
『Anora アノーラ』を観て思った、あのオペラのこと
皆さん、こんにちは!
椿です!
観てきました!
第97回アカデミー賞受賞作!
『Anora アノーラ』

いやぁ、正直、アカデミー賞を受賞した、といっても、たぶん自分は触れていなかったタイプの作品だった、、、のですが、、
① 巷の評判がすこぶる良い
② 敬愛する映画監督の藤井秀剛さんをして「神」と言わしめた作品
③ シネマニストのBlack Cherryさんの記事を読んで→Black Cherryさんの記事はこちらをクリック
俄然興味が沸き、劇場へと向かいました
正直、アカデミー賞のイメージが、大作志向の古臭いイメージしか持ち得ていない椿は、映画というものが、アカデミー賞というものが時代に即した新たな歩みを進めていることについてゆけていないために、「そっかぁ、これがアカデミー賞かぁ」という感想を抱いてしまいました。あっ、もちろん、作品に疑問を持ったのではなく、アカデミー賞の基準というのを古臭く捉えていたので、もっと大仰な作品が受賞するのだとばかり思っていました。スケールがでかい、とか、大スターが出てる、とか・・・
しかし、これも日本アカデミー賞作品賞『侍タイムスリッパー』と同じく、インディーズの映画と聞き驚きを隠せませんでした。勝手に金満イメージを抱いていたアカデミー賞でしたが、こういった小粒できらりと光る、しかもインディーズの作品に光を当てるとは、アカデミー賞もなかなかやるぢゃん!と、お前は一体どこの誰だ!?と突っ込まれそうなくらいの上から目線で思ってしまいました
物語はセックスワーカー(ストリップダンサーであるけれど、疑似セックス行為までさせる店に勤めている)のアノーラがロシアの大富豪の御曹司と仕事で知り合い、愛人契約を結んでいるうちにその御曹司からプロポーズされ結婚へ・・ところが、親の知らないところで行われた結婚、しかも相手が娼婦!?ということで激怒・・・
と、ここまでは、まぁ、この手のシンデレラストーリーとしてよくありがちな展開、なのだけれど、この時点ですでに、アノーラを演じるマイキー・マディソンの生命力あふれる演技にぐっと引きよされらます
また、(あの・・・、スケベおやじと誤解しないでくださいね・・・、いや、たしかにスケベなんだが・・・(;^_^A)冒頭からかなり激しめのセックスシーンがボンボンと登場するのだけど、意外に即物的というか、あまりエロさを感じさせません。やがて御曹司と知り合い、二週間の愛人契約を結び、彼とその仲間たちと放蕩の限りを尽くします。そして二人きりになって、数回のセックスシーンがでてくるのですが、彼女の体躯、腰などの動きなどをみていると、回を重ねるごとに非常にエロティックになっていくのを感じるのです。スケベおやじのエロ目線なのかもしれませんが、彼女のセックスの在り様一つで、この御曹司との関係性の変化を見事に表しているように感じ、いや、この女優さん凄いなぁ。と、妙なところで驚嘆してしまったのであります。

そして、この後からが、よくあるシンデレラストーリーとは一線を画すようになってきます。
御曹司の面倒見役とその子分二人が大富豪の命を受け、結婚を破棄させようとやってきます。頑なに拒否する二人ですが、両親が明日中にもアメリカへやってくると聞かされた御曹司は青ざめ、彼女と三人を置いて家を飛び出し逃げだしてしまうのです。裏切られたと思いつつも、彼を信じたいアノーラは、結婚を邪魔しに来たはずの三人と共に、御曹司を追っての自動車での珍道中へ!
とにかく、精神力も腕っぷしも男勝りのアノーラに、男三人は振り回されながら、それぞれの個性が爆発して、色々なトラブルを抱えながら、ようやく御曹司を発見するのですが・・・
果たしてアノーラと御曹司との結婚はどうなってしまうのか・・・
胸糞に終わるのか?それともハッピーエンドとなるのか?結果的にはどちらともとれるのですが、最後まで気丈に振る舞っていた彼女がラストに見せた慟哭は、彼女の、これまでの人生で背負ってきた重みから解放され、気丈に振る舞わなくても済む優しく温かい懐の中で初めて見せることのできる涙だったのではないか、と思うと、観ているこちら側も涙を禁じ得ないのと同時に、なんだかスッキリする安堵感にも包まれるような感覚になりました。
そして、無音の中、淡々と流れるエンドクレジット・・・
非常に読後感というか、鑑賞後の感覚は意外にもさわやかな感じが残り「いい映画を観た」という多幸感にあふれる感じでした。なるほど、アプローチの仕方は違えど、鑑賞後の多幸感という点で言うと『侍タイムスリッパー』と同じ、と言っても過言ではなさそうですね。
映画の見方として、私の感じ方は本質をついていないようにも思えます・・。この点女性の目線で見ると、この作品が訴えたいもの、アノーラという女性がどのような女性なのか?そんなところがもっと深く見えてくるのかもしれません・・。

オペラにみる、ある気丈な娼婦の物語
クラヲタ属オペラ科の椿 五十郎は、この『ANORA アノーラ』を観て、1本のオペラを思い出してしまいました。それは・・・
『椿姫(ラ・トラヴィアータ)』(La Traviata)
です

『椿姫』
◆原 作:アレクサンドル・デュマ・フェス
◆脚 本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ
◆作 曲:ジュゼッペ・ヴェルディ
◆初 演:1853年
◆登場人物
・ヴィオレッタ・ヴァレリー(高級娼婦 ソプラノ)
・アルフレード・ジェルモン(南仏のブルジョワな家庭の御曹司 テノール)
・ジョルジョ・ジェルモン(アルフレードの父 バリトン)
・フローラ(ヴィオレッタの友人の高級娼婦 メゾソプラノ)
ほか
イタリアオペラの偉大な作曲家ヴェルディによる、オペラ史の中でも屈指の人気を誇る名作中の名作です。パリの社交界に花開いた高級娼婦ヴィオレッタと彼女に強い想いを寄せた青年アルフレードとの悲恋を描いた作品で、普段、勇ましい旋律を書くことの多かったヴェルディが、真実のこもった恋に焦がれ、悩み苦しむ女性の姿を見事に旋律にのせて作られた作品で、ヴェルディの作品の中でも「華やかさ」という異彩を放っています。
【あらすじと聞かせどころ(ネタバレ含みます)】
第一幕 ヴィオレッタの屋敷
ヴィオレッタの屋敷では彼女の主催のもと、パリの上流階級の人間が集まり酒宴が繰り広げられている。ヴィオレッタは社交界の華であり、多くのパトロンを抱えている。毎夜のようにパーティに繰り出し、パトロンたちの相手をしなければならない彼女は、ここのところ病み上がりなうえ体調不良の日々が続く。
そこへ、ある人物からアルフレードを紹介される。彼は南仏からやってきたブルジョワジーの御曹司で、社交界で彼女を見て以来、ゾッコンであった。
社交界の嗜みとして詩作を読み上げることを求められたアルフレードは、ヴィオレッタに向けた恋の詩を、そしてヴィオレッタがそのような恋はおとぎ話、と言わんばかりに詩で応え、周りの連中は二人に乾杯する
【乾杯の歌】
めっちゃ有名な楽曲。テレビCMでもつかわれたことがあります
なんか景気いい曲なので、色んな所で歌われます
画像はちょっと猿顔のアルフレードと、美貌のヴィオレッタとして話題だったステファニア・ボンファデッリの歌唱です
やがて二人きりになったヴィオレッタとアルフレード
自分は散々男たちの慰み者として生きた自分はあなたの恋には応えられないと断るが、アルフレードが熱心に乞うので根負けし、彼に一本の花を渡す。「これは?」訝し気に尋ねる彼に「この花が枯れたとき、また会いましょう」とつげる。アルフレードは「ではまた明日!」と喜び去る。一人残された彼女は初めての恋の感情に揺さぶられる。しかし、自分はそんな恋などしてはいけない女!とその思いを吹き消そうとする。しかし彼女を思うアルフレードの声が頭から離れず葛藤する・・・。
【ああ、そはかの人か~花から花へ】
ソプラノ歌手の難曲中の難曲
コロラトゥーラソプラノ、と呼ばれる、軽い声でコロコロと転がすような歌唱技法を求められる曲です。前半のしっとりと深く思いながら歌う歌と後半、いや!やっぱり自分は恋に溺れちゃだめなのよん!!と自分を鼓舞するかのように、コロコロと高音が激しく交差して複雑な気持ちを表します。そこへ、先ほどのアルフレードの言葉が頭をよぎり、その声と共に自分の想いがだんだんと唱和してゆく感じになってゆくのです。もう、この辺でかなり泣けます!
画像はコロラトゥーラソプラノとして著名なナタリー・デッセイの歌唱。最近の歌手は演技力も強く求められるため、この大変な歌を激しく動きながら歌う様は圧巻です。
第二幕 第一場 郊外の別荘
あれから二か月、ヴィオレッタは高級娼婦をやめ、アルフレードと共に幸せな生活を送っていた。しかし、その幸せな生活の糧はヴィオレッタが自身の財産を切り崩しながら成り立っていたことを知ったアルフレードは驚き、財産を処分に出かけたであろう彼女を追いパリへ向かう。
入れ違いで戻ったヴィオレッタのもとにアルフレードの父親、ジェルモンが現れ娼婦が息子を誘惑し、財産まで食いつぶそうとするのか?と彼女を責め立てる。しかし、この生活はすべて自分の財産で持たせているとその証拠を彼に見せる。この二人の愛が本当のものであると知り愕然とするジェルモンだが、気を取り直し、息子と別れてくれと哀願する。なんでも、アルフレードの妹が良家との結婚が決まっているが、兄はパリで娼婦と放蕩生活をしているという噂が立ち、このままでは娘が結婚できない・・というのだ。意を決したヴィオレッタは彼と別れることをジェルモンに告げ、帰らせると、アルフレードに別れの手紙を書き、戻ってきた彼に手渡し、「あなたを愛してる」と告げその場を去る。(ごめん、ここのシーンはめちゃ泣けるんやっ!!( ノД`)シクシク… こうやって文作ってても涙が・・・)
嫌な予感がしたアルフレードは手紙を読み愕然とするがそこへジェルモンが現れ、一緒に故郷へ戻ろうと告げる
【プロヴァンスの陸と海】
アルフレードの気持ち、ヴィオレッタの想い、すべてを飲み込んで、優しく、しかし情熱的に、故郷へ戻るよう説得する歌です。バリトン歌手の重要な持ち歌のひとつ。非常にやさしさに溢れた歌であると同時に、その優しさ上、ヴィオレッタがなぜ別れを切り出したのか、その理由も告げず彼を説得する姿は非常に残酷ですらあります。
画像は、バリトンの名歌手 レオ・ヌッチによる名唱です
悲しむアルフレードだが、彼女がまたパリの社交界へ戻ったことを知り憤慨して、ジェルモンが止めるのも聞かず飛び出してしまう。
第二幕 第二場 友人フローラの屋敷
フローラの屋敷では社交界のパーティが開かれており、そこへアルフレードも遊びに来ていた。憤慨しながらカードゲームに勝ち続けており、大金をせしめている。そこへパトロンとともにヴィオレッタが現れる。パトロンはヴィオレッタを守るため、アルフレードにカードゲームでの勝負に出るが、とても今のアルフレードには勝てない。やがて二人きりになり、戻ってきてくれとアルフレードが懇願するも彼女は断る。事情を知らぬまま出て行った彼女に怒りがこみ上げ、パーティに来ていた客人の眼前で、彼女に札束を叩きつけ侮辱する。その様子を見た客人たちは一斉にアルフレードを非難し追い出そうとする。そこへ、後を追ってきてジェルモンが現れ、愚かな息子を嗜める。自分のやってしまったことの呵責に苛まれるアルフレード。そして、私の想いは決して貴方には分からない、呆然自失とするヴィオレッタ。
【二幕フィナーレ】
ヴィオレッタ、アルフレード。ジェルモンに加え合唱が重なったスケールが大きく非常に悲しみに溢れたメロディで奏でられた名シーンです。合唱で一時盛り上がった中、倒れていたヴィオレッタが細い声で呟く、涙なしには見られない場面です。
ヴィオレッタにアメリカの歌姫 ルネ・フレミング、テノールに演技歌唱ともにうまく人気だった、ロランド・ヴィリャゾン(どことなくMr.ビーンに似てません?)、バリトンは20世紀最高のバリトンのひとり、レナート・ブルゾンで画像をお楽しみください
第三幕 ヴィオレッタの寝室
ヴィオレッタは持病が悪化し、床に臥せっていた。彼女の周りには侍女のアンニーナしかいない。アルフレードはヴィオレッタのパトロンと決闘しけがを負わせ、国外へ出ていた。ジェルモンは二人に手紙を出し、交際を許した。その手紙を受け取ったヴィオレッタはアルフレードの訪問を待ちわびたが、一向にやってくる気配がない。もう自分の命の灯が消えかけていることを悟った彼女は「道を誤った女に神様どうか私の願いをお聞き届けください・・」と一人寂しく哀願する
【さようなら 過ぎ去った日々よ】
自らの命がつきかけている中、いくら待っても現れないアルフレードへの想いと最後にどうか、彼と合わせてほしいという思いを歌った孤独と哀しみを歌った歌。
名ソプラノ、マリエッラ・デヴィーアの透明感あふれる歌唱でお聞きください
と、やっとアルフレードが駆け付ける。もう瀕死の状態を振り絞って喜びを表すヴィオレッタは彼とひしと抱き合います。そして、パリから離れて二人穏やかにすごそう・・と語り合う。
【パリを離れて】
瀕死のヴィオレッタと、哀しみに暮れるアルフレードとの束の間の幸福の二重唱です。美しすぎるメロディがあまりにも残酷な二重唱でもあります。
30年ぶりにイタリアオペラの殿堂 ミラノスカラ座で上演された時の動画をお楽しみください
アルフレードに遅れて現れたジェルモン。「お前を娘として抱きしめよう」という父に向かい、アルフレードは責めますが、ヴィオレッタはアルフレードをよこしてくれたことに感謝し、愛する人に看取られて死ぬことができる・・と告げると、突然「不思議だわ・・」と言ってゆっくり体を起こし、満面の笑顔で「痛みがなくなった・・力がよみがえってきた・・ああっ、私は生きられる!嬉しい!」と言って、そのままアルフレードの胸の中で息絶える。
【第三幕フィナーレ】
ヴィオレッタが最後のメッセージを残す場面。あまりに残酷な死なのか、それとも救いなのか?皆さんはどうお考えになるでしょうか。
コロラトゥーラソプラノの女王と呼ばれたエディタ・グルヴェローヴァの歌声です
もう、こうやって文を書いて動画を聞きながら選んでしていたら、申し訳ないのですが、すっとこべっろんちょ涙があふれ出て仕方なくなりました・・。動画に日本語字幕がついているとよいのですが、上手く見つけられませんでしたので、一流の歌手たちによる動画で音楽を楽しんでいただけたらと思います。
『椿姫』の原作であるデュマの小説での高級娼婦は実際のモデルがいます。マリー・デュプレシという女性で、かつてデュマとも交際したり、作曲家のリストなどとも交際していましたが、彼女も早逝し、その死は孤独だったとのことです。
また、ヴェルディも、妻に先立たれ失意でいたところを、ソプラノ歌手として活躍していたジュゼッピーナ・ストレッポーニが公私ともにサポート。彼女自身も男性経験が激しく3人の異父兄弟の母親でした。ジュゼッピーナはヴェルディと関係が結ばれてからは自身のキャリアも捨て、彼に奉仕しますが、ヴェルディの先妻の父親が、自分のスポンサーでいたことや、ジュゼッピーナの奔放な男性関係を非難され、居づらくなった住まいから田舎へ転居するなど、まるで『椿姫』を彷彿とさせるような生活を送り、それが作品にも反映されたとか・・。
初演の失敗と『椿姫』ジンクス
初演失敗

この『椿姫』、今ではオペラの名作中の名作として、世界各国のオペラハウスで重要なレパートリーとなっており、ソプラノ歌手にとってはヴィオレッタという役があこがれの的であることは、言うまでもありません。もちろん一朝一夕に歌えるような役ではなく、主役のソプラノの出来如何で、作品の成功が決まるといっても過言ではありません。
実はこの『椿姫』。初演は世紀の大失敗に終わったのです。というのも、稽古不足により、本番までに完成形に至っていなかったこととファニー・サルヴィーニ・ドナテッリという歌手が、中年の、体躯ががっしりした歌い手で、とても肺病でなくなってしまうような女性に見えなかったからだという言い伝えがあります。イタリアオペラの劇場に来る観客はイタリアオペラに非常にうるさ型の客が多く、特に天井桟敷に集まる客は素晴らしい演奏には最大の賛辞を贈りますが、酷いとかちょっと失敗しようものなら容赦なくブーイングを浴びせたりするのです。今でいう誹謗中傷する輩、という事でしょうか(笑)
ただ、実際ドナテッリの歌唱は非常に素晴らしかったらしく、稽古をきちんと積んだうえで、再演された際は、同じ劇場では歌いませんでしたが、別劇場で歌い、大絶賛を受けたそうです。
『椿姫』ジンクス
イタリアオペラの殿堂と言われる劇場「ミラノスカラ座」。
伝統と格式のある、世界中の歌劇場の中でも超一流の劇場で、それこそ、世界中の大歌手、大指揮者が集まって演奏し、様々な名演奏を残しています。それだけに、天井桟敷の連中も一筋縄ではいかない、うるさ型の巣窟となっています。

このスカラ座で1955年に上演された『椿姫』が伝説となっており、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、『ヴェニスに死す』でその名を知られた映画監督、ルキノ・ヴィスコンティが演出、ヴィオレッタに伝説の歌姫、マリア・カラス、カラスとの共演経験の多いジュゼッペ・ディ・ステファノのアルフレード、いぶし銀の声を持つエットーレ・バスティアニーニのジェルモンという完ぺきな布陣で上演したところ、もうこれ以上ないような舞台となり、これが伝説となってしまい、以後、スカラ座で何度か別の布陣で上演を試みたもののことごとくヤジられ失敗したのです。あの「クラシック音楽の帝王」と呼ばれるカラヤンでさえ、大失敗を喫し、それ以降、スカラ座で30年の間上演されることが無かったのです。30年ぶりに上演された際には、当時の音楽監督リッカルド・ムーティのもと、入念な稽古をもとに、映画『愛の嵐』の監督のリリアーナ・カヴァーニを演出に迎え上演されました。この時も当初、桟敷席に観客を入れないようにしようとしたところ、大批判を浴び、急遽解放したともいわれています。しかし、懸念した大混乱もなく、新たな「スカラ座の椿姫」として受け入れられ、日本にも引っ越し上演されるほど人気になりました。
映画との親和性も高い演目
『椿姫』が物語的には非常に単純明快でわかりやすいのですが、その音楽によって描かれたヴィオレッタ像は、高級娼婦として生き、自分は道を外した女だということを自覚しながらも、強く懸命に生き、アルフレードという大切な人と出会えたことで、「生きる」ことへの力強さを得たにもかかわらず、彼への「愛」がゆえに、自分を犠牲にして、最後まで、自分の幸せでなく、自身の想いは胸に秘め耐え抜いた芯の強い女性である描かれ方をしており、一人の女性として、人間として、非常に魅力的に描かれているので、先述のとおり、映画監督が非常に取り上げたくなるオペラとなっています。
ルキノ・ヴィスコンティ、リリアーナ・カヴァーニのほか、『ロミオとジュリエット』のフランコ・ゼッフィレッリ、『ロスト・イン・トラストレーション』のソフィア・コッポラなどが演出にかかわっています。→ソフィア・コッポラ演出の『椿姫』はU-NEXTで見放題配信中(見たい方はここをクリック)
デュマの小説を映画化したものの中に古典の名作があります。グレタ・ガルボ主演


また、エクサンプロヴァンス音楽祭での『椿姫』の演出模様を追ったドキュメンタリーもDVDが出ています。先述した演技力も抜群のソプラノ歌手、ナタリー・デッセイと演出家との激しいやり取りなど、いかにオペラを真剣に、現代社会にフィットするような舞台として作り上げようとしているか、そんなプロの仕事ぶりを見ることができます。


今回『Anora アノーラ』を鑑賞して、セックスワーカーであり、その仕事に対して芯を持ちながら、御曹司から結婚を申し込まれた際、嬉しくもなかなか信用できないで戸惑っている彼女を見たときに、ふとヴィオレッタ像を感じてしまいました。そして、理解の無い親族により引き離され、アノーラは彼に逃げられ、ヴィオレッタは公衆の面前で辱めを受ける。アノーラはそれに対して、現代の女性でもあるし健康体なので、その思いは暴力で晴らし、ヴィオレッタはなぜアルフレードと別れたかの秘密はじっと自分の中に閉じ込めておく。それは時代の中での考え方が違うので一見別なように見えて、セックスワーカー、娼婦という仕事をしていたとしても、自分自身が信念もって生きるという、心の強さはどちらも持ち合わせていて、片や命を落としたとしても、最後は何らかの重しから解放され、温かい胸の中で安心しながら息を引き取り、堪らなくない慟哭する・・。
そんな女性像を強く感じた、映画『Anora アノーラ』とオペラ『椿姫』との相似部分を深く感じた次第です。
さて、と、、、、
なんだか、誰が読むんだ!?ってくらいにまたしてもウザい文章になってしまいました。
オペラ『椿姫」本当に素晴らしい作品ですので、是非、ご覧いただきたいと思います!

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投稿を表示椿さん「アノーラ」観にいかれたんですね✨
BlackCherryの記事にも触れてくださり、リンクまで🙏ありがとうございます、大変恐縮&うれしいです✨😭✨
まさに珍道中、そして多幸感、ですね・・!あんなに酷い目にあったのに、あの多幸感へもっていける脚本や役者etc.映画の奇跡だ・・!と感じました。あの感性とか、インディーズ作品ならではという気がするものを至る所に感じます✨
そして椿姫!なるほどですー!✨ セックスワーカーの人たちへの偏見、権威による侵犯・・このテーマは不変的なものなのかも?しれませんね 不勉強で💦ナタリー・デッセイさんのことを知らなかったのですが、動画を拝見しました スゴい~!✨素晴らしい歌と演技に驚きました。
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投稿を表示ナタリー・デセイ(2 C)の「椿姫ができるまで」は、結構前にみました。