『サブスタンス』感想・レビュー
カンヌ国際映画祭で上映されるや、映画祭やSNSでのフィーバーが話題となり、世界のバイヤーが殺到したという『サブスタンス』
<必ず>観たことのないものをお見せします。
この言葉通り、観たら誰もが度肝を抜かれる内容となっている。



ーーー年齢を重ねることは社会から外れることなのかーーー
老いは誰にも止められない。気づかぬうちに次の段階へ押し出され、かつての注目された事も薄れていく。そもそも老化とは、生物が時間の経過とともに、身体的・精神的な機能が衰えていくプロセスであり、誰にでも起こる自然な現象だ。(Google調べ)
しかし社会は、老いを個人の宿命として受け入れることを許さず、若さや美しさを価値の基準として押し付ける。年齢を重ねることは、ただ身体が変わるだけでなく、周囲からの評価や期待も変わることを意味している。
本作の主人公、元トップ女優のエリザベスは、この現実に直面する。50歳を過ぎ、容姿の衰えと仕事の減少に心を揺さぶられた彼女は、新たな再生医療<サブスタンス>に手を伸ばす。
しかしそこから生まれたのは、若返った自分自身ではなく、別の若い女性“スー”だった。スーはエリザベスの経験を引き継ぎながらも、抜群のルックスで瞬く間にスターダムに登る。
エリザベスは救われるどころか、若さを見せつけられ、過去の存在になった自分自身にショックを受ける。


興味深いのは、物語の初期には、2人はまるでひとつの精神を共有しているかのように描かれるが、やがて深刻な亀裂が生まれていく点だ。スーは若さと美しさを武器にスターの道を駆け上がり、エリザベスを疎ましく思うようになる。一方のエリザベスもまた、自分を置き去りにして成功していくスーに嫉妬や憎しみを募らせていく。サブスタンス提供者に「あなた達はひとりだ」と告げられても、若いスーを前にすると、エリザベスの心には焦りや怒りが込み上げる。自分自身のはずなのに、対立してしまうのだ。
この関係は「自己分裂」のメタファーとして捉えられる。
年齢を重ねた自分と、若くて美しい自分が切り離され、互いに争う…その姿は、ルッキズムやエイジズムの中で、自分を否定し、自己嫌悪へと陥っていく人間の姿を象徴しているのだ。
物語はやがてグロテスクな描写へ進む。
それは、社会の犠牲になった二人のおぞましい姿だった。その姿を目の当たりにしてもまだ年齢や見た目で人の価値を決めてしまう視線は、残酷で恐怖しかない。
さらに、スーがルールを破ることで、観客は「自分を救うためなら、他人を犠牲にしてもいいのか?」と考えさせられる。しかしスーも周囲の期待に応えよう、完璧な美をキープしなければ、という強迫観念に縛られているのも事実だ。老いに苦しむ心は社会の価値観と重なり、より複雑になっていくのだ。


正直なところ、本作の結末に希望は見出せない。エリザベスもスーも物語の最後には姿を消す。若さも美も、そして誇りも、当然のことだが永遠ではないことが証明されたのだ。
では、老いることは本当に辛いことなのか。
年齢を重ねることは、身体の変化や社会から受ける印象の変化から、確かに痛みや孤独を伴うこともある。
しかし同時に、何を手放し、何を選ぶかを考え、自己を見つめ直す機会でもある。年齢を重ねても自分らしく生きる人は美しい。好きな服を着て、好きなものを食べ、心が満たされている人は輝く。老いは必ずしも絶望ではなく、選択や自己理解で自由や希望をもたらすこともできるのだ。
『サブスタンス』は、若さや成功を追い求めることで得られる一時的な救いと、その裏に潜む心の恐怖を描いた作品だ。欲望と欲望のぶつかり合いは、私たち自身の未来に重なってくる。
酷な結末を前にして、老いることをどう受け止め、どう生きるのか。そして、年齢を重ねても自分らしく生きることの価値を、どう見出すのかを問われている気がした。
出演:デミ・ムーア/マーガレット・クアリー/デニス・クエイド
監督・脚本:コラリー・ファルジャ
編集:ジェローム・エルタベット/ヴァランタン・フェロン
撮影:ベンジャミン・クラカン|美術:スタニスラス・レイドレ|特殊メイクアップ・アーティスト:ピエール=オリヴィエ・ペルサン|メイクアップ・アーティスト:ステファニー・ギヨン|ヘアアーティスト:マリリン・スカーセリ


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投稿を表示かこさんの女性目線での本作レビューまじまじ読ませていただきました
本作の社会性のテーマも表出されてさすがです!
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投稿を表示みたかったけど、怖そうだったので迷っていたら見逃してしまった作品です!かこさんがあげてくれたポスタービジュアルで気がつきましたが、彼女は、目玉にも異変が起きてるんですね👀💦勇気だして近々みてみます〜ブルブル🥶