに警告していた、ということになっていましたが、本作では出産に立ち会っていないし、初めから、悪魔誕生を企てている一味とは一線を画している。

このあたりの旧作と合わない整合性や疑問点を、もしかすると、次回作を用意し、その辺で伏線回収するのではないか?そんな期待を持たせる映画の終わり方でもありました。

(c)2024 20th Century Studios. All Rights Reserved.

椿の、内容の薄いのに長い、おまけに遅筆なため、本作を、劇場公開に間に合うように紹介できなかったことが本当に悔やまれます。

 

元祖『オーメン』劇場公開で見たとき感じたのですが、ほぼ無音、犬の呼吸と、薄いコーラスだけの場面というのがあるのですが、ここ、劇場全体が水を打ったように静かになり、息をのめばその音が聞こえてしまいそうなくらいの緊張感を味わったのですが(これぞ映画館体験!!)、『オーメン・ザ・ファースト』でも、そのような感覚を味わえる場面が見られました。これは、劇場という空間でしか体験できないもので、それをここでお伝えすることができなかったこと、本当に申し訳ありません。

 

もし、まだ公開されている劇場がありましたら、一度是非足を運ばれてみてください。

 

本作、私だけでなく、ホラー賢者な方々の話を聞くにつけ「久々のホラー映画の快作!」と、実に評価が高い作品です。今後、円盤や配信で見る機会ができると思いますので、ホラー苦手な人も十分鑑賞に堪えられる作品ですので、ご覧いただきたいです!

 

 

 

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