藤井道人監督作 三選
藤井道人監督、1986年生まれの37歳。
社会派ドラマ、ファンタジー、実話の映画化、リメイク物とジャンルを問わない作品に挑みながら、ただの職業監督の枠には収まらない監督さん。新作も公開中ですが、過去3作を振り返りました。
「宇宙でいちばんあかるい屋根」(2020年9月公開)
私の藤井道人監督体験はこの作品から始まりました。
原作は未読。14歳の少女つばめが屋上で出会った謎の老婆と過ごしたひと夏の出来事。つばめが抱くほのかな恋心、家庭の問題、学校のイジメといった映画で描くには“ありきたり”な日常に、謎の老婆との交流という非日常を交えて、気持ち良く泣けるハートウォーミングな作品に仕上がっちゃいました。所謂「良い人しか出てこない」映画。
つばめ役の清原果耶ちゃんが作品の成功に大きく貢献。少しぶっきらぼうなハニカミ演技が、登場人物全員とのやり取りを通じて作品が目指す素敵な人間関係の成立に結びついた。
オープニングの演出、映像のタッチや演出のリズムがどこかゆったりとした時間軸を創出していて、作品の世界観とファンタジー性が伝わってくる。前年に公開された「新聞記者」を観に行っておけばよかったと後悔。
この手の作品としては、飯塚健監督「彩恋 SAI-REN」以来の満足度となりました。
「ヤクザと家族 The Family」(2021年1月公開)
今時点で私にとっての藤井監督の最高傑作はこちらの作品。
社会が暴力団との決別を図った平成の時代を背景に、覚せい剤で命を落とした父を持つ賢治(綾野剛)が、ヤクザを憎みつつもその世界に身を投じる事となり辿る末路。
カメラワークに痺れます。工場地帯の街並みを度々高所から映し出し、そこでうごめく愚か者たちの人間模様を神の視線の如く俯瞰する。絶対的必要十分条件である暴力と恫喝が支配する世界の緊張感と凄味は、至近距離にてハンディカメラで追いながら活写する。
監督とプロデューサーは「新しいヤクザ映画を目指した」と語っていますが、地方都市でのやくざ組織同士の抗争は、その昔の「昭和任侠伝」にも通じる判りやすい構図。高倉健さん演じたタフガイと綾野剛君演じる賢治とで何が違うのかというと、それは映画の世界でヤクザが持ち得ていたダーティ・ヒロイズムな側面をとことん削ぎ落した点にある。元ヤクザの烙印が本人とその家族に背負わせる十字架を描く事で、悪徳ヤクザ一家に単身乗り込んでぶった斬る健さんの勇姿が観客に与えたカタルシスは、やるせなさと切なさと身近な問題に置き換わった。
綾野剛という役者の存在感が、最初から最後までこの作品の芯として光を放つ。最後まで“正統派”の極道を貫きつつ、ささやかな幸せ以外何も望んではいなかった賢治のなれの果てに、周りを不幸にし続けた人生の咎を背負う切なさに、負の連鎖を断ち切る哀しい決意とその運命に、涙が止まらなくなりました。隅々まで行き届いた配役の妙も感じます。
「新聞記者」を観逃した事を返す返すも後悔しました。藤井道人監督とは何者なのか?社会派の作品で評価を得たかと思えばファンタジー作品を送り出し、そして本作においては再び社会性の高いテーマを選びながらも、娯楽作品として一切の手を緩めない作品作り。今の日本でこんな作品を撮れるって本当にスゴイ。「新しいヤクザ映画」というよりも「新しいフィルム・ノワール作品」と言った方が相応しい気がしました。
この年に公開されたもう1本の極道映画「すばらしき世界」(西川美和監督)と共に、記憶に残る作品となりました。
綾野剛さん、恐れ入りました
磯村勇斗君がイイ
娘役の小宮山莉渚ちゃんも何気にイイ
「余命10年」(2022年3月公開)
通常ならタイトルだけでスルーしそうになるジャンルなのですが、藤井道人監督作品と知って観過ごすわけにはいかなくなりました。
若くして不治の病を患うヒロインとその家族、友人、想い人との10年間を追いながら、去る者と残される者とが現実を受け止めるしかない中で精一杯寄り添う様を、極めてオーソドックスに、嫌みなくあざとくもなく描いていて涙腺が崩壊する。寡黙な父と温かな母、しっかり者の姉という家族構成も演じる役者さんもハマり過ぎです。
原作未読。映画を観終わって初めてその存在を知り、作者に捧げられた本作に観客が軽々しく感想を述べる事が後ろめたくなる。茉莉と和人の恋の行方に物申したくても原作者の意向を尊重するしかない。
個人的には、2人の人気TV脚本家が担当したシナリオを受けて藤井監督が原作をどう映画としてのストーリーに変換したのかがとても気になりました。原作を読んで初めてこの作品への評価が固まりそう。
同じ年頃の娘を持つ親としては、茉莉を見守る松重さんと原さんが良く出来た親過ぎて更に涙を誘いました。我が家も当時娘が「膜性腎症 原疾患あり(疾患不明)」と診断され、このままだと数ヶ月後には入院してステロイド治療が必要になると言われたばかりで、ヒロインが発症した年頃とも重なり勝手に状況を重ね合わせて、更に涙に暮れたのでした。